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2019年12月 5日 (木)

倭国と扶桑国

米田良三先生の説と福永晋三先生の説を合わせれば、古代日本史が見えてくる。

倭国 = 倭国本朝

扶桑国 = 倭国東朝

*倭国の皇統

桐壺帝(日出処天子・上宮法皇)→朱雀帝→冷泉帝→今上帝→薩夜麻(大海人皇子/天武)と中皇命

*扶桑国の皇統

推古→皇極→孝徳→斉明→天智(中大兄皇子)

薩夜麻が豊璋(百済王子)とともに、いち早く百済入りしており、630年唐・新羅連合軍に敗れて、捕虜として唐に送還されている。倭軍の総大将は誰だったのだろうか?倭軍の総大将が万葉集に登場する中皇命(なかつすめらみこと)だとすると、中皇命は663年白村江の戦いで戦死。中皇命と薩夜麻は実の兄弟帝だった可能性が出てきた。「源氏物語」の中で、薩夜麻と中皇命の生い立ちについて書かれた部分が「原中最秘抄」として宮内庁に門外不出とされている可能性がある。日本書紀は、中皇命を中大兄皇子とダブらせて偽って書かれてある。

扶桑軍の総大将は斉明天皇で、661年斉明崩御と同時に、中大兄皇子が天智天皇として即位したことになる。唐・新羅・扶桑国の三国密約によって、天智天皇は、斉明の殯を口実にして663年白村江の戦いに参加していない。唐の進駐軍が大宰府(倭京)に664年進駐した際、天智天皇はのうのうと閲兵している。福永説では、天智と天武は筑豊で起こった壬申の乱で直接対決したとのこと。天智と大友皇子は自害。

扶桑国は豊の国(福岡・大分)に都を建設するにあたり、並行して奈良明日香にも新都を建設し始めていたのではなかろうか。倭国は羅城と水城を造っていたわけだし。万一、軍事同盟が破れて唐と戦争になった場合に備える意味もあって。倭国が唐・新羅との軍備(徴兵・造船・武器製造)に気を取られているすきに、遣唐使を派遣して三国密約を進めている。(徴兵を効率よくするためには戸籍がぜったい必要だ。)扶桑国にも国際事情に明るい人物が蘇我氏親子以外にもいたはずだ。ここら辺、九州一辺倒の福永説には違和感を感じる。飛鳥浄御原宮を豊国から奈良に遷都するとしても急にはいかないはず。

筑豊の福原長者原遺跡が、一寸たがわず奈良の藤原京と同じサイズで同じ構造だったとは驚きました。これ、ものすごく大切な証拠です。藤原京発掘を担当した考古学者が言うのですから。

春すぎて 夏来たるらし 白妙の 衣干すてふ 天の香久山

持統天皇が、藤原京ではなく、福原長者原遺跡から香春三の岳(天の香久山)をみて詠んだ和歌でした。

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