« 2015年9月 | トップページ | 2015年11月 »

2015年10月30日 (金)

第67回正倉院展をみて

昨日は、午前診を終え、友人と正倉院展に午後3時過ぎから行ってきました。

Pa293927

中央に展示してあるメインディッシュから見ていき、空いた頃合いをみて壁ガラスに順番待ちして、第1部、第2部、第3部と一通り見終えたのが4時半過ぎ。いったんショッピングコーナーで図録を買ってベンチに座って休憩。午後5時10分に、逆行して(←ここがミソ)第1部に行くと、そこはもう見放題状態になっていました。

今年の第2部は手抜きなのか、展示物間のスペース空きすぎでガラガラ状態。掛け軸コーナーもシャッターおろして店じまい状態でした。

第3部は例年並み。奈良時代の手紙は必見。ワシ、疲れたから300文やるから仕事代わってくれへんかみたいな手紙があって面白い。ちょっと親が病気でなんていう緊急の手紙は、墨の薄さで、よっぽど急いで書いたんやなとわかって、面白い。あと隼人が大挙して畿内に連行された際の戸籍が展示してました。身分、性別、年齢、合計何人連れてきやした風の報告書。

平螺鈿背八角鏡(へいらでんはいのはっかくきょう)

褐色の琥珀と白く光る夜光貝。聖武天皇の持ち物です。

山水花虫背円鏡(さんすいかちゅうはいのえんきょう)

マイルドな白銅色の鏡で、真ん中に海、四方に山並みが描かれています。まんなかに取っ手代わりの海獣が一匹います。この鏡が私のベスト1です。腐るほど古代の鏡を見てきましたが、こんな色彩の鏡は見たことがありません。

紫檀木画槽琵琶(したんもくがそうのびわ)

4弦の琵琶。表には薄く山水画風の色彩画が描いております。ベンベンこすったのでいまはよく見えません。裏は2パターンのモチーフで花弁が描かれていて、しかも緑、白、褐色の色彩豊かなデザイン。これはいまの服飾デザインにも使えるんじゃない。

彫石横笛(ちょうせきおうてき)

彫石尺八(ちょうせきしゃくはち)

ともに石に穴をあけて笛にしていました。どうやって作ったのか?唐・太宗のときに生きた呂才が作ったそうで、遣唐使が持ち帰ったそうです。音もばっちり出ていて、録音が会場に流れていました。

琥珀魚形(こはくのうおがた)

腰にぶら下げて見せびらかしたようです。琥珀でできた魚に細かくウロコが彫ってあり、よく見ないとわかりません。俺しかわからないオレ流のこだわりみたいな感じがして面白い。

あとは、僧侶が「威厳を保つ」ための獣毛グッズのオンパレード。説法するときに持つ麈尾(しゅび)。象牙の飾りが散りばめてあって、イノシシの毛を使ってあるそうです。こんなもんで威厳が保てた教師生活は平和だった。いまのヤンキーならボキッとへし折っておしまいかも。麈尾の麈(しゅ)は、大きな鹿の意味だそうです。勉強になるね。

150巻の経文を書けば、筆が1本支給されたそうです。おもろい。

経文の書写にウサギの毛筆、細い界線に鹿の毛筆、経典の題名にはタヌキの毛筆が使われました。

紅牙撥鏤尺(こうげばちるのしゃく)

毎度おなじみのものさしが1本、第3部に展示してありました。天女と鶴と花のお飾り、好きだなあ。飛天が最高だね。

|

2015年10月27日 (火)

心やさしい安倍晋三首相

安倍首相、いつもご苦労様です。こんなふうに心から感謝できる総理大臣のもとで、生きることができて、日本人として幸せです。

またひとつ、感動的な出来事があったので、紹介しましょう。

ウズベキスタン訪問の際、安倍首相はタシュケントに眠る日本人抑留者の墓に参り、童謡「ふるさと」を歌ったそうです。英霊はどんなに慰められたことでしょう。戦後、ここまでする総理大臣がいたでしょうか?日本人抑留者はシベリアだけではなく、ソ連各地に連行され、重労働を強いられました。

