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2019年12月16日 (月)

和田秀樹「灘校物語」を読んで

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「灘校」は見慣れない言葉だと思いますが、灘中と灘高を合わせてこう呼ぶのが、この学校の伝統であり習慣です。

私は、ヒデキさんの1学年下ですので、中高一貫リアルタイムで同じ生活空間を生きてきました。ヒデキさんの受験問題は、とくに算数、まったく解けませんでした。私は、ヒデキさんイチオシの数研「赤チャート」を小6で読んで座標解析や微積分をかじっていたくらい算数・数学には自信があったのですが。選挙の問題で、何票とったら当選かとか落選かといった新傾向問題はまったくムリでした。国語が苦手だったので、算数と理科で上位の成績を取ってリードしなければ合格できませんでしたし、ぜったい落ちていたと思います。1年下で幸運でした。算数・理科が90点、国語が60点だったので。

中学に入ったころは、山口百恵・桜田淳子・森昌子の中3トリオがさかんにもてはやされていたころでした。私は中3トリオやキャンディーズやピンクレディではなく、あべ静江、アグネスチャン、伊藤咲子、太田裕美のファンでした。

ヒデキさんの英語担任は当時レジェンドだった毛利良雄先生でした。私の英語担任だった大前恭司先生は、神戸高校(旧制神戸一中)から灘校にブレインハンティングされ、毛利先生の教材を好んで使用されましたので、親近感がわきます。

1学年上は恐ろしく優秀な生徒がそろっており、忘れられないのはヒデキさんが中3、私が中2のときの中間考査。まじめに勉強して答案作成に当たっていた矢先、4階建て校舎最上階、中3クラス前の便所から突然爆竹の音が炸裂。犯人は中3生でした。中1から高3まで中間考査中の全生徒が騒然となった事件がありました。ヤダとカツタの生徒会長選の激しいアジテーションといい、地理教室の椅子に置いてあって我々が騒然となったザーメン瓶といい、Z会成績優秀者欄の「灘」の行列といい、この学年はとにかくお騒がせの学年でした。東大受験票に学校名の欄があって、ほかの学校は長たらしい名前なのに、「灘」は1文字ですぐわかりましたし、なんか先輩後輩一種の連帯感みたいなものがありました。英語よりドイツ語のほうが点が取れるということで、理3をドイツ語で受験して、その帰り、講道館で柔道着に着替えてひと汗流して関西に戻った猛者もおられたと聞いています。英語の5番、口語が出題されたら超難解でしたものね。

名古屋の河合塾が東京の駿台に殴り込みをかけてきたと書いてますが、かく言う駿台も、京都の老舗・近畿予備校に数年前殴り込みをかけてましたし、目くそ鼻くそといった感じです。

この本は下ネタもふんだんに散りばめてあって、よくもまあ赤裸々に描いたものだと、或る意味、文豪の才、感心しました。昔のことが思い出されるのは、それだけお互いに年をとったということです。

最後に灘校に勝つ道は一つ。旧制一高・三高のレベルまで習得しておけば、百戦して百勝す。日比谷高校ですら百敗していますから。

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