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2017年5月27日 (土)

橿原考古学研究所附属博物館「弥生絵画」をみて

午前診を終え、弥生人の落書きを見てきました。

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人物以外には、サメ、魚、鹿、鳥、すっぽん、とんぼ、船を題材に書いたものが多いようでした。古代の海面は今より高く、近海にまでサメが泳いでいたのかもしれません。「因幡の白兎」もあるくらい身近だったのかも。

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人物の顔には刺青がありました。サメを脅していたのか?

唐古・鍵遺跡から出土した土器には、木に吊り下げられた銅鐸、楼閣に上っている人物、鳥の羽を着た人物なんかが描かれていました。こんな落書きから、実際の宗教儀礼が復元されたようです。

中国から伝来した龍と稲妻が描かれた土器も多数あって。稲妻の主と思われていたのかもしれません。三国時代に呉(いまの上海あたり)の兵隊が畿内に脱走して、三角縁神獣鏡を作ったとされていますので、さもありなんという感じです。

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2017年5月24日 (水)

公道カート、レンタル自転車、金属中毒、共謀罪

中国北京では、自動車の過密渋滞を避けるために、安価で乗り捨て自由のレンタル自転車が流行しているそうです。高発癌性PM2.5入り黄砂スモッグの改善につながればいいのですが、不法投棄が相次いでいるそうです。

ヒ素入り食用油、漂白剤入りモヤシなどを筆頭に、毒入り食物は、相変わらず健在だそうです。

東京では、公道カートなるものがシートベルトなしで走っているようで、交通規則を守らなかったり、スカーフや毛髪がタイヤに絡まって死亡事故を起こしている模様。公道カートの坐高が低く、自動車のミラーからは見にくく、車線変更時の事故も多いようです。

パソコン、スマホ、携帯電話には「都市鉱山」と呼ばれる貴金属が眠っています。そのゴミを日本から東南アジアに不法輸出して、その原住民がICチップを湯煎して、気化した有毒ガスを吸って死者が続出してます。平城京で奈良大仏を作る際、同じような金属中毒が起こりました。

共謀罪はまだまだ生ぬるいです。スパイ防止法、懲役10年以上の罰を用意すべきです。戦前の治安維持法と同じだとパヨクは宣伝していますが、天皇を共産主義国家元首として祭り上げて、社会主義革命を起こそうとたくらんでいた三木清ら容疑者たちを刑務所送りにするのはごく当然のことです。「天皇陛下万歳」と叫べば、すぐに釈放されたという話もあるくらいゆるゆるの法律でした。彼らが非難する「大政翼賛会」の主力メンバーは、近衛文麿を筆頭に同じムジナの共産主義者であって、単なる内ゲバでした。

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2017年5月23日 (火)

「水辺のメロディ」をみて

ブルーシャトウ、懐かしいですね。替え歌を歌ってました。

森とんかつ、泉にんにく

かーこんにゃく、生まれ天ぷら

「憧れのハワイ航路」、これも終戦直後の名曲。原曲はとにかく動悸がするくらいテンポが速い。コント55号・坂上二郎さんの18番です。

オカッパル節は、一気に高音から始まるのが特徴です。

「湖畔の宿」 もうこれは、特攻隊員のアイドル高峰三枝子さんしか歌えません。

「琵琶湖周航の歌」は私の愛唱歌。旧制第三高等学校はいまの京都大学ではありません。旧制三高卒業生の半数は東京大学に進学していましたので。

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2017年5月21日 (日)

マンゴスチンを食べました

なかなか甘くておいしいです。

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2017年5月20日 (土)

第34回食物アレルギー懇話会に出席して

午前診を終え、梅田駅周辺のABCマート8階のレンタル会議室に行ってきました。

なかむら小児科開院当初からまる13年間やっている緩徐経口免疫寛容療法が、広く行われるようになってきていて、とくに市立八尾病院小児科の症例報告を興味深く聞きました。牛乳の免疫寛容療法にはいずこも苦労しているようで、牛乳1mlすら飲めないこどもは、なかなか治療の軌道に入ることができません。そこで、導入初期段階で乳つなぎ負荷試験を行っていけば、うまくいくという発表でした。

小麦アレルギーがないことが前提で、牛乳3mlを含有したクッキー、あるいは牛乳25mlにホットケーキ粉25gを溶かして作ったホットケーキを用いる方法が参考になりました。