ふるさと ♪

https://www.youtube.com/watch?v=gEdIu4EhFOo

ソ連の共産主義者に欺かれて、世界中の人々が不幸のどん底に陥れられました。いままた、日本に共産主義者による革命の陰謀が張り巡らされつつあります。同じ悲劇をくりかえさないようにしましょう。とくに沖縄のみなさま。

|

2015年10月25日 (日)

唐招提寺・西山明彦先生の講演会をきいて

昨日は、唐招提寺を参拝してきました。

Pa243919Pa243915Pa243911

その後、ホテル日航奈良で奈良市医師会主催の仏教講演会を聴いてきました。

「鑑真和上の教え」

Pa243922

「大師」や「菩薩」の称号は、死後与えられることが多いですが、「和上」という最高の称号は鑑真にしか許されていません。聖武天皇以来、歴代の天皇が許さなかったからです。よって、鑑真は最高の位にましましているわけです。

聖武天皇は東大寺大仏建立に当たり、吉備真備ら遣唐使に法相宗の名僧を連れてくることを命ぜられました。いざ唐に行ってみると、法相宗はすでに廃れ、天台宗と密教がさかんに信じられていました。

鑑真は天台宗の名僧であったので、遣唐使船でお連れするわけにもいかず、弟子を日本に遣わすことをお考えになりました。しかし、誰も挙手しなかったので、自ら渡日することを決心。ときの玄宗皇帝は、頭脳流出を恐れ、鑑真の渡日を許可しませんでした。それで、ちょっと山東半島に用事に行ってくるという名目で、怪しまれないように装備の薄い船で東シナ海を渡ったため、何度も失敗したそうです。

藤原清河の反対を退け、自己判断で大伴古麻呂が鑑真を乗船させ、6回目のトライでようやく鑑真は来日を果たしました。結局、弟子30人が鑑真を慕って同行してくれました。

戒律、戒は道徳、律は法律です。仏教の僧侶のお仕事は、死んだ人の供養ではなく、生きた人に戒を説くことです。日本に3か所の戒壇院があります。

奈良 唐招提寺、のちに東大寺

大宰府 観世音寺

下野 薬師寺

東大寺で戒壇院を築いたのを最後に、新田部親王の旧居を隠居邸宅として与えられましたが、ワシは生涯現役じゃというわけで、唐招提寺では金堂より先に講堂がきずかれ、説法が続けられました。

玄奘がインドから直輸入で持ち帰った戒が、「瑜伽経」

500年以上かけてゆっくりインドから中国に伝わった戒が、「梵網経」

瑜伽経は果物など食べ物が豊富なインドでは実行可能でしたが、中国日本では実行不可能なものでした。そこで、鑑真は、中国日本でも実行可能なように改訂された梵網経を説きました。

奈良時代、「瑜伽経」を厳守する興福寺・薬師寺の法相宗僧侶から、鑑真は猛反対され、梵網経は東大寺の奥深くの蔵にお蔵入りしていましたが、最澄が再発見し、唐に渡る決心をする大きな動機となりました。最澄は天台密教を持ち帰り、やわらかい戒律を説くことで信者を増やし、のちの法然や親鸞を輩出することになりました。

Pa243907
ここで、鑑真和上の像が1年中見られます。

|

2015年10月23日 (金)

大宰府を訪ねて

先週末、午前診を終え、そそくさと博多に新幹線で行ってきました。まずは中州で那珂川をながめながら、水炊きをおかずに生ビール、鹿児島芋焼酎、日本酒地酒で酔いました。帰りに、住吉神社をみつけました。

Pa173837

昔の博多は、こんなふうに海でした。

Pa173844
翌朝、博多から地下鉄で天神に行き、西鉄に乗り換えて、太宰府天満宮に行きました。

Pa183852Pa183850Pa183854

宝物館で、菅原道真の生涯DVDをみて、三条実美の具足と陣笠をみました。

九州国立博物館に寄って、特別展「新羅王子がみた大宰府」を見ました。

籌木(ちゅうぎ)と呼ばれる木片でトイレットぺーパー代わりに大便を拭いていたそうです。とても痛そう。

金銅で飾られた靴が展示してましたが、靴底まで飾りがゴツゴツあって、これじゃ歩けないじゃないの?

