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2017年10月31日 (火)

宝塚雑感

最近、花組の活気がないね。抽選で申し込んだが、当選したら一回見に行ってみたい。

昔の若葉ひろみが懐かしい。ひろみちゃんが銀橋を渡るとき、キラキラ光線の高汐巴さんと目が合って困ったことがあった。私のファンはひろみちゃんだっちゅうの。

ファンがアイドルを求め、スターたちが地道なレッスンよりジャニーズ系アイドル化してしまったのがやっぱり原因なのかな。リアルタイムで見ていた感想として、高汐さんから大浦さんへのバトンタッチが2年くらい遅かったと思う。後のしわ寄せがえらいことになった。安寿ミラの前にトップを務めるべきだった朝香じゅんとか、舵一星とか、磯野千尋とか、大御所の但馬久美とか、大浦みずきレベルの超一流ダンサーが辞めてしまったのが惜しい。組子みんなが納得するトップ抜擢人事がぜったい必要だ。

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2017年10月26日 (木)

法華寺を訪ねて

海龍王寺の本尊特別公開を見終え、ひきつづき法華寺の国宝特別公開を見に行きました。

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国宝 十一面観音立像

国宝 阿弥陀三尊・持幡(じばん)童子像

光明皇后と生き写しの十一面観音、それに光明皇后が臨終の際、枕絵にされた阿弥陀三尊・持幡童子像です。十一面観音は右足を一歩踏み出す瞬間を表現しており、蓮の花と葉を交互にかたどった光背が特徴です。

阿弥陀如来の手掌、足の裏、足指に入れ墨が彫ってあります。倭王・磐井がモデルの、この絵は、おそらく九州倭国の古寺から奈良に運んできたものでしょう。奈良東大寺の廬舎那仏の足の裏、薬師寺の薬師如来(ほんとうは薬ツボを持たない阿弥陀如来)の足の裏にも同じ入れ墨が彫られていることを知っている人は少ない。

受付に入って右奥の格子のなかに二つのお宝があります。

文殊菩薩騎獅像 ←「西大寺展」から帰ってきており獅子の上に鎮座してました。

その隣に、十一面観音立像。近所の廃寺にあった本尊を移してきたそうです。

受付に入ってすぐ左の格子の中にあるのが、

国宝 維摩居士坐像

受付に入って右奥にあるのが、

源信(恵心僧都)が彫った聖徳太子二才像・三才像

受付に入って左奥にあるのが、

横笛堂の本尊であった阿弥陀如来立像

阿弥陀如来は慈光殿に安置されています。法華寺には、天平時代に阿弥陀浄土院が作られており、阿弥陀浄土院を中心に阿弥陀信仰が盛んでした。

本堂です。

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横笛堂です。横笛堂は鎌倉時代に建造されており、法華寺で現存している建物で最も古いものです。本尊は阿弥陀如来立像で、いまは慈光堂に安置されています。

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光明皇后が癩病(らいびょう)患者を癒した浴室(からふろ)です。私が大学生のころは中に入ることができ、大いに感動したものです。

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華楽園という名の庭園には、珍しい花が咲いていました。

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法隆寺の正門を横目に、平城宮趾を歩いて、西大寺の実家に帰宅しました。

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ススキがきれいでした。

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海龍王寺を訪ねて

午前診を終え、大阪の友人を連れて、近所の寺の本尊特別公開に行ってきました。奈良交通バスで西大寺から法華寺まで乗ってすぐのところにあります。

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710年、平城京遷都で、藤原不比等が土師氏邸宅を没収。北東隅の寺は壊されずに残り、「隅寺」と呼ばれました。隅寺は平城京の鬼門を守る寺として位置づけられました。

720年、藤原不比等が死に、光明皇后が相続しました。隅寺は、「皇后宮内寺院」と改名されました。

735年、玄昉が唐から帰国。隅寺は「海龍王寺」と改名され、玄昉を住職に任命し、伽藍を整備しました。

平城京に遷都されると、海龍王寺は荒廃しました。鎌倉時代に、叡尊が海龍王寺を中興しました。しかし、応仁の乱で再び荒廃してしまい、昭和28年になって再び復元されました。

ですから、奈良時代の遺物はほとんど残っていません。

国宝 五重小塔

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「海龍王寺」の寺門勅額

玄昉直筆の「海龍王経」

光明皇后直筆の「自在王菩薩経」

金銅火焔宝珠形舎利容器 ←「西大寺展」で拝見

平安時代早々には海龍王寺が荒廃し、鬼が住む寺と噂されました。それを忍びなく思われた空海が、邪鬼を払うために書いたのが、

空海直筆の「毘沙門天画像」 ←「西大寺展」からお帰り

空海直筆の「隅寺心経」

慶派仏師がつくったのが、十一面観音立像。長い間、秘仏にされていたので、色彩や瓔珞など飾り物が完全に保存されている見事な仏像でした。羽織っている着物の柄も色も完全に残っていて感動しました。

運慶の文殊菩薩立像 ←獅子の上に載っていない

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2017年10月25日 (水)

