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2018年8月 5日 (日)

福山城を訪ねて

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安芸・備後2藩の藩主だった福島正則が改易されると、以下の2大名に交代。

安芸広島藩 浅野長晟(ながあきら) 紀伊から入封

備後福山藩 水野勝成(かつなり) 大和郡山から入封

*大坂夏の陣で、「浅野長晟が寝返った。」と叫び声が上がり、家康陣営が大混乱しました。真田信繁がその間隙をつきました。

萩、肥後、薩摩など、外様大名を牽制する要所として、徳川幕府によって福山城が選ばれ、譜代の水野勝成が特別に武装することを許された。

元禄13年(1700) 松平忠雅(ただまさ) 出羽から入封

宝永7年(1710) 阿部正邦(まさくに) 下野から入封

天保7年(1836)、7代目阿部正弘が福山藩主に就任。

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御維新から廃藩置県に至るまで、貨幣制度が危機に陥らんとしたが、藩札のおかげでさしたる混乱もなく、井上馨大蔵大臣の治世に穏便な移行を可能にしたのである。

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