三重県のアレルギーセンターから長尾みづほ先生が招かれて講演されました。タカラジェンヌの花總まりちゃんに顔がよく似ていますね。エジプト旅行からようこそお帰りなさい。2016年版食物アレルギーガイドライン作成の裏事情が聞けて勉強になりました。2017年にも改訂があるそうです。

食物アレルギーを起こすリスク

.1.離乳食開始の遅延

2.秋冬生まれ(日照時間の短さ)

3.家族歴(原因遺伝子)

4.皮膚バリアの機能不全

ガーゼでゴシゴシ洗うよりは、よく泡立てた石鹸を用いて手で沐浴させるだけで、湿疹の重症度は軽減し、食物アレルギーへ移行するリスクが軽減するというものでした。

アトピー湿疹があるベビーには、生後6か月から加熱卵を積極的に摂取させると食物アレルギーが抑えられるそうで、私は、生後4か月に果汁とお茶を開始、生後5か月におもゆを開始。野菜スープやペーストを食べて、ある程度の咀嚼訓練ができた時点、つまり生後6か月あたりから、小麦や魚に加えて、卵や牛乳を含めた回転食を指導しています。

近未来の食物アレルギー治療方法の紹介がありました。

アナフィラキシーを起こさず、安全に免疫寛容を誘導するという目的から、胃酸に対し安定で唯一経口摂取できるサイトカインTGF-βを食べさせながら、食物負荷試験を行うという方法が紹介されました。

スギ花粉の舌下療法で、小麦アレルギーが軽減するケースが多いそうで、積極的に食物抗原の舌下療法を試していますが、プロトコール脱落者が多いのが難点とのこと。

なかなか微量すら食べられず、経口負荷試験にエントリーできない子供に対し、経皮免疫療法(EPIT)が考えられています。親水性ゲルパッチを正常皮膚に貼るだけなのですが、乾燥肌やアトピー皮膚に貼ると逆に感作増悪してしまうのが難点です。貼付部位が発赤してかゆみがあることも難点です。

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2017年5月18日 (木)

今が旬

奈良産のほうれん草

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2017年5月17日 (水)

NHKBS「4人のモナリザ」をみて

モナリザの謎を解く面白い番組でした。

いまのモナリザで描かれている女性は、リザではなくパティフィカという名の女性。ローマの王、ジョルダーノ・デ・メディチの要請で、彼の愛妾パティフィカの肖像を急いで書く必要がありました。

なぜか?

恋多きジョルダーノは、ある教会に捨てられた捨て子を養子にしたのですが、その子が母親を恋しがっていたために、ダビンチにパティフィカをモデルにして、母親の肖像を急いで書いてくれと頼んだのでした。パティフィカはジョルダーノのこどもを妊娠していたのですが、カトリックでは妾の子供は認められず、妊娠をひた隠しに隠し、出産直後に急死しました。

そこでダビンチは、制作を急ぐあまり一から絵を製作することなく、リザの肖像の上に、パティフィカの肖像を塗り重ね、右に向いていた目を正面に向かせて、喪服をまとわせました。

パティフィカの肖像の下に、本物のリザの肖像がありました。パティフィカより頬がスリムで、当時、フィレンツェで流行していた服をまとっていました。袖がリボンで取り外し可能で、柄をいろいろ選べ、袖が汚れたら洗濯も自在にできたようです。ダビンチは50歳になっても、75歳のエリート官僚の父親に、住む家の世話になっていたのには驚きました。修道院の一室を与えられたようです。

ダビンチ・パパの仕事上のお得意さんの奥さんがリザで、ダビンチ・パパがダビンチにリザの肖像を描くように仕事を斡旋して、1503年に書き始めたようです。

ダビンチはすぐにフィレンツェからローマに招かれたために、リザの肖像は未完成のままでした。

私はいまのモナリザより、下絵に書かれていた本物のリザの復元絵画のほうが好きですね。マグダラのマリアだとか、テンプル騎士団だとか、フリーメイソンだとかいろんな憶測を生んできましたが、真相はもっと人間臭い、生活のためのお金の事情があったようです。

1515年にはマルチンルターの宗教改革があり、その後ドイツは血みどろの宗教戦争を繰り返すわけで、地獄が差し迫らんとするその間隙をついて、ダビンチがカトリック最後の光を放ったのですね。