梅が枝餅を三軒はしごして食べました。寺田屋、きくや、からふね屋の順で。味や食感はまったくちがっていました。

Pa183861

憧れの古都、大宰府です。大野城を背景に。
Pa183865
都府楼跡です。
Pa183867

基肄(きい)城を背景に。

Pa183873

観世音寺です。後白河法皇は、観世音寺の三十三間堂を平安京に移築しました

Pa183880

日本最古の鐘です。

Pa183886

戒壇院です。坊さんになるには全国三か所のどれかで誓いを立てました。

大宰府 観世音寺

奈良 唐招提寺

下野 薬師寺

Pa183896
運賃100円の「まほろば号」に乗って、西鉄・都府楼前駅に移動。

地下鉄で西新の福岡市博物館に行き、「新・奴国展」を見ました。

入ってすぐ、国宝・金印とお目見え。

奴国と伊都国の二大ライバルがつねに戦っており、青銅器が鉄器に代わると、銅剣、銅戈が巨大化して実用性のないものになり、副葬品として用いられたそうです。

奴国には、後漢の半両銭、五銖銭、貨銭があふれ、貨幣で交易していたようです。あと、任那の鉄斧も貨幣の代わりをつとめていたようです。鉄斧はのちに鉄鋌に変わり、輸入され、日本で鉄器に加工されました。

|

2015年10月22日 (木)

もし私が旧制中学に入学したら

灘中、灘高はまさに旧制中学をそのまま現在に受け継いでいるだけ。よって、灘高は大学入試成績において、永遠に公立新制高校に勝ち続けるだろう。公立高校が旧制中学の盟主としての自意識と使命感を取り戻さない限り。

中1、中2、中3の3年間に学ぶこと

(1)国語 

口語文法・文語文法をしっかり覚える。英語理解にも役立つ。

代表的な古文を通読し、古文単語をゆっくり覚える。

李白・杜甫らの漢詩を暗記し、漢文法をゆっくり覚え、白文を読めた江戸市民のレベルをめざす。一生の教養として、旧制中学に感謝することこの上ないだろう。

(2)英語

英文法は中2までに仮定法までじっくり一通り終わらせる。英語の仮定法は、ドイツ語の接続法に由来することを学ぶ。

英単語は中3までに6000語以上、高3までに10000語以上覚える。英熟語で適宜遊ぶ

基本的英語構文を覚え、英文解釈を読書感覚で教師と遊び、英作文を日記感覚で教師と遊ぶ

(3)数学

代数・ユークリッド幾何を系統的にじっくり学ぶ。定義、定理、逆証明を厳密に。そのあとは、さっさと三角法、高次方程式、剰余定理、数学的帰納法、級数、漸化式を終わらせ、線形代数、解析幾何、空間ベクトル、テイラー展開、微分積分、微分方程式までマスターする。

(4)化学、生物、地学

暗記が多いので、中学生でもリーチできる。ネタにして遊ぶ。

(5)物理

微分方程式の知識がなければ理解できない。数学の完成を急ぎ、あとは氷解。

(6)地理

日本地誌、世界地誌をネタに観光気分で遊ぶ。

(7)歴史

これがもっとも習得がむずかしい。自虐史観のない、話し上手で博学な教師に付いて教わるのが手っ取り早い。

|

2015年10月16日 (金)

最初から狂った日本の歴史

「凌雲集」の中に、奈良帝をはじめ、やんごとなき人物が登場する。詠まれた漢詩は、本場中国をしのぐものがある。薬子の変で坊主になった平城天皇が奈良帝というのは、ちょっと解せない。かなりのマザコンだし、ここまでの高度の知識を持ち得たのか?

