« 2016年9月 | トップページ | 2016年11月 »

2016年10月30日 (日)

西宮神社参拝

西宮神社へお参りに行ってきました。祭神は4柱。

第1殿 蛭児大神

第2殿 天照皇大神 と 大国主大神

第3殿 須佐之男大神

Dscn0957
Dscn0948

|

2016年10月29日 (土)

京都国立博物館「坂本龍馬」と聖護院を訪ねて

午前診を終え、近鉄特急で京都国立博物館へ行きました。

Dscn0932

龍馬書簡がずらりと勢ぞろい。

家督相続を嫌がる兄・権平への書簡。自分はいつ死ぬかもしれない身なので、兄・権平の娘に婿養子をとらせて、坂本家を継がせるように進言。

下関の伊藤九三宅に居候。何通も近況報告しています。龍馬が愛用していた茶碗。

龍馬佩刀の刀3本セット。

坂本權平への書簡。大政奉還して世の中が変わる変わると言われちゅうけんど、なんちゃー、変わっておらんぜよ。

龍馬書簡「越行の記」、後藤象二郎宛。三岡八郎(由利公正)に会って、天皇の御名で新金札発行すべしと聞いた。金銀物産を任せられるのは、この三八(龍馬はこう呼んだ)をおいてほかにない。

龍馬新婚旅行の報告。

おりょうの機嫌をとるために作った龍馬の即興歌。

こいわしはんのほかとやら

あなとのせとのいなりまち🎵

聖護院へ移動。役行者と不動明王たちが祭られています。

Dscn0941
Dscn0938

天明の大火災で御所が焼きだされ、光格天皇が仮の御所として使用。寝室を嫁さん好みに改造。寝室では上下関係なく無礼講の構造でした。にゃんにゃん。

蔵王権現が役行者の目の前に現れた姿をそのまま模写した仏像がありました。

太公望の間の狩野永納が描いた絵。

宸殿にある天皇の高座。そのうしろに波の絵。手前のふすまにもその続きの波の絵。欄干の両端にわざとネズミが通る穴があけられている。実際、ネズミが通った足跡が残っているらしい。

|

2016年10月27日 (木)

第68回正倉院展を2回目見ました

午前診を終え、大阪の友人を正倉院展に招待案内しました。「大学への数学」の名物コーナー数学受験体験記ふうに書いてみましょう。

14時45分に奈良国立博物館に到着。待たずにチケットを買い待たずに入場できました。

バスツアーと思わしき団体客が入るのを横目に見て、第1部はゆっくり譲りながら、すいているコーナーを閲覧していきました。すると徐々に客数は減少傾向にあったので、じっくり第1部を閲覧。

16時半になると待ちかねたオータムレイトチケット客が押し寄せるのがわかっており、第2部はでかい展示物ですぐ見終わることがわかっているので、とにかく第1部を徹底的にじっくりと時間をかけました。もう飽きましたの合図で、第2部へ移行。さらりと見て、磁皿と鈴はじっくり時間をかけてみました。

第3部にはいったところで、明らかに客の波が怒涛のように流れてきました。オータムレイト組が第3部に来るには早すぎます。なんかほかのバスツアー客、小学校修学旅行生とお見受けしたので、おもむろに友人とベンチに座ってくつろぎました。

オータムレイト組が第3部に到着しては元も子もないので、減少傾向の頃合いを見てじっくり閲覧できました。

友人の感想は、「鈴とガラス玉が一番良かったです。古代にもガラスがあったんですねえ。」ヒスイやメノウの勾玉づくりの技術は十分発達していましたよと説明いたしました。

17時15分、退館。全6問中、完答5問、半答1問の出来でした。明日2日目の英語の試験に向けて足取り軽く帰宅いたしました。

|

2016年10月26日 (水)

いま流行している病気

1 咽頭痛を伴う咽頭炎

2 (嘔吐を伴う)溶連菌感染症

3 マイコプラズマ感染症

RSウィルス感染症、おたふくかぜ、感染性胃腸炎はチラホラみかけます。インフルエンザはまだ見かけません。

高熱だけで上気道症状がない患者さん1例がサイトカインストームで血球貪食症候群(VHAS)でした。ほかに川崎病や白血病も可能性がありますので、受診してください。

|

2016年10月25日 (火)