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マリモ

マリモは少しずつ波の動きに合わせて、場所を変えながら成長していきます。

大きくなったマリモは中が空洞になっていて、秋の嵐の時期に湖岸に古くなったマリモは打ち上げられます。

バラバラになったマリモは、冬の野鳥たちの餌になります。

湖心に残された若いマリモは、厚い氷に守られて、次世代の繁栄を引き継いでいきます。

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2017年5月15日 (月)

高速道路料金が大幅値上げ

阪神高速が6/3から大幅に値上げになる。片道930円→1260円

第二阪奈道路は820円据え置き。

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2017年5月11日 (木)

いま流行っている病気

1 溶連菌感染症

2 ヒトメタニューモウィルス感染症

3 アデノウィルス感染症

GW中に、奈良旧市内中心にインフルエンザA/Bが出ていましたが、このあたりまでには届かなかったようです。大和郡山方面からヒトメタニューモウィルスが北上しています。

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2017年5月 6日 (土)

奈良国立博物館特別展「快慶」をみて

午前診を終え、特別展「快慶」をじっくり見てきました。

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「平氏は悪、源氏は善」という頼朝のプロパガンダに一枚乗った重源。彼は焼けた東大寺大仏を再建したのですが、実は大の阿弥陀仏ファン。

快慶も阿弥陀仏ファンで、重源に非常にかわいがられていたそうです。

偉くなるにつれ、サインが変わります。しかし法印にまで出世した運慶の後塵を拝することにはなるのですが。

仏師快慶

巧匠アン(梵字)阿弥陀仏

巧匠法橋快慶

巧匠法眼快慶

残念ながら法印にはなれませんでしたが、ええやん、ワシ好きよ。

興福寺、海住山寺と渡り歩いた解脱上人・貞慶(じょうけい)と仲良しだったそうです。

快慶の仏の顔は柔和、袈裟が金ピカで文様が入っているのが特徴ですが、晩年になればなるほど、袈裟のたるみが片方、両方と増えてきます。

逆修(ぎゃくしゅ):生前に本人が自分の供養をすること

快慶は後鳥羽院の逆修のプロデューサーも勤め上げました。

安阿弥様(あんなみよう)と呼ばれた90cmの「三尺阿弥陀」を大量生産し、願いを聞き届けてくれそうな救いの顔が特徴です。この顔の表情づくりに快慶は一生を捧げました。

日本全国は言うに及ばず、アメリカからも仏像が大集合してますので、必見でっせ。

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2017年5月 5日 (金)

倭国に小児科医院が存在していた

条里制の倭国の首都(倭京)が618年に完成し、観世音寺で紅葉賀(落成式)が催され、青海波が舞われたとき、すでに小児科医院が存在していました。

小児科は内科とは一線を画し、多くの経験則が幅を利かす分野です。

継体が不意打ちをかけて、倭国を滅ぼしかけたために、城郭がないことで中国では噂だった倭国でしたが、はじめて城郭を築きました。これが「水城」です。白村江の戦いの後、郭務悰によって岩石を剥がされ、土と小石だけの丸裸になっています。

また、筑豊の大和三山を眺めることのできる豊葦原中津国(とよあしはらなかつくに、福岡県鞍手町あたり)に、ずらりと古き宮が並んでいたそうです。継体(磐余玉穂宮)、欽明(磯城島金刺宮)、天智(近江京)、天武(飛鳥浄御原宮)などなど有名どころがスラリと、まるでアパートのような感じ。

「ちょっと、そこ、どいておくれ。」と言ったかどうかはわかりませんが、隙間隙間に宮が並んで、豪華さを競い合っていたそうです。

壬申の乱は、琵琶湖のような広範囲な乱ではなく、同じ長屋の隣同士の喧嘩みたいな狭い範囲の乱だったようです。形勢は、周囲の豪族の同情を買った大海人皇子の勝ちだったそうで、大友皇子は古遠賀湾あたりに入水自殺したとか。

