We have Olympic.
ピコ太郎にならって第二弾。
We have Olympic.
We have Exposition.
Woo.
We have Olymposition.
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ピコ太郎にならって第二弾。
We have Olympic.
We have Exposition.
Woo.
We have Olymposition.
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今日で仕事納め。大阪の友人が開業するということで、そのお祝いも兼ねて、三宮へ繰り出しました。
久しぶり、鶴翔でてっさ、てっちりを食べましたが、おいしかったです。
二次会はビッグエコーでカラオケ。これも10年ぶりくらいかな。彼がアニメ好きで、アンパンマンを歌ったのには驚きました。意外な「カローラ2に乗って」もよかったな。珍しいところで、ビギンの「オジー自慢のオリオンビール」を歌ってくれましたが、なかなか面白かった。
私は宝塚歌劇団に初挑戦。こだま愛ちゃんや蘭乃はなちゃんや夢咲ねねちゃんになったつもりで「ル・ポアゾン」。それに涼風真世さんの「わが名はオスカル」。
「六甲おろし」「地上の星」「浪漫飛行」「愛の奇跡」など私は定番で攻めて、最後は東京浪人時代にラジオで聴いていた松田聖子「風立ちぬ」で締めました。
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1 金持ちのこども
尋常小学校を卒業後、中学校を受験して進学。頭がよくて元気なこどもは海軍兵学校か陸軍士官学校を受験して、さらに海軍大学校、陸軍大学校に進学して帝国海軍士官、帝国陸軍士官をめざす。頭がよくても体が弱いこどもは官僚か研究者になるための帝国大学受験資格が備わっている難関の高等学校を受験するか、少しやさしい高等専門学校や医学専門学校を受験して若くして働くか、さらに入りやすい私立大学予科を受験して私立大学に無試験で進学して大卒資格で働くかを決める。
2 貧乏なこども
尋常小学校から高等小学校に無試験で進学。師範学校に行き、高等師範学校、文理科大学に進学してプロ教師を目指すか、海軍飛行予科練習生になって帝国海軍下士官をめざすか、陸軍幼年学校に行って陸軍士官学校、陸軍大学校を目指すかを決める。陸軍幼年学校からゾル(軍人)嫌いな高等学校へ進学した輩もいたようだ。
安倍政権でこどもの貧富差がなくなることはすばらしい。
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ぼくも君もタイ米を食べていた1988年、宝塚歌劇団花組公演「キス・ミー・ケイト」
当時の音楽学校成績優秀者はみな花組に集められていました。
トップ男役は、大浦みずき。大病後に復帰した大浦のお披露目公演。
振付師 謝珠栄
演出家 岡田敬二
岡田敬二さんの劇はめっちゃいいね。花組トップ娘役・若葉ひろみの「ジュテーム」もよかったが、「ル・ポアゾン」はサイコー。
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夕方から西宮ガーデンズでスターウォーズを見てきました。私は第一作からリアルタイムで見てきましたが、ずいぶんと作風がディズニー風になってきているようで、ちょっと突っ込みどころ満載という感じ。
レンは宝塚歌劇宙組トップ真風くんにそっくりやね。
ルーク、なにをすねているのか?仏陀に変身したような気がしたが。
ヨーダのことばが今日一。
「The greatest teacher, failure is.」
レイの両親も明かされたようでそうでもなくといった感じ。主要人物が死ぬなか、ほんとに死んだあの人が生き残ってどうすんの?あんまり言うとネタバレになるのでこの位で。
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インフルエンザワクチン接種で混雑した午前診を終え、クリニックから徒歩で大和文華館へ行ってきました。
国宝ではないけど、歴史ファンにはこたえられない展示物でした。
足利尊氏 自筆 「八幡大菩薩」
1336年(建武3年)、新田義貞へ反旗を翻すときに石清水八幡宮に誓いを立てた御神号です。
源義経の手紙 信教のことで返事した内容
石田三成の手紙
豊臣秀吉の手紙
狩野探幽の手紙 一休寺に狩野探幽の襖が飾ってありましたね。
稲富(いなどめ)流 鉄砲秘伝書
稲富伊賀入道一夢は丹後田辺出身で、一色氏→細川忠興→徳川家康に仕え、鉄砲隊を指揮しました。鉄砲の作り方から使い方まで書いてありました。
津田宗久の手紙
笑嶺宗訢(しょうれいそうきん)の手紙
臨済宗大徳寺派の僧で、堺・南宗寺にいたことがあり、千利休と交流があった。
古田織部の手紙
織田有楽が訪問してくれたことに対する礼状。織部は大坂夏の陣の大坂城攻めで家康軍の背後を襲うという陰謀を画策しており、すべて露見して、伏見城で自刃。
千少庵の手紙
本阿弥光悦の手紙
大慧宗杲(だいえそうこう) 「無相居士像」
南宋の禅僧。対金主戦派の張浚(ちょうしゅん)と交流。対金和議派の秦檜(しんかい)にいじめられました。
霊石如芝(りんせきにょし) 「虎丘十詠」
南宋の禅僧、虚堂智愚(きどうちぐ)に学んだ霊石如芝が博多の妙楽寺に住みました。
南浦紹明(なんぽしょうみょう)は建長寺の蘭渓道隆に学び、南宋の虚堂智愚に留学。帰国後、建長寺の住職となり、大応国師の号が贈られました。