後藤又兵衛、男でござる

子どものころから憧れていた武将です。三国志でいえば、関羽になるかな。

鉄人28号の歌にもあるよね。

良いも悪いも リモコン次第♪

敵に渡すな 大事なリモコン♪

大事なリモコンをレーニン・スターリンに渡してしまった大日本帝国陸軍および海軍。

死せる黒田官兵衛、後藤又兵衛を走らす。

親方様・黒田如水の無念を晴らすべく、槍一本で大坂に馳せ参じた後藤又兵衛。

|

2016年10月22日 (土)

第68回正倉院展をみて

午前診を終え、正倉院展に行ってきました。金土日は20時まで開館時間が延長になり、ホテル帰りの必要がない地元民にはラッキーでした。

17時半のオータムレイトチケットを待たず、16時半に入場。最初は混雑していましたが、18時半ころから第1部は見放題に様変わり。

Dscn0925

まず一番人気が、

漆胡瓶(しっこへい)

鹿、白鳥、草花、蝶の模様がちりばめてありました。平脱技法といって、金銀板を漆面に貼り付け、漆を塗りこめてから漆塗膜をはがして作られました。

出入帳(しゅつにゅうちょう)

病気がちな聖武天皇のために漢方生薬が取られたり、仲麻呂の乱に対する備えとして、太刀、弓、鎧が取られたり、時系列で一巻の書物に記載されています。

東大寺の僧侶や貴族たちの署名がなかなかいい。行列のできるコーナーです。

寺の要職が三綱(さんごう)といって、上座・寺主・都維那。

良弁のあとを、安寛と平栄が争い、安寛が勝ち取ったようです。

天平宝字六年十二月十四日

大僧都 良弁

少僧都 慈訓

律師 法進

三綱(さんごう)上座 安寛

都維那(ついな) 承天  

可信(かしん) 法正

主典 阿刀・連・酒主

造寺司判官 上毛野・公・真人

高麗朝臣 福信 ←帰化人

藤原朝臣 上満侶

粉地金銀絵八角長几(ふんじきんぎんえのはっかくちょうき)

グラデーションがない簡素な机でした。

竽(う)笙(しょう)

奈良時代の楽器です。

大幡芯裂(たいばんのしんぎれ)

和紙の町で有名な高知県伊野が和紙でなく絹布を調として納めていたようです。

磁皿(じざら)

緑釉と白釉の二彩でした。

瑠璃玉付きの鈴

和同開珎 和同元年(708)に鋳造

神功開宝 天平神護(765)に鋳造

撥鏤飛鳥形(ばちるのひちょうがた) ものすごく小さかったです。

御野国の最古の戸籍(702年)

天平11年(739)賑給(しんごう)の名簿

困った人たちに対する特別給与のこと。受給対象は以下のごとし。

高年(こうねん) 80歳以上の老人

鰥(かん) 妻のない60歳以上の男性

寡(か) 夫のない50歳以上の女性

惸(けい) 父母のない16歳以下の子供

不能自存者(ふのうじそんしゃ) 一人で生活できない者

|

2016年10月20日 (木)

特別展「呉越国」をみて

午前診を終え、大和文華館へ行ってきました。

Dscn0911

黄巣の乱で唐が滅び、五代十国の時代になります。

北半分は、後梁・後唐・後晋・後漢・後周が王朝交代していきますが、南半分は十国に分裂して、お互い緊張関係を保ちながら、独自の文化をはぐくみました。

とくに杭州を中心に越の陶磁器文化をギュッと凝縮した呉越国はすばらしく、日本とも交流がありました。

936年 藤原忠平

947年 藤原実頼

953年 藤原師輔

953-957年 天台宗の日延が呉越国に留学

894年に菅原道真が遣唐使を廃止しましたが、そのあとも日中交易は続いていたのです。

上海・呉を中心とし、唐文化の一番おいしいところを持ち、飲めや歌えやの宴会をしていたのが、お隣の南唐。呉越国は官僚主義でしっかり税金を取り立てて、平安時代の日本とも交易を続け、しっかり国家運営をしていました。

初代 銭鏐(せんりゅう)、母が水丘氏

銭鏐は、黄巣らとともに塩鉄の密売を行っており、下克上によって後梁から呉越王に任ぜられました。

2代 銭元瓘(せんげんかん)、嫁が馬氏

3代、4代は短命で、

5代 銭弘俶(せんこうしゅく)

呉越国は道教の国でしたが、仏教にも信心深く、保護していました。

饒益神宝(にょうやくしんぽう)

