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2015年9月 2日 (水)

二二六事件について一考

二二六事件の主犯格・皇道派のドン・真崎甚三郎を匂坂春平陸軍法務官が死刑宣告できなかった理由として、統制派の寺内寿一陸軍大臣が皇道派と統制派に内部分裂することを恐れ、陸軍大臣任命に依存する匂坂に指揮権発動で圧力をかけたためとされる。

しかし、真崎甚三郎が事件直後、意気揚々と伏見宮邸に出かけて行って、昭和天皇から内閣総理大臣になれという大命降下を待っていたところをみると、近衛文麿をはじめ、宮家にアカがたくさんいることを、統制派は超一流だった陸軍内部調査・訊問によって察知したためではないだろうか。

真崎自身も、皇道派も統制派もない、アカかアカでないかの戦いだったと回想している。貧しかった青年将校はアカに染まりやすかった。富裕層ばかり優遇していると錯覚したアカ青年将校が、高橋是清を暗殺ターゲットに据えたのだが、まったくお門違いの話だった。高橋是清こそ、貧しき人々の味方であり、希望の星だった。

高橋是清のあと大蔵大臣になった馬場鍈一は、貧しき大衆を見捨て国家社会主義をめざしたため、もっとひどい貧乏のどん底に青年将校は突き落とされた。

まったく同じことが、アベノミクスを批判するアカ連中にも言える。

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