宝塚観劇ミニメモ

来年は、どう見てもイケメンとしか思えない真風涼帆も、並行して追っかけてみたい。

実力満点の新生・宙組を観劇する前に、トップの師弟関係を学んでおこう。

源泉は、スカーレット・ピンパーネルの権威・安蘭けいでしょうか。トップ・オブ・トップの柚希礼音の弟分がいま大活躍中だ。

星組 安蘭けい・遠野あすか → 星組 柚希礼音・夢咲ねね 

→ 星組 紅ゆずる・綺咲愛里

→ 宙組 真風涼帆・星風まどか

昨日、ニコニコ動画でおもしろいものをみつけた。愛華みれが(ダンスの下手な)月組・剣幸に新人時代手ほどきを受けて、あろうことかトップへの登竜門である新人公演で(ダンス超一流の)花組・大浦みずきの代役を務めることになった。真琴つばさや稔幸ら71期生が大勢で応援に行ったそうで、「がんばれ、がんばれ、回れ、飛べ。」とハラハラしながらみんなで見守るなか、大浦みずきのシューズを借りた愛華みれが見事に生まれて初めて新公舞台で3回転まわれたそうで、振り付けやダンスの先生たちが涙を流して喜んでくれたというお話。よかったね。

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いま流行っている病気

こんなに寒くなってから、夏風邪が流行しています。

1 手足口病

2 RSウィルス感染症

3 溶連菌感染症

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2017年10月24日 (火)

日中国交正常化交渉の裏側

中華人民共和国が日本国に核ミサイルを向け続けている今となっては、日中国交正常化が正しかったとは決して言えまい。日本から賠償金と称するものを巻き上げて、いまの有様である。

今夜NHKのBS放送を食い入るように見ました。中国からのスパイは誰だったのかにとても興味があります。

佐藤栄作首相がニクソン大統領の訪中に刺激されて、周恩来首相との交渉を急いだというのが教科書的歴史解釈だが、だいたいこんなものは嘘であろう。

江鬮(えぐち)眞比古という人物に佐藤総理は交渉を依頼していたようである。本名は江鬮章。江鬮は戦前に外務省文化事業部第一課にいて、昭和14年に退職し、以後、中国に滞在し、コネクションを築いていたようであり、戦後の足取りがまったく不明。中国共産党に逆らっては中国国内で生きてはいられないだろうから、十分洗脳を受けていたものと察する。現在は福島県に子孫が住んでいる模様。

西垣昭 大蔵省主計局主査、江鬮との連絡役。

江鬮が香港ネイザンホテルに宿泊し、中国側と交渉にあたった。

まず香港紅卍字会の萬煕(萬義澈)と交渉。萬煕は、東京帝大に留学、日本人妻との間に藤野里夫という子供あり。陸軍の中川太郎が留学を世話。

次に江鬮は黎蒙と交渉。黎蒙は、寥承志と親しい寥恩徳、さらに朱徳と親しい江俊龍と友人であったため。つまり黎蒙には中国共産党幹部へのパイプラインがあった。

中華人民共和国が国際連合で承認され、中華民国に代わって、常任理事国入りを果たしていました。そのかげにフランスが援助していました。

日中復交三原則

(1)中華人民共和国だけが唯一の合法的政府である。

(2)台湾は中国領土と不可分である。

(3)日華平和条約を破棄する。

中国側でも日本との国交正常化をあせっていたようで、当初、日華平和条約破棄が条件ではなかった。徐明が中国側の窓口になる。

このころ佐藤の後継を巡り、福田赳夫と田中角栄が抗争。

竹内昇が江鬮に国豊行の葉桐春、葉飛卿、葉剣英らを紹介。江鬮は王紀元(寥承志の放ったスパイ工作員)とも交渉。

佐藤栄作の親書を法眼晋作外務次官に見せ了解をとる。奥田敬和衆議院議員が葉桐春、黄志文、江徳昌と交渉。

佐藤栄作がここで、福田赳夫に後を託して辞任。

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2017年10月22日 (日)

宝塚歌劇星組「ベルリン、わが愛」をみて

台風迫りくるなか、宝塚大劇場へ行ってきました。

まず、舞台美術の人たちに拍手。無駄のない舞台装置でしかも視覚的効果がとても美しかったです。

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第一部 ベルリン、わが愛

第二部 ブーケ・ド・タカラヅカ

今回は2階席4列ど真ん中で観劇しました。ブランコに乗った紅ゆずるさんがド真ん前に登場。後ろの組子たちのダンスもしっかり見られて、なかなかいい席でした。

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紅ゆずるさん、綺咲愛里ちゃん、礼真琴さんのルックスは言うに及ばず、歌もダンスも21世紀に入って最もよかったと思います。礼さんのソロが多く、劇団首脳陣もイチ押しなのですね。

なかでも壱城あずささんのダンスは切れまくり、トップ陣を超えていました。それを天寿光希さんが追っかけている感じ。

ジョセフィン・ベイカー、黒いヴィーナス役の夏樹れいさんのエトワールは、娘役すべてを従えていて、最高に輝いていた舞台でした。今日一だったかな。

天路そらさんのバイオリン演奏もさすがです。演劇、歌、あらゆる種類のダンス、それにピアノ、三味線、日本舞踊、バイオリンまでこなせるのがタカラジェンヌですね。

エトワールの天彩峰里(あまいろみねり)ちゃんも音域抜群でした。名前覚えました。

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おみやげに、ル・マンの「たまごサンドイッチ」を買って、電車が止まらないうちにそそくさと帰宅しました。

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2017年10月21日 (土)

台風接近による臨時休診のお知らせ

なかむら小児科は、台風接近のため、10/23(月)午前診を臨時休診します。

午後診より通常どおり、診療を再開します。

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2017年10月20日 (金)