859年に日本の貞観の治で鋳造された銅銭が、杭州・雷峰塔に大切に保存されていました。饒益という仏教用語に深く感じ入った呉越国王がコレクションとして奉納したようです。古き良き日中関係と言いたいのでしょう。尖閣は日本固有の領土です。

阿育王塔

阿育王とはマウリア朝インドの王様で、仏教を保護したことで有名ですが、5代銭弘俶がえらくアショカ王に心酔していて、阿育王塔を大量生産させました。日本人もそれをありがたがって日本に持ち帰って、でっかい有力仏教集団だった多武峰寺の坊主にいたるまで、洋行帰りのおみやげとして珍重していたようです。福岡博多の鴻臚館から出土した青磁器なんかずらりと陳列していましたが、まったく呉越国のものと瓜二つ。平安日本が、どんだけ呉越国に影響されていたのかがわかりました。

呉越国は銀が豊富だったようで、阿育王塔も銀製のものがあったり、銀でお経を書いたりしていました。

白玉製・雲龍形飾

白玉製・牡丹形飾

白玉製・鳳凰唐草文簪

なんせ呉越国の職人の仕事が細かいこと。青磁器や鏡にも線刻して文様を描くし、白玉もいろんなデザインで切り刻んでいる。

水丘氏と馬氏のギャルたちの墓から出土した出土品もギャルらしくていいですね。小っちゃくてオシャレ。

とくに水丘氏の青磁合子は形も滑らかで最高にいい。蓋もぴったりと閉じるように精巧に作られている。すごいぞ、景徳鎮。

平清盛が宋からウハウハと銅銭や青磁器や白磁器を買いあさるずっと前から、日本に輸入されていました。宋の文化が唐よりも栄えた理由は、呉越国最後の王、銭弘俶が国内を荒らさないことを条件に宋に禅譲したからです。

|

2016年10月16日 (日)

舞台「真田十勇士」をみて

昨日は兵庫県芸術文化センターまで、「真田十勇士」を見に行きました。

てなもんや三度笠をモデルとした関西バージョン。

「垂直歩き、からのー、ただ降りるだけ。」

EXILEのダンスに始まり、どこまでパロディを理解できるか、世代争いされてみてはいかがかな?

|

2016年10月15日 (土)

今日、明日は伊勢神宮神嘗祭

今年も無事に稲が実りました。天照大神に感謝いたします。

|

2016年10月10日 (月)

住吉神社、櫛田神社を参拝

大阪の住吉大社より以前からある博多の住吉神社を参拝しました。祭神は筒男の3柱。筒とは星の意味です。航海には太陽、月、星が欠かせませんね。

底筒男神(そこつつのをのみこと)

中筒男神(なかつつのをのみこと)

表筒男神(うわつつのをのみこと)

Dscn0872
Dscn0876
Dscn0880
Dscn0882

川端通商店街沿いにある櫛田神社へGo。祭神は土地神の大幡主命(おおはたぬしのみこと)ですが、スサノオの嫁だったクシナダヒメを祭っていたそうです。博多どんたくの山車が展示してありました。

Dscn0895
Dscn0902
Dscn0900

「ちんや」で名物すき焼きを食べて、新幹線で帰還しました。

|

2016年10月 9日 (日)

香春(かわら)神社、宗像大社、志賀海神社を参拝

早朝からレンタカーで香春岳に移動。香春神社を参拝して、隣家の宮司さん(赤染さん)を訪ね、御朱印を記帳してもらいました。祭神は3柱。

香春一の岳(畝傍山)

 辛国息長大姫大自命(からくにおきながおおひめおおじのみこと)

香春二の岳(耳成山)

 忍骨命(おしほねのみこと)

香春三の岳(天香久山)

 豊比咩命(とよひめのみこと)

春過ぎて夏来るらし白妙の 衣ほすてふ天の香久山

春が過ぎて夏が来て、ほかの山々は緑に染まっているのに、天の香久山だけは神の白い衣がかかって、真っ白に輝いている。

Dscn0731
Dscn0741
Dscn0745
Dscn0746
Dscn0750

山頂から轟音を立てて落ちてきた巨岩が祭られてました。

Dscn0759_2
レンタカーで、近くの鏡山大神社に移動。神功皇后と仲哀天皇が祭られています。

Dscn0764
Dscn0770
Dscn0773
Dscn0776
神社構内の河内王陵を参拝しました。

Dscn0781

田川市石炭歴史博物館に移動。香春岳、またの名を大和三山、を見て、大いに感動しました。

Dscn0799
Dscn0802
Dscn0809
Dscn0820

高速道路にのって、神湊(こうのみなと)へ直行。馬乗り広場に駐車して、鯛茶漬けと生うに丼を食べました。むっちゃ、おいしかったですよ。

久しぶりの宗像大社を参拝。前回は雷雨の中の参拝でしたが、今回は日本晴れ。祭神は女神3柱。

市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)

