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2015年9月13日 (日)

白鳳展を三度見て

昨日は北円堂を見てきました。弥勒如来坐像を拝んでいると、向かって右後ろの無着がじっと私を見つめてくれています。左後ろの世親は目を合わせず、遠くを見てました。

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白鳳展を見に、奈良国立博物館へ行く道すがら、鹿たちが水浴びをしていました。

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白鳳時代は、日本が東アジアの中心になって、もっとも輝いていた時代なので、とても大好きです。長谷寺の観音立像、観世音寺の立像たちをご覧ください。むちゃくちゃでかいです。こんな仏像をちゃっちゃっと作れるのは白鳳時代だけです。

現代の建築技術をもってしても、興福寺五重塔を作るのに1年以上かかるのに、奈良時代でさえ2か月で完成させました。恐るべき建築技術。

近畿の寺院の心柱は固定され地震で何度も倒壊しましたが、九州倭国の寺院の心柱は固定されておらず、地震に強く倒壊を免れました。でかすぎる仏像たちも然り。白鳳・奈良時代に、占領倭国(occupied Wa)から、国際化目指して60年余りの奈良に多くの古仏が移送されました。

ですから、7/25、8/20、9/12と三回、奈良国立博物館に入館してきました。

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まず疑問なのは、663年白村江の戦いの直後、664年前後に全国で仏像が作られていたわけなのですが、なんでそんな余裕があるの?ということです。さきの大戦の終戦直後を考えれば、食べるだけで精一杯のはず。

ほんとうに近畿圏の大和朝廷は白村江の戦いに対し、真剣に戦争していたのか?

さきの大東亜戦争みたいに、陸軍も海軍も真剣に戦争する気などなく、共産主義者たちの揶揄・嘲笑・煽動にあおられて、片手間に戦争していただけなのではないか?

まったく歴史は繰り返します。さてさて本題に入りましょう。

蘇我倉山田石川麻呂が拝んでいた阿弥陀三尊像

橘三千代が拝んでいた阿弥陀三尊像

ともに蓮の茎を模した台座に注目。

阿弥陀信仰は奈良時代は禁止されていました。なぜって?倭国の国教だったので。

観音像には3種類あります。

(1)まっすぐ直立不動で立っている → 法隆寺の夢違観音

(2)少し横に腰をくねらせてエロい → 鶴林寺・金剛寺の観音

(3)前に少し下腹を出す → 薬師寺の観音

薬師寺から月光菩薩が来てましたが、背中は必見。ふくよかで、とても肉厚でエロい。おまけに腰をくねらせてエロさ数倍です。

薬師寺東塔の碑文に「猗與(=けものへん+與)聖王」=「イワイ聖王」と書かれてあります。けものへんなのは、継体天皇に逆らった朝敵ゆえ。

仏像に瓔珞(おかざり)が登場するのは、文官官僚主義の北斉&徴兵軍国主義のの北周以降とのこと。デザインにインド的要素を取り入れた。

645年玄奘がインドから帰国し、日本の留学僧・道昭が玄奘から直接学んで、661年日本に帰国。白鳳仏にインド的要素も取り入れられたというわけ。

顔の原型は、665年唐から定恵が帰国して多武峰に持ち込んだ請来仏が最初とのこと。あとは日本人が独特の顔づくりに自由に表現を変化させていったそうです。

飛鳥池遺跡の天皇木簡

「天皇」と記された日本最古の木簡。

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