今日は、三宮の神戸市立博物館へ行ってきました。

世界史の教科書に書いていない超古代ギリシャの出土品からマケドニア文明まで、総力を挙げて展示していました。
1 キュクラデス文明
石器で目立つのは、男性・女性のヌードがとにかく多い。日常的に使う土器に乳房が付いている。人体に対する興味が世界中で一番強かったのではなかろうか。これが医学を生み出す原動力になったはず。
粘土の仮面形容器、大理石のフライパン形容器が特徴だが、用途が全く不明。
ギリシャ正教で用いられた香油入れ(カンデラ)に似た、大理石のカンデラ型容器もあるが、これも用途不明。
帽子形土器、大理石の石皿は、日用品というより副葬品とされているが、用途不明。
2 ミノス文明(BC3000~BC1100)
クレタ聖刻文字、線文字A、線文字Bが登場。粘土板に書かれている。
クノッソス宮殿があり、葡萄酒甕には、巻貝、タコ、海藻が描かれている。とにかくタコがでかい。巨大タコが地中海に住んでいたのではないか。
祭祀グッズをリュトンと呼び、泥岩や粘土や巻貝や銅板を使っていたようだ。「牡牛」を崇拝していた。人間や鳥などを刻んだ金製印章指輪も特徴的だ。
花を形どった金製細工はすごい。ネックレス、ペンダント、イヤリングもある。
テラ島は火山噴火でうずもれており、(ポンペイのベスビオス火山と同じ)、日用品が出土。水差しには乳房が付いている。お好きだね。
3 ミュケナイ文明(BC1600~BC1100)
世は戦国時代なのか、高台建築が特徴的だ。銅剣、イノシシ牙の兜、戦士の象牙彫りも登場。
キュリクスと呼ばれる高脚杯が特徴的だ。
副葬品には、金杯、パピルスの花を形どったネックレスがあり、とくにエジプトから輸入された玉髄のネックレスが人気だったようだ。
あとは細かく線刻された金製印章指輪、ディアデマ(金製冠)。
リュトン、牡牛信仰、ヌード土器はミノス文明を引き継いでいる。
「黄金のミュケナイ」と呼ばれ、金細工板に幾何学的文様が規則正しくふんだんに刻まれている。さすが幾何学が生まれるわけだ。日本の縄文人はギリシャ人に比べ、閑人的理系的発想は乏しい。たぶん実用性を追求したからだろう。
4 暗黒時代(BC1100~BC900)
キプロス島から鉄器が伝来した。
5 幾何学様式時代(BC900~BC700)
壺に幾何学文様が描かれた。
貯蔵・運搬用 アンフォラ
水甕 ヒュドリア
混酒器 クラテル
酒杯 キュリクス・スキュフォス・リュトン
注酒器 オイコノエ
香油入れ レキュトス・アリュバロス・アラバストロン
化粧箱 ピュクシス
BC8世紀にポリス(都市国家)形成。
BC776 第1回オリンピック
6 東方化様式時代(BC700~600)
アッシリアに圧迫されたオリエント人がギリシャに流入。オリエント由来の動物や植物のモチーフに変化。
7 アッティカ黒像式時代(BC600)
神々や人間を描いた。
8 アルカイック時代(BC550~BC480)
大理石を用いて、大型神殿を築いた。
クーロス(男性裸体像) エジプトを模倣し、筋肉マンに変化させた。
コレー(女性着衣像)
いずれも笑顔で、「アルカイック・スマイル」と呼ばれる。
リディア由来の鋳造貨幣がギリシャでも鋳造された。
BC530 アッティカ赤像式の技法が発明された。
9 クラシック時代(BC480~BC323)
アテネがアッティカ赤像式技法を独占。パルテノン神殿を築いた。
オストラコン(陶片)とオストラシズム(陶片追放)
第3回ペルシャ戦争のBC480サラミス海戦で戦功のあったテミストクレスが、BC472オストラシズムでアテネから永久追放され、小アジアに居を構え、ペルシャ王に仕えた。
有罪の投票具、無罪の投票具、抽選器(クレロテリオン)
アテネのドラクマ銀貨(アテナ女神とフクロウが描かれた)
10 古代オリンピック
最初は、190m短距離走だけだった。
競技者は、自前のアリュバロス(香水入れ)に入れた香水を塗って、競技した。
競技後、ストレンギス(垢掻きヘラ)で肌の油や砂を掻き落とした。
11 マケドニア王国
金を豊富に産出し、スタテル金貨を鋳造した。
12 ヘレニズム時代(BC323~BC31)
BC200 ミロのヴィーナス
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