天武の血を根絶させた桓武が、九州王朝の痕跡を打ち消すための工作ではないか?いまだに語り継がれる帝の善政のかずかずは、反乱や疫病や地震が絶えない平安京ではなく倭京で行われたもの。空海も最澄も必死に仏に祈ったが報われることはなかった。倭の奈良帝(磐井・倭薈)と百済の武寧王と梁の武帝とともにハーモニーが織りなすパックス・アジアーナだった。民衆はみな、この世同様あの世も平和が続くことを阿弥陀仏に祈ったのである。

近つ飛鳥の里、遠つ飛鳥の里を歩くと、せいぜい蘇我一族、推古大王、厩戸皇子(聖徳太子)、斉明大王、中大兄皇子、大海人皇子、鵜野讃良、鏡王、額田王、中臣鎌足の匂いくらいしかしない。飛鳥浄御原宮、藤原京が格段にでかくすごすぎる。

大神神社あたりを歩いても、崇神大王、垂仁大王、景行大王、日本武尊くらいの匂いしかしない。神武の東征は、当時の航海技術から考えても無理があるし、魏志倭人伝でいきなり邪馬台国(おそらく大和国のこと)が遠方の近畿内に話が飛ぶのは、話が不自然すぎる。北九州に鉄鉱石も石灰岩も出土する大和三山が存在する。

仁徳大王、その兄貴で、「かまどの煙」で知られる宇治大王の匂いがしない。難波京というが、あんな谷だらけの起伏の激しい砂嘴の地に、条坊制を備えた巨大都市を築くほうがおかしい。河内湖、淀川の重要拠点にすぎなかったのではないか。瀬戸内海交易の旨みを、神をフル物部氏と、新参者の蘇我氏が河内で争った。瀬戸内の発展とともに、丹後・出雲が廃れていった。

あとは最古の前方後円墳である箸墓古墳。卑弥呼か臺与の墓だと言われているが、はたしてどうか?日本全国の土器や飯の器が奈良に集まっており、しかも農耕の匂いのない官僚の町=永田町だったそうだが。

蘇我馬子がつくった飛鳥寺は、近畿内では最古の寺だったろうが、北九州にはもっと古い寺も瓦窯もあった。阿蘇山が噴きまくる火山灰で住めなくなった北九州の土地だったが、白村江の戦いを控えていた斉明大王は「狂心の渠(たぶれごころのみぞ)」と呼ばれる突貫工事で、上水道を北九州に築いた。水道のあとが北九州にみつかっているが、マスコミも学会も沈黙を守るばかり。

白村江の戦いで敗れてから、水城や朝鮮式山城を築いたというのもおかしな話だ。大和朝廷は唐・則天武后との密約でお咎めなしのはずが、雲行きがあやしくなるや、近江京へ遷都。その近江京も条坊制度どころか、紫宸殿もない簡略な構造だったわけで、旅の途中の休憩場所=行宮みたいなもの。山城新築との整合性が取れない。

白村江の戦いを終え、のちに高句麗を滅ぼす唐の将軍・蘇定方と劉仁軌が来日している。略奪行為なくしておとなしく日本から去るわけがない。さすがに長谷寺や観世音寺のでっかい観音立像は唐へは持ち帰れまい。このとき、大宰府の街並みを描いた倭国の至宝「清明上河図」を持ち帰ったという。

この辺のいきさつになると、、日本書紀は一切沈黙を守る。

高杉晋作は、彦島を守るため、馬関戦争の交渉で、古事記を暗唱したというが、古事記・日本書紀のねつ造された古代観が、そのまま神国・日本を船出させたわけで、はたして正しかったのか?

|

2015年10月15日 (木)