南浦紹明の弟子が、大徳寺の開祖である宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)。のちに大燈国師の号が贈られました。
宗峰妙超の弟子が、関山慧元(かんざんえいげん)。京都の妙心寺の開祖となりました。義満の金閣寺、足利菩堤の等持院、そして妙心寺は一列に並んでいます。
策彦周良(さくげんしゅうりょう) 「七言絶句」
天龍寺妙智院の住職で、入明2回して皇帝に謁見。大内義隆や武田信玄が策彦周良に帰依しました。
春屋妙葩(しゅんおくみょうは)
1383年、義満が相国寺を開山し、春屋妙葩を住職に据えました。春屋妙葩はえらく恐縮して、師匠の夢窓疎石を1世住職と号して、自らは2世住職と名乗ることにしたそうです。
源氏物語浮舟帖
小大君像
和漢朗詠集伊予切
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渡辺明竜王もとっくの昔に永世竜王をとっている不動のスーパースター。不思議なことに長い間B級に甘んじていたが、最近になって名人戦A級にやっと登壇し、竜王・名人のダブル獲得を狙っていた矢先の出来事でした。
羽生さんの居飛車穴熊戦法を木っ端みじんに打ち破ったのが、居玉四間飛車の藤井システム、こと藤井猛棋士。解説をやらせると、次の一手がどんどん見えて加藤一二三さんと同じくらい面白い。
その藤井システムを木っ端みじんに打ち破ったのが渡辺竜王。
羽生さんが渡辺さんを破ったのは初めてじゃないのかな。羽生さんが渡辺さんに負け続けているという記憶しかない。4勝1敗とは驚き。とにかくおめでとうございます。奥さんの畠田理恵さんもお若い。ヒット曲「ここだけの話」はよくテレビで拝見しました。
永世七冠が難しいのは、なんせ常にノリノリの強豪挑戦者と戦っていなければならないわけで、羽生戦法を挑戦者はじっくり研究して登場するのです。対する羽生さんは挑戦者の研究が十分及ばなかったこともあるはずで、その場の天才で勝利をつかみ取るしかないハンディキャップ付き。
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今年のM-1はハイレベルでした。上戸彩、かわいい。和牛の安定感を買って、私は和牛が優勝と思っていましたが、来年こそ頑張ってください。和牛の漫才スタイルはあらゆるネタに対応できる柔軟性があります。サンドウィッチマンや博多大吉華丸に匹敵します。
「利休と剣仲」展後期に行ってきました。いずれこの茶道具も博覧会に展示されることでしょうが、かぶりつきでじっくり見られるのも今だけ。
今回の目玉は茶杓揃い踏みかな。大河ドラマ「真田丸」で好演した井上順の、憎たらしい裏切者、織田有楽(信長の弟)を思い出しながら、茶杓を見ました。
織田有楽
武野紹鴎(たけのじょうおう)
津田宗久
古田織部
薮内剣仲
古田織部も千利休も切腹させられる戦国の世は厳しかったんですね。
茶杓を茶杓入れに入れて、お茶を茶入れに入れて布袋に包み、茶筅とご自慢の茶碗をひょいと着物の袖に入れれば、どこででもお茶会が開けました。
小田原攻めで、竹藪に千利休が分け入って即興で作った花入です。
千宗旦 二重切花入
古田織部 一重切花入
春屋宗園(しゅんおくそうえん) 剣仲号偈(けんちゅうごうげ)
薮内剣仲に剣仲の号を贈りました。どんなに研ぎ済ませれた刀も磨かなければ切れない。茶道も同じ。研鑽せよという激励文が贈られています。のちに千宗旦を弟子に迎えました。
大名物 利休丸壺茶入
大名物 薬師院肩衝茶入
燕庵名物 藤四郎肩衝茶入
前期同様、今回もお目見えしました。
織部黒と黒織部の違いが解説していました。ともに黒色を基調とした茶碗のことで、織部黒は絵柄がなく、黒織部は絵柄があるそうです。
弓弦羽神社に参拝して帰りました。
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午前診を終え、京奈和自動車道で田辺西で降りてすぐ、酬恩庵一休寺に行ってきました。
京紅葉もさすがに散っており、見頃も終わりの様相でした。
浴室を横目に入場券を購入。
宮内庁管理の一休の墓の隣にある庫裏に入りました。まずは、1650年方丈建立の際に作られた重要文化財のトイレ(東司所)で用を足しました。
1326年、宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)が大徳寺を創建し、大燈国師と呼ばれました。
一休は応仁の乱のころ、洛北の大徳寺住職になりましたが、京の荒廃を嫌って、東山の虎丘庵を引き払い、ここ一休寺に住み込みました。虎丘庵の門札が展示してありました。そのとき、みこしに担がれて一休寺と大徳寺のあいだを往復したそうです。そのみこしが展示してありました。
狩野探幽の襖絵を見ながら、有名な髭・髪付き一休宗純木像を拝見。方丈庭園を見ました。日だまりのポカポカする陽気が気持ちよかったです。
いよいよ本堂へ。くじ引き将軍、足利義教が建立したそうです。中には釈迦三尊像がいました。
宝物殿に入りました。一休宗純頂相、一休の師匠・華叟宗曇(かそうそうどん)頂相がよかったですね。
一休の弟子、中川が破門になったようで、中川がどの寺に行っても、こいつだけは寄せ付けるなという檄文の手紙が展示していました。おーい、宝塚の中川君、君は前世で破門されてたんだなと言いたくて仕方なし。
盲目の尼僧・森女(しんじょ)との性関係を事細かく描いた狂雲集、養叟宗頤(ようそうそうい)との喧嘩を描いた自戒集もよかった。
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