がんばれ、楽天イーグルス

楽天市場とヤフーショッピングの戦いですね。

赤字覚悟のポイント大放出で、ネットショッピングがヒートアップしてきました。

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2017年10月17日 (火)

興福寺南円堂を訪ねて

午前診を終え、急いで興福寺南円堂の毎年1日しかない特別公開に行ってきました。南円堂は813年に藤原冬嗣が父親を弔うために建立しました。

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康慶が本尊の不空羂索観音菩薩を彫りました。不空羂索観音菩薩は藤原氏がとくにご執心であったので、ほかの氏族は遠慮して作らなかったために、とても数が少ないのですよ。

羂索(けんさく)と呼ばれる網で、すべての願いをすくい上げ、その祈りを決して空しいものにしない、即ち不空という誓願を持っています。

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本尊の不空羂索観音菩薩を守っている四天王立像は、東京国立博物館「運慶展」に出張中ですので、観音菩薩おひとりだけ360度じっくりみることができました。私は先日、東京上野まで運慶展を見に行ってきたばかりです。

不空羂索観音菩薩の第一手は胸の前で合掌、第二手の左は蓮華、右は錫杖を持っています。第三手は見えにくいので要注意ですが、両手とも脇下に垂らし五指を伸ばし掌を前方に向けています。第四手は左手に羂索(けんさく)、右手に払子(ほっす)を持っています。

12時半に入場料300円を払って南円堂の内部に入り、不空羂索観音菩薩の前でお香を焚いて拝んできました。

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12時45分に坊さんが拝みに来るため、所払いされることを知っていましたし、13時から14時まで法要のため入場できなくなることも知っていました。前回は中で法要を見ていましたが、今年は外から眺めることにしました。

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近鉄奈良駅前のいつもの喫茶店でランチして、午後診をやりに、なかむら小児科に帰還しました。

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2017年10月14日 (土)

あべのハルカス美術館「北斎展」をみて

午前診を終え、近鉄と環状線で天王寺へ行ってきました。13時半過ぎにあべのハルカス美術館に到着。インターネットで開催前日に買ってあった前売り券を使い、5分待ちで入場。

いきなり行列ができており、どのコーナーも混雑していたので、最初から並びました。

メインは第二コーナーの富嶽三十六景。それほど見たくない絵もありましたが、途中離脱したら、かぶりつきでみれなくなるので、気の合う同じ体型の「ドランク塚地」そっくり兄ちゃんを見つけて、そのあとをついていきました。

北斎は数年前、福岡市博物館で見ましたが、北斎漫画が多かった記憶があります。今回は浮世絵が多く、満足のいくものでした。

北斎は日蓮を信仰していたんですね。まあ天才となんとかは紙一重ですわ。コーナーごとに私の気に入った絵を列挙しときます。

第一コーナー

玉卮弾琴図(ぎょくしだんきんず)

さっそくお得意、龍の登場。玉卮(ぎょくし)とは中国の仙人で、西王母の娘。北斎は北極星の意味で、北斎の号を使い始めたころの絵だそうです。

二美人図

女性も描かせるとうまいね。やっぱり喜多川歌麿をパクってたみたい。

第二コーナー

霞が関での年始回り

凧がいいね。江戸の正月風景が偲ばれた。ライデン博物館はええもん持ってるね。

驟雨

夕立に降られた男と女がいい。

花見

桜が細かく描いてある。着物の柄もきれいだ。

大川楼上図

かわいい芸者が見つめる先に・・・。ちょいと姐さん、なに食ってるの?両国橋の提灯行列と花火が最高にええで。

東海道名所一覧

ようこんなにまとめ上げたもんや。羽根田、浦賀を発見。

甲州石斑沢

有名な一枚。こりゃ最高傑作。

神奈川沖浪裏

波の形が鷹の鈎爪のごとくなり。

凱風快晴

赤富士の赤色がきれいだ。

隠田の水車

水の描き方が独特やね。

隅田川関屋の里

疾走する馬。なびく着物の裾が躍動感抜群。

第三コーナー

地方測量之図

應需 齢八十九卍老人筆、発見!

飛越の堺つりはし

たわむ吊り橋が緊張感をもたらしてくれていいね。絵中の夫婦の人生もこんなもんじゃろ。

すほうの国きんたいはし

今も昔も変わりませんな。錦帯橋。

あとは花と鳥シリーズ。なんか花札を打ってる気分になってきた。鳥の鳴き声に関する隣のおばはんのうんちくがうるさかった。

巖頭の鵜図、朝顔に鵜図

鵜の目がけったいやな。これは北斎の自画像じゃないのか。自分の気持ちを表現している。まさに狂人。

桜に鷲(わし)、桜に鷹(たか)

鷹(たか)の目のほうがまともじゃな。羽根の肉質感は鷲(わし)のほうがいい。2枚揃い踏みはもうすぐ終わりでっせ。

若衆図 2枚揃い踏み

画狂老人卍筆、発見!

第四コーナー

唐土名所之絵

中国全土をコンパクトにまとめてある。驚異的だ。さすが、画狂老人卍齢八十一!

李白、杜甫 2枚揃い踏み

安倍の仲麿

松の木の描き方が同じ。幹には点々。

清原深養父

隅田川の粋な夜遊びがいいね。船客が川に皿を突っ込んでいるが、なにやってんの?