大和文華館「蘇州の見る夢」をみて

午前診を終え、徒歩で大和文華館に行ってきました。

Pa153812

禅寺には最近よく行くのですが、掛け軸の山水画の源流を勉強したいと思っていた矢先の特別展でした。

Pa153817

朱徳潤 (元末) 「枯木図」

モンゴルに支配されていた頃から、漢人の国・宋はよかったという憧れみたいなものが、絵を描く原動力になっていました。複雑な枝ぶりはこの朱徳潤が発祥です。

雪窓 (元末) 「蘭竹図」

蘭の花を描くのはたやすい、葉っぱを描くのがむずかしいのだそうで、雪窓は蘭の葉っぱばかり描いていました。濃淡の墨を使い分ける画法は、彼が発祥です。

蘭乃はな さーん、お元気ですか?ハナちゃん(花總まり)とナイスコンビのエリザベート追加公演おめでとうございます。

沈周 (明・正徳) 「菊花文禽図」

にわとりって、文武勇仁信の五徳を備えた象徴で、よく絵の題材になりました。ニワトリ、チキン?ほんまかいな??にわとりさん、ほんまでっか?

そういや、京都・臨済宗の寺にも、よーけ(←関西弁のたくさんの意)、ニワトリの絵が飾ってありました。

謝時臣 (明・嘉靖) 「山水図」

山頂をケバケバのたんこぶみたいに描くのは、彼が発祥です。川の流れを縦筋でソフトタッチに描いています。

李士達 (明・万暦) 「秋景山水図」

ケバケバたんこぶは謝時臣を継承しています。川の流れを横筋でハードタッチに描いているのは彼のオリジナルでしょう。

盛茂燁 (明・万暦) 「五百羅漢図」

謝時臣、李士達の集大成。カラーの山水画を彼が始めました。

仇英 (明) 「金谷園桃李園図」 「四季仕女図巻」 「九成宮図巻」

これまで高士のおっさんばかりの絵だったのに、仇英の絵でカワイコちゃん登場。

趙浙 (明・万暦) 「清明上河図」

倭京・大宰府を題材にした名画です。私も中国人もめっちゃ好きな絵です。

|

2015年10月11日 (日)

ベアテ・シロタ・ゴードン

ゾルゲ事件の指名手配中のお尋ね者。戦時中、捜査の手を逃れ、米国に亡命。

終戦直後、GHQメンバーとして来日し、日本の図書館で日本国憲法を起草した。

|

2015年10月10日 (土)

葉加瀬太郎 25周年記念コンサートを見て

なかむら小児科では、今日から4価インフルエンザワクチン接種がはじまりました。風邪ひきのこどもが多く、接種できなかった方がけっこういました。RSウィルス感染が流行っていますね。

今宵は、葉加瀬太郎のコンサートを見に、大阪フェスティバルホールに行ってきました。

Pa103810

最後のアンコールは、全員総立ちで「情熱大陸」を踊るようで、「はかせんす」という1本2000円もするジュリ扇が必要だと、東京芸大の大将は説いていました。

私はへそ曲がりなので買わず、西宮人気の串カツ屋で一杯飲んで帰りましたけど。

情熱大陸の総演奏時間は15分、ダンスだけで7分間の熱演でした。私は冷静に、腕時計で時間測定していましたので・・・。

髙田真由子ちゃんの近況を聞きたかったな。

あとファンが選んだベストテン9位の「霧島」。これって映画「北辰斜めにさすところ」のBGMで使われてましたよね。旧制七高(きゅうせい しちこう)のすばらしい映画。

大将が焼酎「霧島」を霧島酒造で飲んで明けた二日酔いの頭によぎったメロデイーだそうです。霧島神社は日本人の心のふるさとです。ワシがお札を買った巫女さんがちょっとそっけなくて残念じゃったが。

|

2015年10月 7日 (水)

阪神プレイオフ進出

やったー!

中日ドラゴンズ、ほんまにありがとうさんですわ。

地獄から這い上がったんやから、今年も巨人を打ち破ってくれ!

|

2015年10月 4日 (日)

長野の松茸

ふるさと納税で、松茸がやってきました。

Pa043809

|

2015年10月 3日 (土)

桑名のはまぐり

ふるさと納税で、はまぐりがやってきました。

Pa033807

|

« 2015年9月 | トップページ | 2015年11月 »