今日は、時雨れるなか、大阪歴史博物館へ行ってきました。気になったものをいくつか書き留めておきたいと思います。
蟄居先の高野山・蓮華定院にある真田信繁画像
毎度の画像を生で見ました。
武田晴信画像
すっきりした顔つきです。高野山・持明院が所蔵しています。
武田勝頼・夫人・信勝画像
これも毎度の画像です。高野山・持明院が所蔵しています。
真田昌幸画像
毎度の画像です。高野山・蓮華定院が所蔵しています。
太刀「長船長光(おさふねながみつ)」
上杉景勝所用の刀。
武田勝頼から矢沢薩摩(頼綱)へ感状
沼田城攻略ありがとう。
真田昌幸から矢沢薩摩・三十郎へ手紙
沼田城代やってくれてありがとう。上田の土地を分けちゃる。
秀吉の意向を受け、石田三成と増田長盛から上杉景勝へお手紙
真田は「表裏者」やから、上杉景勝は真田を援助するな。家康上洛を促すため、秀吉自ら真田を討伐するところやったが、家康が上洛するというので止めにしたわ。
直江状
上杉景勝が上洛するわけないやろ、家康ボケ。
石田三成から真田昌幸へのお手紙
小諸、松本深志、川中島、諏訪をやるから、上杉景勝と協力して江戸まで家康を攻め上れ。
内府ちがいの条々
家康は秀吉の御遺言にこんだけ逆らっとるで。
徳川秀忠から井伊直政・本多忠勝へお手紙
真田を(第二次上田合戦で)簡単にやっつけたら、すぐにそっち関が原へ向かいまっせ、へへ。
徳川秀忠の左団扇と高麗茶碗
まあ真田が滅びるのをのんびり見物しよか。ほほう、秀忠は織部焼が好きなんやな。
真田信之夫人・小松姫(本多忠勝の娘)の扇
あれ、女らしいとこ、あるやん。
鉄製湯釜
真田昌幸は、四阿山(あずまやさん)の白山権現を信仰していました。忍者サンカであった山家(やまが)神社の禰宜を高野山・九度山までお供させました。
真田信繁から蓮華定院へ手紙
せっかくお祭りへ誘われてたんやけど、腹が痛くて行けへんわ、ごめん。
真田信繁から西山左京へお手紙
この壺に焼酎を詰めて、口はこぼれないようにしっかりしめて。
なんと西山左京は、足利義輝の孫。真田と足利の昵懇な関係ってなんや???!!!
豊臣秀頼から真田信之へサンクスのお手紙
呉服を二つもくれて、ありがとう。
さあ、これからおもろいでっせ!負けたほうは必ず狼藉を働くので、平野庄はどっちが勝ってもえらい目に会うというお話。
豊臣秀頼から平野庄へお触れ
徳川家康から平野庄へお触れ
徳川秀忠から平野庄へお触れ
うちの若いもんが狼藉を働かんように言いつけたので、安心して暮らせや。
板倉重宗から伊丹康勝へ手紙
家康殿のおそばにいる伊丹君、家康殿の茶臼山巡視が終わったら、すぐに知らせて。わし(板倉)が仕える秀忠殿が岡山砦の巡視をすぐにされたいとおっしゃってるから。
家康と秀忠のパイプ役を板倉重宗が引き受けている!!秀忠、二度と遅参は許さないぞ!
長宗我部盛親の刀
私の御先祖さんの愛用品です。
石見銀山奉行・竹村丹後から、穴掘り現場監督・山中市兵衛へ手紙
銀堀300人にしっかり穴を掘らせ。大坂冬の陣の講和会議の最中に、藤堂高虎が陣取った天王寺口から外堀まで3日間で地下トンネルを掘らせた!
井伊直孝の赤備え具足
小笠原忠真の具足
毛利勝永の陣羽織
末吉増重の回想録「みしかよの物かたり」
大坂夏の陣直後の悲惨な大坂を描いた。
蜂須賀至鎮(はちすかよししげ)が捕えた濫妨人・落人リスト
真田信繁鉄砲隊士の女房一人もいる。女房連れて合戦かよ!
高台院ねねから伊達政宗へお手紙
「大坂の御事は何とも申し候はんずる、ことの葉も御入候はぬ事にて候。」
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