大阪市立東洋陶磁美術館「汝窯青磁」をみて
今日はサクッと車で中之島まで行ってきました。
汝窯
北宋第8代徽宗が作らせた幻の汝窯青磁を5点、清第6代乾隆帝が模倣して作らせた青磁を1点見てきました。
光が吸い込まれるようだと、テレビ番組「日曜美術館」でやってましたが、なかなか難しかったです。私の目で確認できたのは、底面の淵には青い釉がたまっていました。
釉薬を不完全燃焼させると青色になり、沸騰した小さな気泡が釉薬に閉じ込められ、溶けきれず釉薬の黒い結晶が原因で、光が籠って見えるそうです。釉にはメノウ(瑪瑙)を混ぜてあるそうです。
一言で言えば、
傾国の青磁
材料費に惜しみなく国家予算を注ぎ込んだ末に、北からモンゴル系民族の遼が攻めてきました。挙句の果てに、女真族の金に滅ぼされ、南に逃れ南宋と名乗ることになるのです。
筆を洗ったのか、手を洗ったのか、犬や猫の餌桶だったのか?
図録(3000円)を買って、二つのDVD放映を見て、常設展へGo
青磁は呉越国の越窯で生まれた
父親が朝鮮人、母親がモンゴル人のパターンで高麗王朝は継承されていきましたが、その高麗が生み出したのが、高麗青磁。
その高麗青磁の源泉は、呉越国でも有名だった越窯でした。
後周の世宗が製法をパクッて柴窯で青磁を作らせた
菅原道真が遣唐使を廃止した後も、藤原氏と呉越国は交易を盛んに行っていた。その呉越国が越窯を所有していたが、軍事国家・南唐に越窯を奪われた。後周の世宗は何度も南唐を侵略し、越窯の陶工を連れ去り、柴窯で青磁を作らせた。
南北統一を果たした北宋が釣窯で青磁を作らせた
柴窯はこのとき破壊されて、いまだに窯跡は発見されていない。
20年という短期間だが、北宋の徽宗が汝窯で青磁を作らせた
青磁専門で、がんがん焼いては割ってを繰り返し、逸品を皇帝に献上した。
北宋が金に滅ぼされ、南宋が龍泉窯で青磁を作らせた
汝窯の製法は雲散霧消。
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