食欲の秋、ふるさと納税の季節
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ヘルパンギーナが減り、アデノウィルス感染症(プール熱)が増えてきました。手足口病は従来と同じタイプで、昨年流行したタイプのように発疹は激しく出ないようです。
1.アデノウィルス感染症(プール熱)
2.ヘルパンギーナ
3.手足口病
あと、マイコプラズマ感染症や溶連菌感染症も散見します。特徴的な症状がない非典型的な川崎病も増えており、市中病院へ当院から何例も紹介しておりますので、発熱がつづくお子さんはお早めにご来院ください。
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早朝、露天風呂につかって、宍道湖のシジミ汁など朝食をとって、チェックアウト。近くの三瓶観光リフトに乗って、大平山展望台に行ってきました。
まずは、女三瓶。
空は雲一つなく快晴で、朝8時半に登りました。虫の声もよく聞こえ静かで爽快な空気を吸い込んできました。
さあ、行きたかった物部神社到着。石上神社よりこんな遠いところに物部氏の本拠地があることに感銘を受けていました。
饒速日命(にぎはやひのみこと)は御炊屋姫命(みかしきやひめのみこと)をめとって、韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)と十種神宝(とくさのかんだから)を奉じ、天磐舟(あまのいわふね)に乗って大和に天降りされ、宇摩志麻遅命を生みました。
神武天皇東征のとき、宇摩志麻遅命は実権を譲り、天香久山命(あまのかぐやまのみこと)とともに、物部の兵を率いて、尾張・美濃・越を平定。天香久山命は越の弥彦神社に鎮座。宇摩志麻遅命はさらに播磨・丹波・石見を平定。鶴降山(つるぶさん)で国見をして、八百山(やおやま)が大和の天香久山に似ていることから、八百山のふもとに宮居を築かれたのが、物部神社の起源です。
雄々しき本殿の構え。感動しました。祭神は、宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)。またの名を、可美真手命(うましまでのみこと)。
九州倭国の和歌を数多く詠んだ柿本人麻呂もこの石見の地で逝去しました。
次は、石見銀山に行ってきました。龍源寺間歩まで駐車場から往復6キロ。間歩(まぶ)とは通り抜け坑道のことらしいです。徒歩ではお話にならないので、レンタサイクル河村で電動自転車を借りて速攻で行ってきました。途中の羅漢寺も見過ごさないようにしてください。
羅漢寺は岩を掘って、五百羅漢(石仏)を安置した寺です。なかなかの技術が必要で、倭国との関連を強く示唆します。
こどもたちが演じる石見神楽を見ました。いなだ姫がかわいかったです。ひ・と・め・ぼ・れ。
1526年博多商人・神屋寿禎によって石見銀山が開発され、大量の銀が発掘され、「灰吹法」という簡便な精錬法が1533年朝鮮から宗丹・慶寿によって伝達されて、鞆ヶ浦と沖泊の二つの港からヨーロッパに銀が大量に流れ込みました。
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早朝から車で出雲大社へ行ってきました。昼ごはんはこの鳥居前の店で一時間並んで、「冷やし月見そば」大盛を食べました。とてもおいしかったです。
仮殿です。
裏から見た本殿です。
大田市・三瓶(さんべ)温泉の「さひめ野」で一泊。口コミ評価も高く、大変満足しました。綿菓子を使ったすき焼き「雲海鍋」が印象的でした。
嫁と日本酒をいろいろ飲みました。松江「豊の秋」はいつも飲んでいるし、大田「石見銀山」は甘口なのでパスして、ここは嫁の好みの辛口で。
「やまたおろち」 「七冠馬」 「さひめ野」 「出雲誉」
スサノオに首を切られた龍になった気分で、ガオー!と飲みましたよ。
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今日は国立国際美術館へ行ってきました。