女三宮、白拍子

美人だね。飼い猫もいいし、小首と腰のポーズもエロい。色彩もくっきり、期間限定展示でっせ。

鍾馗(しょうき) 3枚のうち2枚が揃い踏み

道教の神らしいが、こりゃ北斎の自画像だわ。八十七老卍筆!北斎気合の一発には必ず力強く卍のサインがしてあるな。

第五コーナー

十二支の動物

小さな玉に十二支の動物を彫ってある。これは本日ベスト1。これを見ずして帰ることなかれ。漫画はしょうもなかったけど、これが見れたので、かぶりついといてよかった。

このあと葛飾応為シリーズ。関羽割臂図がえぐい。

第六コーナー

男浪、女浪

浪が好きな北斎の集大成。

雲竜、雪中虎

2枚とも有名な絵。しっかり見ました。雨中虎は2日前に太田記念美術館に帰還して見れず。

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東洋亭で名物ハンバーグ定食と、100年プリンを食べて帰還しました。

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2017年10月13日 (金)

年末から新年にかけて

日米首脳会談、米中首脳会談で、北朝鮮降伏後の事後処理問題を確認。年末か来年早々には国連多国籍軍が出動するが、中国紅軍が単独で片を付けるもよう。

自衛隊を憲法明記するには国民投票が必要だが、時間切れで間に合わず、日米安保条約と国際法と国連軍の指示に従って、淡々と必要な政策を実行していくだけ。

北朝鮮難民の受け入れ先は中国満洲とも北方領土ともうわさがあるが、さてどの地が選ばれることやら。

戦時になれば増税はない。国債を発行しまくって、日本銀行が買い取るのみ。モリカケ問題などは吹っ飛ぶ。マスコミが批判にさらされ、スパイ防止法や偏向報道規制法などは戦後決議されるだろう。

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2017年10月11日 (水)

利益を内部留保しているのは企業ではなく政府

プライマリーバランスを見れば借金が全くないのに、1000兆円も借金があると大宣伝しているのは政府。財政再建のためにまだまだ税収入が足らない???

国民に負担を要求することはやめて、日本銀行に負担をすべて要求すればいい。国民に好景気の実感が来ないのは当たり前。消費税や復興税をかけているのだから。

日本銀行に負担をかけて困ることは、インフレ進行と国債価値低下。デフレは脱却していないし、デフォルトリスク世界最小の大人気な日本国債価値がそう簡単に下落することはない。

景気が回復し、税収入が増大し、物価がインフレ目標に到達した段階で、所得税をあげればいい話だ。

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2017年10月 9日 (月)

兵庫県立美術館「大エルミタージュ美術館展」をみて

近所の神戸市灘区の兵庫県立美術館まで車で行ってきました。地下駐車場が満車で、5分待ち。中はまばらな人出でゆったりと見ました。

好きな絵画を列挙しときます。

ウィリギリウス・エリクセン 「エカテリーナ2世の肖像」

双頭の鷲のデザインのドレス。ローマ帝国、ビザンツ帝国の正統後継者と言いたいのね。下着は青色。あれ、下着は青色でOK?

夫のピョートル3世はロシア伝統の緑色軍服を廃止して、プロイセン・フリードリヒ大王に心酔したため、プロイセン伝統の青色軍服に変更したんじゃなかったかな。プロイセンのお姉ちゃんが、ロシアに嫁いで浮気しまくり。12人のこどもの父親が誰なのかわからない状態。クーデタでピョートル3世を暗殺し、反対者を弾圧。ロマノフ王朝はここで滅んでいました。

ベルナルド・ストロッツィ 「トビトの治癒」

目の治療に魚の内臓を目に入れて治していたんだね。

ポンペオ・ジローラモ・バトーニ 「聖家族」

聖マリアが美人です。

ルカ・カルレヴァリス 「ヴェネツィアの風景」

ミケーレ・マリエスキ 「ヴェネツィアの風景」

ビザンツ帝国滅亡後に世界制覇を果たしたヴェネツィア帝国の風景。

ベルナルド・ベロット 「ドレスデンのツヴィンガー宮殿」

写真撮影したような風景画。

ヤン・ダーフィッツゾーン・デ・ヘーム 「果物と花」

イチゴとブドウの光沢が生き生きしている。あちこちに虫がいて、虫の図鑑でもある。

ヤーコブ・イザークスゾーン・ファン・ライスダール 「砂丘のある風景」

干潮になったとき、オランダ国民は足を海水に浸して遊んでいたそうです。

フランス・スネイデルス 「鳥のコンサート」

鳥の百科事典。

ジャン・バティスト・サンテール 「ヴェールをまとう若い女性」

ダースベイダーの少女版。

ルイ・レオポール・ボワイー 「テュイリュリー宮殿での政治議論」

政治に奔走する大人たちへの風刺画。共和制じゃ!ルイ王政復活じゃ!ナポレオン王政じゃ!社会主義社会を実現するんじゃ!無政府主義じゃ!

