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2016年4月18日 (月)

「経済で読み解く明治維新」を読んで

江戸時代の歴史理解には、マクロ経済学の理解が欠かせません。明治~昭和初期の歴史理解には、帝国憲法の理解が欠かせません。

江戸時代がはじまったころ、幕府は徴税権を藩にばらまき、天領から得られる13%の予算で国家全体を治める必要がありました。通貨発行権は幕府なのか藩なのか宙ぶらりん状態。石田三成の中央集権体制に反対して、家康に各藩が味方したため関ヶ原の戦いで勝てたので、江戸幕府は藩には偉そうにできなかったのです。

藩は幕府に米で税を納め、藩士に米で給料を払いました。農業技術の進歩で米の生産高と人口が増え、米の価格は下がり、藩も藩士も貧乏になるしかありません。藩士は身分に応じて、安い米の給料から、世話人を雇ったり、いざ戦争という時のための馬を飼ったり、門構えを決められた通り作らねばならなかったのです。とてもつらい身を切るような出費でした。農民は米以外の作物が儲かるので栽培をはじめました。幕府の埋蔵金も、大奥の奢侈やら日光東照宮詣でやらで5代綱吉には尽きてしまい、藩は幕府に過剰米を買ってもらえなくなり、さらに参勤交代や米以外の物品を買うのに、藩に蓄積していた金銀を使うこととなり、藩に流通する通貨量(マネタリーベース)は常に不足していました。つまり藩は常にデフレになっていました。

そこで藩は、通貨発行権を幕府が放棄していたのをいいことに藩札を刷り、マネタリーベースを上げデフレ脱却を図ろうとしていました。藩が藩の外で買い物をするときは、藩札が通用しませんので、徴税権を担保にして藩内の商人から金銀を借りなければなりません。その金銀で、洋書や外国の珍品を買い、日本国内の金銀が海外に流出しました。元禄の萩原重秀、吉宗の大岡越前、化政の水野忠成は小判の金含有量を減らし、金の価値を下げ物価を上げデフレを脱却しましたが、必ず反動でそのあと後継者が緊縮財政を敷き、デフレに陥りました。田沼意次は藩から通貨発行権を奪取して、幕府財政を立て直そうとしましたが挫折失脚。田沼意次は幕府を中心とする中央集権体制を築き、御禁制の大型船舶建造を解禁し、近代的な軍隊を作り、アジアに迫りくる大英帝国とロシア帝国に対抗しようとしていました。11代家斉の世になり、ウィーン体制後の英露脅威はどこ吹く風、つかの間の天下泰平、惰眠の半世紀となり、明治維新では多くの犠牲が強いられました。 幕末には、揺れ動く米や金銀より藩札が一番信用できる通貨となっていました。

薩長だけは、藩主と藩の台所を分け、藩は破産宣告&デフォルトし、藩主に富を集中させ、西洋科学技術を輸入し、富国強兵に向けて着々と力をつけていきました。

経済で読み解く明治維新

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