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2016年4月25日 (月)

神戸市立博物館「鶴亭」をみて

昨日は伊藤若冲の師匠の特別展を見に行ってきました。

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鶴と牡丹の花鳥画で勇名を馳せましたが、実は作品の割合が山水画7割、花鳥画3割の比重だそうです。

鶴亭は臨済宗の僧侶であって、清国で流行っていたのが沈南頻の花鳥画。その弟子筋の熊斐(ゆうひ)が長崎中華街に来ていて、そこで鶴亭は山水画と花鳥画を学びました。

写実画は言い換えれば、サイエンスの目覚めであって、倫理道徳ばかり説かれた世にあって、一服の清涼剤でした。これも徳川吉宗、田沼意次のおかげでしょう。

山水画の「篠竹図」「墨竹図」で、グラデーション技法を学び、それが花鳥図で大いに生かされました。牡丹は最高の絵だと思いました。

牡丹綬帯鳥図

池大雅と親友で、多くの弟子のひとりに、大坂の巨人・木村兼葭堂(きむらけんかどう)がいました。

ラスト1/4は弟子筋の絵が飾っていましたが、伊藤若冲の登場を待つまで、大きな進歩はなかったようです。

帰りは、旧外国領事館「CARTA」のランチ・ケーキセットで、典型的「三ノ宮ぶらぶら」を締めくくりました。京都や横浜のように人込みはなく、最高の休日を過ごせました。

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2016年4月18日 (月)

「経済で読み解く明治維新」を読んで

江戸時代の歴史理解には、マクロ経済学の理解が欠かせません。明治~昭和初期の歴史理解には、帝国憲法の理解が欠かせません。

江戸時代がはじまったころ、幕府は徴税権を藩にばらまき、天領から得られる13%の予算で国家全体を治める必要がありました。通貨発行権は幕府なのか藩なのか宙ぶらりん状態。石田三成の中央集権体制に反対して、家康に各藩が味方したため関ヶ原の戦いで勝てたので、江戸幕府は藩には偉そうにできなかったのです。

藩は幕府に米で税を納め、藩士に米で給料を払いました。農業技術の進歩で米の生産高と人口が増え、米の価格は下がり、藩も藩士も貧乏になるしかありません。藩士は身分に応じて、安い米の給料から、世話人を雇ったり、いざ戦争という時のための馬を飼ったり、門構えを決められた通り作らねばならなかったのです。とてもつらい身を切るような出費でした。農民は米以外の作物が儲かるので栽培をはじめました。幕府の埋蔵金も、大奥の奢侈やら日光東照宮詣でやらで5代綱吉には尽きてしまい、藩は幕府に過剰米を買ってもらえなくなり、さらに参勤交代や米以外の物品を買うのに、藩に蓄積していた金銀を使うこととなり、藩に流通する通貨量(マネタリーベース)は常に不足していました。つまり藩は常にデフレになっていました。

そこで藩は、通貨発行権を幕府が放棄していたのをいいことに藩札を刷り、マネタリーベースを上げデフレ脱却を図ろうとしていました。藩が藩の外で買い物をするときは、藩札が通用しませんので、徴税権を担保にして藩内の商人から金銀を借りなければなりません。その金銀で、洋書や外国の珍品を買い、日本国内の金銀が海外に流出しました。元禄の萩原重秀、吉宗の大岡越前、化政の水野忠成は小判の金含有量を減らし、金の価値を下げ物価を上げデフレを脱却しましたが、必ず反動でそのあと後継者が緊縮財政を敷き、デフレに陥りました。田沼意次は藩から通貨発行権を奪取して、幕府財政を立て直そうとしましたが挫折失脚。田沼意次は幕府を中心とする中央集権体制を築き、御禁制の大型船舶建造を解禁し、近代的な軍隊を作り、アジアに迫りくる大英帝国とロシア帝国に対抗しようとしていました。11代家斉の世になり、ウィーン体制後の英露脅威はどこ吹く風、つかの間の天下泰平、惰眠の半世紀となり、明治維新では多くの犠牲が強いられました。 幕末には、揺れ動く米や金銀より藩札が一番信用できる通貨となっていました。

薩長だけは、藩主と藩の台所を分け、藩は破産宣告&デフォルトし、藩主に富を集中させ、西洋科学技術を輸入し、富国強兵に向けて着々と力をつけていきました。

経済で読み解く明治維新

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2016年4月10日 (日)

今城塚古墳をみて

継体大王に会いに高槻へ行ってきました。

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2016年4月 9日 (土)

鴻臚館・福岡城跡を訪ねて

まずは大濠公園近くの鴻臚館へ。

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最後は黒田官兵衛の福岡城へ。

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遠くに福岡タワー。中川君のために、福岡市博物館で金印を見に行きました。

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2016年4月 8日 (金)

別府の地獄めぐり

タクシーを使って、別府観光しました。

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まずは血の池地獄。

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次は海地獄。

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次は坊主地獄。噴火で寺と住職が地下深くに飲み込まれたそうです。

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最後は、明礬温泉の湯の花小屋。大露天岩風呂にもつかってきました。お肌すべすべ。

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別府から、ゆふいんの森に乗って博多へ移動。

今夜は、那珂川を眺めながら、中洲・鳥善で水炊きを食べました。

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2016年4月 7日 (木)

中津・耶馬溪・羅漢寺を訪ねて

まずは福沢諭吉旧居へ。

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中津城へ行きました。黒田官兵衛が来たあと、家康長女の嫁ぎ先であった奥平氏が城主となりました。

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耶馬渓、青の洞門へ行きました。新潟の僧侶が30年かけてひとりでトンネルを掘りました。
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耶馬渓でコーヒーブレイク。

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最後は、がけっぷちに作られた秘境の羅漢寺に行ってきました。

九州王朝とゆかりの深い寺です。

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今夜は別府温泉で一泊しました。

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2016年4月 6日 (水)

国東半島を探索して

伊丹空港から大分空港までひとっ飛び。灘高の同級生2人と私とで観光してきました。

中川皮フ科クリニック、森田歯科クリニック、なかむら小児科

まずはレンタカーで熊野磨崖仏。けっこう歩きました。

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次は真木大堂。

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九州王朝とゆかりの深い富貴寺へ行きました。お堂の中に入ることができました。飛天たちが舞っている古絵が最高によかったです。

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次に両子寺に行きました。

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最後に泉福寺に行きました。親切な住職さんで、中に入れてくれました。

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ヴィラくにさきで一泊しましたが、コストパフォーマンス最高のホテルでした。

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2016年4月 5日 (火)

佐保川で花見

診療の昼休み中に、佐保川の花見に再び行ってきました。

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女帝の歩み、止まらず

花總まりさんが菊田一夫演劇賞の大賞を受賞されたとのこと。「花の会」の速報メールで知りました。

最低年齢受賞新記録だそうで、誠におめでとうございます。

「徹子の部屋」で語っておられた超人的オクターブ開発用発声練習の賜物でしょうか。

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2016年4月 3日 (日)

夙川で花見

夙川へ満開の花見に行きました。

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2016年4月 2日 (土)

秋篠川で花見

午前診を終え、秋篠川へ満開の花見に行きました。

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