湍津姫神(たぎつひめのかみ)

田心姫神(たごりひめのかみ)

Dscn0826
Dscn0828

Dscn0831_2
Dscn0832
Dscn0833
Dscn0834

宗像・沖ノ島「大国宝展」をじっくり見てきました。すべてが国宝です。メインは金製指輪ですが、3階終わりのほうで展示してました。2階には銅鏡がずらりと展示。文様柄で、時代が推測できるのですね。勾玉、奈良三彩、唐三彩なんかもけっこうありました。金銅製高機もじっくり見ました。

馬具も多く、奈良の藤ノ木古墳と関連が深いという解説でした。

渋滞が何か所かありましたが、宗像大社の近くの海をこの目で見たくて、海沿いの行路をとりました。

志賀島の志賀海神社へ直行。風が強く砂が吹きすさんでいました。祭神は男神3柱。安曇氏の神たちである。

仲津綿津見神(なかつわたつみのかみ)

底津綿津見神(そこつわたつみのかみ)

表津綿津見神(うはつわたつみのかみ)

Dscn0842

Dscn0844
Dscn0850
Dscn0855
Dscn0858

志賀島を一周して博多へGo。

|

2016年10月 8日 (土)

筑豊を訪ねて

午前診を終え、新神戸駅から新幹線に乗って、小倉駅で一泊しました。

雨がしょぼふる、あいにくの天気でしたが、足立公園から見る小倉の夜景はとってもきれいでした。

Img_0481

|

2016年10月 7日 (金)

おもしろい職能集団

彼らは皆、職能集団の特命を帯びて動いていた。

神武天皇と物部氏

神功皇后と息長氏

継体天皇(越氏)と蘇我氏

筑紫君磐井(姫氏)と呉氏

聖徳太子と秦氏

桓武天皇と鴨氏

平清盛と宗像氏

世阿弥と南朝

織田信長(忌部氏古神道)と穴太衆、九鬼水軍

毛利元就と村上水軍

明智光秀(土岐氏)と吉田神道

真田昌幸とサンカ(白山信仰)

井伊直弼と長野主膳(阿蘇神社)

坂本龍馬と日蓮宗

福沢諭吉と本願寺

近衛文麿とレーニン

|

2016年10月 6日 (木)

昭和から平成へ移行期のころの研究

私が、東大を卒業して阪大に入局したころをつらつら思い出すと、アップルがでっかいパソコンを販売して、マニアくらいしかワープロ・キーを叩いていませんでした。

当時、米が不作で、まずいタイ米が出回っており、高知の親戚農家から日本米を東京に送ってもらってましたね。医師国試を間近に控えた春、桜が満開なのに大量の雪が降っていました。

医局前には製薬会社の営業マンがズラーっと長蛇の列で、研修医ですら半数の営業マンから声がかかっていました。研究会や学会発表のスライドづくりや、英語論文の取り寄せにずいぶんお世話になりました。

PCRが発明されはしたものの、微量なDNAの遺伝子を解読できるようになったばかり。超高速遠心機を16時間回してDNAを抽出し、ゲル板をDNA解読装置にセットして、数時間かけて500くらいの塩基配列をやっと読める状態でした。

当時、真核細胞の一番原始的な酵母が研究対象としてさかんに用いられており、最高峰のジャーナル「Cell」にガンガン報告されており、ヒト疾患のDNA多型解析報告で簡単に「Nature」に掲載されていた時代。

細胞培養室でいったん酵母を使うと、ほかの細胞実験がコンタミ(汚染)を起こしてダメになるので、大多数の研究者から酵母は嫌われていました。まったく別室で酵母実験が行われていました。

飢餓状態の酵母に液胞が生じることは世界中の人が観察していましたが、まったく人気のない現象を研究対象にされて、原理研のお姉ちゃんが出没する東大駒場という科学研究費も少ない研究室でのメイド・イン・ジャパン研究で、今回、ノーベル生理学医学賞を受賞されたことは大変尊敬いたします。

|

« 2016年9月 | トップページ | 2016年11月 »