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2017年10月 8日 (日)

東京国立博物館「運慶展」をみて

晴れ間が少しの曇天模様。新神戸駅に車を置いて、新幹線で東京上野に行ってきました。

新幹線の車窓から。朝霧かかる京都東山の如意ヶ岳。

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伊吹山。ヤマトタケル逝去の地。

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富士山は恥ずかしがって見えず。山頂のみ。

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本館ロッカーにかばんを置いて、平成館に移動。待ち時間は30分でしたが、15分で入場。

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なにわともあれ仏師略系図が完璧で感動。

康尚 → 定朝 → 覚助・長勢

長勢 → (円派)円勢・長円・賢円・忠円・明円

覚助 → (院派)院助と(奈良仏師)頼助

(院派)院助 → 院覚・院朝・院尊

(奈良仏師)頼助 → 康助 → 康朝と(慶派)康慶

康朝 → 成朝

(慶派)康慶 → 運慶・定覚・快慶・定慶

運慶 → 湛慶・康弁をはじめ、源慶・静慶・運覚・康運・康勝・康円・運賀・運助

「大日如来坐像」

奈良円成寺からの出品。奈良出身だけど聞いたことがない寺だ。運慶がはじめて彫った処女作だそうだ。螺髪ではなくストレートヘア。冠の細かい金細工もすばらしいかった。

「阿弥陀三尊像」

奈良長岳寺からの出品。奈良に住んでるけど、どこそれ?って感じ。螺髪の阿弥陀如来坐像を、ストレートヘアの観音菩薩半迦思惟像と勢至菩薩半迦思惟像が囲んでいた。

「四天王立像」

興福寺東金堂にいる四体。いつもは表側しか公開されず、前からしか見られないが、裏側が公開されているときに行ったが、近くで見られたな。康慶作。

「法相六祖坐像」

興福寺東金堂にいる六体。お願いポーズで少したれ目の玄昉が有名どころ。吉備真備と一緒に唐へ渡った親友だ。ほかに空海に似た常勝、若い神叡、への字口の善珠、たれ目で頭表皮静脈怒張の行賀、しかめつらの玄賓。

「毘沙門天立像」

静岡の願成就院からおこしやす。腰のひねりが運慶らしくなってきた。

「不動明王立像」「毘沙門天立像」

鎌倉の浄楽寺からおこしやす。

「地蔵菩薩坐像」

京都・六波羅蜜寺からおこしやす。西国三十三か所巡りでお目見えしました。観音さんはおこしになりませんでした。

「大日如来坐像」と厨子

栃木の光得寺からおこしやす。獅子が台座をかついでいるのは変だ。周りの小さな仏像集団が細かい。

「八大童子立像」

今日一番感動した。完璧な色彩で、360度何度も回って眺めました。金剛峯寺不動堂からおこしの、めったに見られない品でした。みんな個性的なポーズと表情をしている。2体は紛失して6体しか現存していないそうです。

烏倶婆誐(うぐばが)童子

清浄比丘(しょうじょうびく)童子

恵喜(えき)童子

矜羯羅(こんがら)童子

制多伽(せいたか)童子

恵光(えこう)童子

檜山修之って誰??「矜羯羅童子」で検索したらひっかかってきた。そっくりさんらしい。

興福寺南円堂の「四天王立像」

興福寺北円堂の「無著菩薩立像」「世親菩薩立像」

これらはもともと北円堂に設置されていたらしく、その配置を再現していた。わたしゃ何度も会ってます。

ともかく一年に一日しか開帳しない南円堂から大挙おこしやす。本尊の不空羂索観音菩薩さんは来ず。だいたい、南円堂の売り場の人に図録があるかと聞いたことがあるが、チケットの白黒写真しかないとのつれない返事。でも運慶展の図録を見たら、カラー写真載ってるやん。

最終コーナーは、運慶の弟子たちがつくった仏像です。

「観音菩薩立像」「勢至菩薩立像」

清水寺阿弥陀堂からおこしやす。本尊の阿弥陀如来はんは、きはりませんどした。

「多聞天立像」

京都の紅葉と言えば、まず東福寺。昔の住職はんが桜の木を切り倒して、紅葉だけにしはりましたんどすえ。この多聞天が古く、ほかのお三人さんはもっと新しい時代の彫刻だそうどす。

「重源上人坐像」

源頼朝の大親友で、東大寺大仏を中興しました。まるで生きているような感じです。

「観音菩薩立像」「地蔵菩薩立像」

鎌倉の満願寺からおこしやす。木造りで素朴な感じ。

「四天王立像」

佐保の海住山寺からおこしやす。えらいお坊さんが平城京の繁栄を嫌ってここ佐保の山里にお寺を建てはりました。けっこうそのあと栄えましたんどすえ。この四天王立像は奈良東大寺の奈良時代元祖原型の四天王のミニチュアでして、その色彩を完璧に残していることで、めっちゃ有名です。テレビで何度も放映されました。

「善妙神立像」

京都の高山寺?はじめて聞きました。湛慶がつくったそうで、浄瑠璃寺・九体阿弥陀堂秘仏の吉祥天立像にそっくり。

「天燈鬼立像」「龍燈鬼立像」

めっちゃ有名な康弁作の傑作。興福寺か春日大社のパンフレットの表紙になっていたんじゃないのかな。

浄瑠璃寺の「十二神将立像」

この場に数十年ぶり全員集合できたそうで、おめでとうございます。頭に干支の動物が乗っていて、いろんな表情のいろんなポーズをきめてます。

あとは東京駅でお土産を買い、新幹線を2時間近く待って新神戸駅まで帰還しやした。

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2017年10月 7日 (土)