だいたい、白村江の戦いで唐によって多くの兵隊が殺された直後に、大規模な乱を起こせるわけがない。

大友皇子側の豪族も抵抗が弱く、すぐに大海人皇子側に寝返ったので、極刑を免れました。藤原不比等も天武に殺されずに済んだわけ。

ちなみに天智天皇が作った庚午年籍(←北九州で一部発見された)は、唐へ冊封したときにすべて献上したために、日本に残っているわけがないようです。

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2017年5月 3日 (水)

Kalafinaコンサート「9+one」に行ってきました

大阪フェスティバルホールへ、生のKalafinaを聴きに行ってきました。3階席最前列で、Wakana側で最高でした。危ないから立ち上がってはいけないと言われ、これ幸い。1階席はめっちゃ疲れたんとちゃいまっか?誰が座ってはるか、よく見えました。

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Kalafinaを知ったきっかけは、アニメソングが一番多いのでしょうが、私はNHK「歴史ヒストリア」です。アニソンはよくわからんとばい。

今回は、「storia」「光の旋律」,アンコールラストで「symphonia」を聴けました。大感激、とてもすばらしいハーモニーでした。万葉集に描かれた古代ロマンや、武士や幕末志士たちの息遣いが感じられました。

アニソンおたくの嫁は、大好きな「to the beginning」をはじめ、なかなかYoutubeでも聴けない「Kyrie」が生で聴けて大感激してました。「believe」はアカペラですごい歌手たちだと申しておりました。あと「oblivious」は声が裏返っていたとかで、声の荒遣いを心配していました。ご自愛くだされ。

おそらく日本国民は、ネット・アクセス数が国際レベルのKalafinaが日本代表として、東京オリンピックで歌うことを期待しているはず。いま一押しの「into the world」が選ばれることを祈ってます。NHK紅白歌合戦のスタッフはまったく見る目がない。

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2017年5月 1日 (月)

謎が解けつつある古代史

本居宣長もびっくりの、日本書紀を詳細に分析した福永晋三氏や、古代寺社の礎石や建築構造を分析した米田良三氏、武内宿祢の伝承者といわれる竹内睦泰氏の説が見事に一本の物語を完成したようだ。

神功皇后と武内宿祢が分裂して、竹内氏の話では仲哀大王が殺されたようだ。神功皇后側の歴史(豊国)が日本書紀に残されていて、倭京(大宰府)&遣隋使の阿毎多利子比(北)狐の記述だけが武内側の歴史(筑紫国)としてのぞいている。武内側の倭国の歴史は、中国側の資料で倭の五王として記述されているのみ。

筑紫が中国への冊封を辞め、天皇として独立を宣言し、遣隋使を送り、煌めくばかりの仏教文化、とくに阿弥陀信仰を完成させ、律令制や憲法を敷き、白村江の戦いで、主力だった御笠水軍が完全敗北した。

唐と不戦密約を交わしていた豊の中大兄皇子は、遠賀水軍で筑紫をいったん制圧したが、1年で唐から釈放されて帰国した薩夜麻によって、壬申の乱で敗北。薩夜麻の弟(皇太弟)である筑紫の大海人皇子が奈良の飛鳥浄御原宮、やがて藤原京へと遷都した。

平安時代の藤原道長の世の前後に、どういうわけか筑紫の歴史が世に現れる。多利子北狐のこどもである和歌彌多弗利(わかんどほり)が源氏物語に登場し、光源氏を中心とする筑紫の輝かしい歴史が紹介された。

さすがにこれを書いちゃまずいと、不都合な記事を捏造したつもりが、観世音寺の名が源氏物語に残ってしまう。

しかし、ところどころに考古学的証拠が出てきてはいるものの、まだまだ足りていない。なによりデータが捏造されており、なかなか宮内庁の抵抗が強いようだ。

また百済や新羅が倭国を一方的に指導したと吹聴する説があるが、百済王子や新羅王子の人質が数多く倭国に来ていたことをどう説明するのか?倭国側から多くの有能な人材が朝鮮半島にわたり、中国から伝来した鉄原料および加工法を持ち帰り、精巧な木工文明と融合させてきたのである。なにより、神武天皇のころには、ヨガのインド人が修験者となって北九州・四国・和歌山に来日し、草薙の鉄剣を日本にすでに伝えている。

第二次朝鮮戦争から米中戦争に発展しそうな現在、万世一系を信じ込まされて、共産主義コミンテルンの策略で殺された特攻隊員の惨劇は、ぜったいに繰り返されてはならない。

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