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2019年2月14日 (木)

奈良国立博物館「鎌倉時代の唐招提寺と戒律復興」をみて

東大寺の散歩を終えて、時間が余ったので奈良国立博物館に寄っていきました。

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第一会場 「お水取り」

第二会場 「鎌倉時代の唐招提寺と戒律復興」

第三会場 「珠玉の仏教美術」

お水取りや修二会の特別展は去年観ましたので、さらっと流す感じ。私が小学校1年のとき習っていた洋画伯・杉本健吉先生のお水取りの絵が展示してあって懐かしかったです。東向き通りに画廊を構えておられて、そこへ毎週一日水彩画を習いに行っていました。興福寺北円堂の絵やカボチャの絵を水彩画で描きましたが、ほんとうにそうなのかよく見ろと教えられました。筆をペロペロ舐めながら、色墨を用いて水墨画を描いておられたことをはっきり覚えています。

西大寺中興の祖、叡尊(興正菩薩)は何度となく特別展を訪れましたが、今回、唐招提寺の中興の祖、覚盛(かくじょう)の特別展があって、知識欲がわいてきました。

鑑真は天平宝字7年(763)に逝去したので、大仏開眼を見ていました。「和上」という僧侶最高の贈り名を名乗ることを許されたのは鑑真ただ一人でした。平安時代も伽藍は絢爛豪華ぶりを発揮していましたが、大地震や戦火により損傷は進んでいました。

貞慶(じょうけい):解脱上人

平氏滅亡後、源頼朝の庇護による資金で奈良の寺院が中興されました。重源は東大寺を、叡尊は西大寺を、貞慶は興福寺を、そして覚盛が唐招提寺を復興しました。

建仁3年(1203) 貞慶が唐招提寺で釈迦念仏会を始める。

貞慶の弟子、覚盛(大悲菩薩)は興福寺に住み、西大寺の叡尊とともに戒律復興に努めました。晩年の寛元2年(1244)に、唐招提寺に移り住みました。

證玄(しょうげん):円律上人

建長元年(1249)、證玄が唐招提寺の伽藍を整備しました。

叡尊の弟子、忍性は西大寺を離れ、関東・鎌倉に布教に移り住んでいましたが、唐招提寺とも縁が深かったようです。

貞慶(解脱上人)像

覚盛(大悲菩薩)像 ← 稀少価値だそうです

法華曼荼羅

釈迦如来立像 ← 釈迦念仏会で拝まれています

證玄(円律上人)像

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