「始皇帝と大兵馬俑」
兵馬俑が履いている靴は、真ん中に縫い目がある皮靴と、官僚が履く木靴の2種類あります。みんな身長1メートル90センチと高かったです。こんな大男の軍団は当時として最強だったでしょう。
蒜頭壺(きんとうこ)
口縁部がニンニクの形をしており、秦の青銅器の特徴です。
甑(そう)
炊飯器です。釜に水を入れて沸かし、釜の上に甑を置いて、米を蒸して食べたそうです。飯盒や古代の甑(こしき)は直火で米を焚きましたので、元祖は蒸して米を食べるのが正解だったようです。
円形陶鈴
魚形陶鈴
陶器の鈴です。
陶胎漆壺(とうたいしっこ) 酒を入れる
陶胎漆鼎(とうたいしってい) 肉を入れる
陶胎漆豆(とうたいしっとう) 穀物を入れる
漆は高価で、漆器は魏の専売特許だったようです。
始皇帝と言えば、通貨の統一、度量衡の統一、文字の統一、焚書坑儒、信賞必罰の法家思想ですね。
両詔権(りょうしょうけん) 単位重量の分銅
両詔量(りょうしょうりょう) 単位容量の銅枡
封泥(ふうでい) 木簡の封。奈良時代にも盛んにやってましたね。
平瓦・丸瓦 動物を描いた瓦が秦の特徴
水道管 規格化された水道管を大量生産しました。偉いね。
雑技傭(ざつぎよう) 軍隊に付属していた慰問団です。エンタツ・アチャコ・エノケンと思えばいいのですが、筋肉隆々とした肉体がすばらしい。
銅車馬 見事!4馬力ですので、排気量2000ccの自動車と思ってください。
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午前診を終え、けいはんなプラザに行ってきました。
夏といえば、やっぱりエレキ。当時の年寄からしかめ面されていた昭和40年代、海水浴場や喫茶店でいやというほどエレキを聞いて小学生時代を過ごしました。
The Ventures、とくにジェリーマギーは50年間いまだに現役という驚異的なエレキバンドです。
世は使い捨て時代、大学生はヘルメットをかぶってあばれ、エコなんかどこ吹く風、テレビや冷蔵庫なんか壊れたら捨ててしまえと教えられていましたし、高校生も中学生も小学生もみんなイカレていた古き良き時代でしたね。大阪万博はまさに絶頂期でイッテました。
でも漢字も正しく書けましたし、分数計算もできましたよ。勉強も遊びも100%力を振り絞って生きていました。
締めは「パイプライン」
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英国人に不人気の小村寿太郎を、英国人に人気の加藤高明がナイスフォローして、崩れかけた日英同盟延長に貢献しました。しかし、加藤高明は元老山縣有朋の許可なく、袁世凱に求められるままに対華21カ条の要求第五号を出してしまい、中華民国のプロパガンダに敗北しました。優秀な英国公使・大使だったのですが、支那に関しては全くど素人でした。
文科省検定教科書の執筆者は、中華民国にも大きな戦争責任があることを示す証拠を、決して挙げようとはしない。権威と言われる専門家でさえ、とてつもなく詳細に分析を加えているなか、中華民国に不利になるような史実だけをわざと記述せずにスルーする。まるで中華民国に罪を擦り付けるような態度は、日本が再び戦争を引き起こすことにつながるとでも言いたいようである。これが日本歴史学会の統一見解と言いたいのだ。
ユダヤ陰謀論は誤っているが、それをいいことに陰謀論をすべて一笑に付しながら、アメリカ合衆国公認のヴェノナ文書を完全無視する態度には、腹の中が煮えくり返る。このままでは大東亜戦争で亡くなられた英霊や犠牲者に申し訳が立たない。
こんな近現代史の教科書なら、学ばないほうがましだ。まして高校必修科目にすることには大反対である。こんな正解で、センター試験、東大・京大入学試験問題を採点されたらたまったもんじゃない。
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