いま流行っている病気
1 インフルエンザ
2 感染性胃腸炎(ノロウィルスなど)
3 手足口病
ほかに、RSウィルス感染症、突発性発疹などが散見されます。
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今日は午後から宝塚経由の阪急電車に乗って、懐かしの池田駅で下車。小林一三旧邸宅の逸翁美術館に行ってきました。
狩野派や土佐派といった御上の絵ではなく、庶民の絵として発展したのが円山応挙を代表とする円山派と、呉春(松村文蔵)を代表とする四条派でした。
円山派は、絵が前に飛び出してくる感じを受け、与謝蕪村らの俳諧から生まれた四条派は絵の奥に広がりを見せているという解説がありました。
円山派も四条派も、狩野派や土佐派が用いた粉本(手本)を用いず、見たままを描いた。粉本を用いないという点で、想像を膨らまして描いた奇想派も、円山四条派の範疇に入る。
*写生と写実の違い
写生は見たものを生き生きと美しく描くこと。写実とは汚いものであれ見たままを描くこと。
円山四条派は写生であって、写実ではない。四条派は円山派に詩情を加えたもの。
私は、伊藤若冲から見て、円山派らはどういう位置づけかという観点から見ました。
円山派の長沢芦雪、四条派の松村景文が若冲に近いと思いました。
円山応挙 「雪中松図屏風」 「嵐山春暁図」
円山応瑞 「朝顔図」
円山応震 「秋草小禽図」
呉春 「白梅図屏風」 「岩上孔雀図」
長沢芦雪 「牡丹孔雀図」
松村景文 「花鳥図」 「秋草図巻」
奥文鳴 「花鳥図」
コーヒーブレイクをして、小林一三記念館に行ってきました。
近衛文麿愛用の茶室がここに移されていました。
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メタボ健康診断で、大統領を満期勤められるとのこと。よかったと思っていたら、なんと認知症まで疑われていたとNHKが報じていました。
大東亜戦争のコミンテルン陰謀論を一笑に付すくせに、ロシアの陰謀だけは何度も繰り返し報道する。中国から賄賂を受け取っている米議員に関しては全く口をつぐむ。プーチンとやり取りしているわけは、中国への挟撃体制を築くためであって、ロシアより中国のほうがはるかに非民主的であり核問題や歴史捏造や人権問題でひどい国だからだ。
そこまでしてトランプを引きずりおろしたいのか。だったら、
ヨーロッパ諸国のパワーバランスを崩壊させ世界大戦に導いたウィルソン大統領
原子爆弾を日本に落としたフランクリン・ルーズベルト大統領やトルーマン大統領
ユーゴスラビア戦争で世界大戦を引き起こすべく火に油を注いだクリントン大統領
彼らの精神状態をなぜマスコミは問わないのか?
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なぜ、このビッグニュースを日本のマスコミは報じないのか?偏向報道がひどすぎる。
アメリカ議員と台湾議員がお互いに訪問することを解禁しました。
中華民国復興の兆しが現れました。おめでたい。
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午前診を終え、大和文華館特別展に行ってきました。
唐三彩は奈良三彩としても知られるように、白・緑・黄褐釉を基本とした陶磁器です。
南青北白
晩唐になると、南部の窯で青磁、北部の窯で白磁が作られるようになりました。
*白磁の系譜
晩唐 邢窯(けいよう)
11世紀 耀州窯(ようしゅうよう)
北宋 定窯(ていよう)を中心に磁州窯(じしゅうよう)、景徳鎮窯(けいとくちんよう)がのちに発展。
*青磁の系譜
晩唐 越州窯(えっしゅうよう)
11世紀 龍泉窯(りゅうせんよう)
北宋 鈞窯(きんよう)
南宋 吉州窯(きっしゅうよう)、建窯(けんよう)
*耀州窯の特徴
「片切彫(かたぎりほり)」と呼ばれた工法。オリーブ色の青磁釉を用い、器の表面に対して、斜めに彫り込みを入れました。
*定窯の特徴
白磁に塗った釉の流れ痕を「涙痕(るいこん)」と呼びます。定窯の黒磁を「黒定」、定窯の柿磁を「柿定」と呼びます。
定窯の陶磁器は大量生産され、伏せて重ねる「伏せ焼き」を行ったため、口縁部の釉が剥がれました。その未完成さが朝廷に嫌われ、民衆の間だけで使用されたようです。
*磁州窯の特徴
「白掻落(しろかきおとし)」と呼ばれた工法。鉄分を含んだ胎土に白釉で白化粧して文様を彫りました。
「練上手(ねりあげで)」と呼ばれた工法。2種類の陶土を軽く練って混ぜて焼きました。
*景徳鎮窯の特徴
「影青(いんちん)」と呼ばれた青白磁が代表作。
*龍泉窯の特徴
釉を塗り重ねたために「失透性」。日本に輸入され、「砧(きぬた)青磁」「天龍寺青磁」と呼ばれました。
*鈞窯の特徴
「月白青」と呼ばれる工法。澱青釉に藁灰を混ぜると、珪酸が釉の表面に浮かび上がり、白い斑紋ができます。
「紅斑」と呼ばれる工法。赤い釉を混ぜる。
*吉州窯の特徴
「木葉天目(このはてんもく)」 たまたま落ちた葉っぱが文様になっている。
「玳玻釉碗(たいひゆうわん)」
*建窯の特徴
「油滴天目(ゆてきてんもく)」
「曜変天目(ようへんてんもく)」
定窯から契丹族の遼へ。缸瓦窯(こうがよう)で作られました。遼三彩、皮嚢壺(ひのうこ)=鶏冠壺(けいかんこ)、口が大きく開く鳳首瓶(ほうしゅへい)が代表作です。
タングート族の西夏では、霊武窯(れいぶよう)で作られました。口が小さい経瓶(きょうへい)、円形の胴に耳と口が付く扁壺(へんこ)が代表作です。
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今日は元旦。のんびりYoutube鑑賞。
今川義元が桶狭間の戦いで信長に殺されましたが、その子、氏真が朝廷と武士を結ぶ調停役としてしたたかに生きていたというお話。
嫁、早川殿の父、北条氏康をしたって小田原に身を寄せ、氏康が死ぬと追い出されて、家康をしたって掛川へ。さらに信長の後ろ盾を求めて、京都へ引っ越し。京都観光三昧にふけり、長篠の戦で家康に赤紙召集されると、家臣が武田の大将の首をとるという武勲を建ててしまい、牧野城主になりました。やる気のない氏真が一年でクビ。武士を失格。
秀忠や家光の時代に、氏真の教育を受けて育った子孫が登用されて、低身分の松平氏と朝廷との仲介で活躍。東京都杉並区に一大拠点を築きました。あー、それで、杉並区は東京都のなかでも、京を追われたやんごとなき旧貴族たちが住んでいたんだな。一味ちがったもんな。
幕末の世でもしたたかに子孫が活躍。公武合体や大政奉還や慶喜助命嘆願で細かな指南役を果たしました。すごいぞ、今川氏真とその子孫たち。
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