京都国立博物館「国宝展」をみて

午前診を終え、近鉄特急で京都七条の京都国立博物館に行ってきました。

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朝から降ったりやんだりの小雨がやんでくれ、待ち時間なく館内に入れました。3階からスタートの館内はいきなり土佐日記という小さな出し物で、ガラスにへばりつき行列スタート。

翌日10/8(日曜)の混雑に比べれば、はるかに空いておりラッキー。やはり金曜土曜は20時まで空いているせいか、17時ころからめっきり人の流れが減ってきました。1階の雪舟が大人気で、観客の口々から「雪舟」「雪舟」というつぶやきが聞こえてくるのが面白くもあり気味悪かったです。

島根県立古代出雲博物館の荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡関連の銅鐸銅剣は、出雲大社には5回以上訪れており、その際に何度も見てきたので、並ばずにチラ見。「信貴山縁起絵巻」と滋賀聖衆来迎寺の「六道絵」は奈良国立博物館特別展で、じっくり見てきたのでチラ見パス。俵屋宗達の絵も京都国立博物館「琳派展」でじっくり見たのでチラ見パス。

藤原為家「土左日記」 

観客の口々から「男もすなる、えーっとなんだっけ。」のつぶやきが。直筆の字が細い。

藤原定家「古今和歌集」

藤原俊成「古来風躰抄」

藤原伊行「芦手絵和漢朗詠抄」

無学祖元「墨蹟」

有名どころの貴族や禅僧の直筆をはじめて見ました。

宮地嶽古墳の金銅馬具

遠賀川流域で繰り広げられた勝門比売(かちどひめ)と神功皇后の戦い。そして神功皇后の勝利が!金銅壺鐙に神功皇后の足が入っていたのかも、うーん、ロマン。宮地嶽神社にはなかなかレンタカーでのアクセスがむずかしいねん。

近江京の遺品

大友皇子の遺品がよく焼けずに残っていたものだ。とくに緑色ガラスの小物容器がきれいだ。

火焔型土器

土偶(縄文のビーナス)

土偶(縄文の女神)

土偶(仮面の女神)

360度ぐるりと観察。見事な保存でした。2階へ下りました。

薬師寺の吉祥天像

神護寺の赤釈迦(釈迦如来像)

東京国立博物館の普賢菩薩像と千手観音像

知恩院の早来迎図

ここで椅子に座って、雪舟行列が空く頃合いを図りました。最近のテレビ報道で、新たに雪舟直筆と認定された絵も展示してありました。

雪舟「秋冬山水図」

雪舟「四季山水図巻」

山口長府、毛利養子家系の毛利博物館からの出品かぁ。あったっけ?私が友人と訪ねたときは超地元の英雄・高杉晋作ら幕末ものに気を取られて雪舟の絵には気づかず。

雪舟は1480年ころ、大内氏おかかえ絵師だったようで、船の描き方が山水画とは思えませんでした。ポルトガル南蛮人と接触して技法をパクったはず。

雪舟「破墨山水図」

雪舟「慧可断臂(えかだんぴ)図」 だるまさんの絵。

雪舟「天橋立図」 実際の状況と位置がちがうぞ。砂嘴は当時はつながっていなかったんだね。いまは自転車で走り抜けられる。

雪舟「山水図」

長谷川等伯「楓図壁貼付」

狩野秀頼「高雄観楓図屏風」

俵屋宗達「風神雷神図屏風」

中国絵画コーナーに行くと、中国人青年観光客が中国語で熱く何やらまくし立ててました。

李氏「瀟湘臥遊(しょうしょうがゆう)図巻」

李廸「紅白芙蓉図」

1階へ下りました。仏像はめったに間近で見られないおたからです。

法隆寺「広目天立像」 おりの中にいつもは入っていて、目の前に見られるなんて。

長谷寺「銅板法華説相図」 教科書に出てくるやつ。仏像が細かい。超絶技巧なり。

唐招提寺「梵天立像」

醍醐寺「虚空蔵菩薩立像」

薬師寺「神功皇后坐像」

東寺「兜跋(とばつ)毘沙門天立像」

「金銅錫杖(しゃくじょう)頭」

8世紀の古い金工品。法隆寺夢殿の屋根と同じデザイン。

龍泉窯「青磁鳳凰耳花入」

龍泉窯「飛青磁花入」

龍泉窯とはめっちゃ貴重品。

中宮寺「天寿国繍帳(しゅうちょう)」

教科書で有名やん。高松塚古墳で見た高句麗女官と同じファッションやん。

ここから天台宗の袈裟シリーズ。めっちゃ比叡山の出展への気合が感じられるわ。

天台宗開祖・智顗(ちぎ)

天台宗第六祖・湛然(たんねん)

赤木氏「赤韋威鎧(あかがわおどしのよろい)」

あとは正倉院にありそうな箱一品。

東大寺「花鳥彩絵油箱」

醍醐天皇の蒔絵箱

徳川家千代姫の愛用調度品シリーズで終了。疲れたビー。

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京都駅八条口で伏見冷酒「伝承」を2合飲んで、近鉄特急で帰宅。

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2017年10月 6日 (金)

則天武后;白村江の戦いを起こした大唐帝国皇后

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則天武后 (講談社学術文庫) [ 氣賀澤 保規 ]
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663年、白村江の戦い。日本側から見た場合、その実態は、扶桑国(大和朝廷)と唐が同盟密約。新羅と唐も同盟密約。扶桑国(大和朝廷)の実権を握っていた中大兄皇子と中臣鎌足が、百済と一心同体だった倭国を滅ぼしました。倭国は、618年、正統南朝を制覇した夷の唐が建国された年に、上宮法皇(多利思北狐)が朝貢を辞め、新たな独立国として日本国を建国しました。

日本の「日」とは、阿弥陀如来の日輪を意味します。阿弥陀如来の化身と敬われた倭王・磐井(倭薈)のもとに生きる国というのが「日本」の意味で、中国からもらったり許可を請うたりしたものではなく、日本人自らが発案し決定し公開し、中国からの独立を高らかに宣言しました。阿弥陀信仰そのものは、百済博士と協力のもと、優秀な倭国博士が難解な仏典を読み解き導き出したものであって、逆に中国僧に教えを説き名声を高めました。むしろ中国側に嫉妬さえ抱かせました。宇佐の小倉池廃寺はもともと小倉東大寺大仏、すなわち阿弥陀大仏が建てられており、白村江の戦い後の唐進駐軍によって破壊され、679年筑紫大地震で崩壊し、野ざらしになっていた腰から下の土台部分を聖武天皇の勅命で奈良に移し、阿弥陀仏を毘盧遮那仏に変えて大仏開眼しました。しかし脇侍は勢至菩薩と観音菩薩であり、阿弥陀三尊をなしていました。

大唐帝国皇帝初代は李淵(高祖)、2代は李世民(太宗)、3代は李治(高宗)。いずれもモンゴル系鮮卑族である。

顔が青白く体がひ弱な高宗に嫁いだのが、70歳を超えても若い男と性交した精力満々の4代皇帝、則天武后。もともと太宗の後宮だったが、道徳寺尼僧として形式的に出家。その後、高宗と結婚。高宗の正后だった、西魏・北斉の王氏、さらに梁(南朝)の簫氏を廃位殺害した。

父親 武氏←出自不詳。

母親 楊氏(栄国夫人)←隋皇帝楊氏の末裔とやんごとなき出自。670年死去。

姉 韓国夫人←高宗がお手つきしようとして654年殺害。

姉の男児 賀蘭敏之←則天武后がもっとも後継者と目していた男児。栄国夫人とも性交しており、671年夫人死去後に殺害。

姉の女児 魏国夫人←高宗がお手つきしようとして666年殺害。

ここから則天武后の実子の話です。ちなみに夫の高宗は683年死去。

(賀蘭俊之)←後継最右翼だったが671年殺害。

長男 李弘←則天武后の恋敵だった簫(しょう)氏の遺女児二人に同情したため675年殺害。

次男 李賢←趙道生と男色行為を行い680年殺害。

三男 李哲←683年5代皇帝中宗に即位。684年葦后粛清に反対し廃位幽閉。

四男 李旦←684年6代皇帝叡宗に即位。ひたすら隠遁しへりくだる。その子が7代皇帝玄宗である。

まず、太宗の貞観の治。北斉の魏徴と太宗の会話集が「貞観政要」。二大ブレインは、北斉の房玄齢と、北周の杜如晦。西魏の府兵制と北魏の均田制は隋の煬帝の時に完成しており、太宗はこれをそのまま取り入れた。太宗晩年のブレインが長孫無忌(←ちょうそんむき、皇后の氏族)と褚遂良(←ちょすいりょう、王義之伝統の初唐三大書家のひとり)。  

高宗のブレインが、文官の長孫無忌と、武官の盗賊出身・李勣(りせき)。その下に、門下省の韓瑗(かんえん)、中書省の来済(らいさい)、尚書省の于志寧(うしねい、鮮卑のやんごとなき出自)と褚遂良(ちょすいりょう)。

653年、女性の陳碩真(ちんせきしん)が反乱。女性で初めて皇帝を僭称した。

655年、則天武后は、長孫無忌と組んで房玄齢の子・房遺愛を殺害、于志寧を失脚させた。

657年、褚遂良と韓瑗と来済を失脚させた。

659年、長孫無忌を失脚させた。

660年、二聖(高宗と則天武后)による垂簾(すいれん)の政。蘇定方(そていほう)率いる水軍が百済を滅ぼした。蘇定方の臣下だった劉仁軌(りゅうじんき)が自ら志願して百済に居残り百済残党を駆除した。百済の臣下だった黒歯常之(こくしじょうし)が劉仁軌に仕えた。

663年、劉仁軌が白村江の戦いで倭国を破った。

667~668年、李勣(りせき)が高句麗を滅ぼした。

669年、李勣が死去。

675年、門下省の張文瓘(ちょうぶんかん)、中書省の赫処俊(かくしょしゅん)、尚書省の劉仁軌(りゅうじんき)と戴至徳(たいしとく)。

684年、揚州で李敬業の反乱。

685年、ラスプーチンのような怪僧、馮小宝(ふうしょうほう)が則天武后の寵愛を受け、政治を牛耳った。名家の薛氏に養子入りし、薛懐義(せつかいぎ)と改名。洛陽の白馬寺の住職にさせ、通い婚の体裁を繕った。

686年、銅匭(どうき)の制と呼ばれる密告システムを導入。凄まじい拷問と残忍な処刑が繰り返されていった。

688年、山東の李沖(りちゅう)、河南の李貞(りてい)、山西の李元嘉(りげんか)、四川の李譔(りせん)が反乱するも、すべて鎮圧された。

689年、坐高30mの夾貯(きょうちょ)大仏が完成。←廬舎那仏!

北涼の曇無讖(どんむしん)が訳した「大方等大雲経」がもっとも重要な経典として位置づけられた。なぜなら、女性が仏の教えを受ける場面が多かったから。女性である則天武后が天下を治める口実が必要であった。

690年、全国各地に大雲経寺が設立された。聖武天皇は則天武后の発想をパクっただけのこと。

このころの則天武后のブレインは北門学士と呼ばれた集団であった。玄宗の時、翰林院学士と改名された。

690年、宗秦客(そうしんきゃく)が則天文字を考案。女性らしさを強調した漢字であった。

690年、国号を周に変更した。

695年、大仏を焼いた咎で薛懐義を殺害。

696年、モンゴル系の契丹が唐に侵略。

697年、酷吏を処刑し、恐怖政治を終わらせた。つまり政敵がいなくなったということ。

697年、宰相の狄仁傑(てきじんけつ)が契丹を撃退。

697年、兄の張易之(ちょうえきし)、弟の張昌宗(ちょうしょうそう)が二人同時に新しい男妾になった。

698年、トルコ系の東突厥が唐に侵略。各植民地に設置した都督府への人的物的補給がままならなくなってきた。大宰府もそのうちの一つ。李哲が皇太子に復位。

700年、狄仁傑が死去。代わって魏元忠(ぎげんちゅう)が宰相に就任。

703年、魏元忠が失脚し、韋安石(いあんせき)と唐休璟(とうきゅうえい)が宰相に就任。

705年、狄仁傑が育てた宰相、張柬之(ちょうかんし)がクーデタにより、張易之と張昌宗を同時に殺害。則天武后は強制的に退位させられた。李哲が中宗として即位。国号を唐に戻した。

705年、その後、則天武后が死去。

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2017年10月 4日 (水)

平城宮趾にて月見

午後診を終え、平城宮趾へ直行。今日は旧暦8月15日。

満月をみながら団子をつまみにビール。

平城京朱雀門の上に中秋の名月。虫の音が秋の深まりを感じさせてくれました。

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二大政党制へ

今はスリムな小池百合子さんが見たい。日本の国益のために働く党づくり、頑張っていただきたい。

終戦直後、日本民主党と自由党の二大政党だった。GHQ、すなわちアメリカ共産党から猛毒を飲まされた国民の一部が、ほんとうの歴史を知らず、幕末明治の先輩方の恩を仇で返す社会党という自虐的な反日政党を作った。

1955年、(なぜ昭和30年の30年体制と言わず西暦の55年体制と呼ぶのか、これも猛毒にいかれたせい)、ゾンビ政党に対抗すべく保守の二大政党が共闘一致した。

いまようやく、アメリカはリベラルの呪縛を解き放たれて保守のトランプ大統領が選挙で選ばれる正気の時代になった。アメリカ植民地に70年以上もされてきた日本も、アメリカ共産党の呪縛から解き放たれて、ソ連や中国ではなく、日本の国益のために働く二大政党制にようやく戻れそうだ。

いまは国際社会、隣国のためにも働く政党であるべきだとリベラルは叫ぶが、隣国は決して日本のために働くことはない。平和のために、まずは隣国を先に説得するのが筋ではないか。

護憲三派、すなわち高橋是清、加藤高明、犬養毅が夢見てきた国家が、ようやく今、現実化されようとしている。

やっぱり外圧の助けがなければできなかった点が、法匪と隣国に揶揄された日本人らしい。

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2017年10月 1日 (日)

気比神宮参拝

今日も晴天。舞鶴若狭自動車道を走って、敦賀まで行ってきました。

敦賀(つるが)はもともと角鹿(つのが)と呼ばれ、任那(にまな)から都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)が敦賀に訪れ、10代崇神大王のもとで数年間仕えたという史実に基づく古代の港町です。

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気比(けひ)神宮を参拝しました。祭神は以下の通り。主祭神は伊奢沙別命(いざさわけのみこと)。またの名を、笥飯大神(けひのおおかみ)、御食津大神(みけつおおかみ)といいます。

ここは、新羅王子・天日槍(あめのひぼこ)の子孫であった息長氏の神功皇后と縁が深い街でもあります。のちに三韓征伐をなさいます。ご主人の仲哀大王と、ご主人の武内宿禰と、妹の玉姫命も合祀されておはします。

仲哀大王は香椎宮(かしいのみや)で暗殺され、神功皇后は豊を、武内宿禰は筑紫を治めました。豊は扶桑国(のちの大和朝廷)、筑紫は倭国(のちの日本国)といいます。

伊奢沙別命(いざさわけのみこと)

笥飯大神(けひのおおかみ)

御食津大神(みけつおおかみ)

仲哀天皇

神功皇后

武内宿禰

日本武尊

玉姫命(たまひめのみこと)

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新羅と任那は仲が悪く、この敦賀あたりも複雑な街だと思っています。

気比神宮は、南朝の後醍醐天皇に味方して足利尊氏に焼かれ、朝倉氏に味方して織田信長に焼かれています。いまの建物は昭和の建造物です。

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気比の松原を訪ねて

奈良時代に渤海使が接待を受けたという気比の松原に行ってきました。

波は穏やかで、すばらしい港でした。

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レーダーが見えたので海上自衛隊のイージス艦かと思ったら、太平洋セメントの船でした。

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