平城宮趾にて月見
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「野坂参三」
山本懸蔵をソ連に送り、スターリン大粛清で刑死。
尾崎・ゾルゲグループの宮城与徳を仲介させ、アメリカ共産党・GHQを支持することに決定。
「後藤新平」
日露戦争でロシア打倒にソ連を利用。反米親ソの一貫した立場をとる。
台湾総裁時代 → 鈴木商会が利権にたかる
満洲総裁時代 → 満州重工業開発(いまの日産自動車)が利権にたかる
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コント55号の萩本欽一氏が「大御所」と言われるくらい有名になった一番の原動力は?
野球拳
なんで言わないの?お笑い芸人のドンだから。負けるとアイドルも、坂上二郎氏もテレビで脱いでいたんだよ。
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よしもとお笑いライブを見に、けいはんなプラザホテルに行ってきました。前から3列目の超至近距離から見ることができました。
スッチー、末成由美の小劇があって、宗右衛門町のデブ専キャバレーの解説がめっちゃ詳しいギャグには笑いました。どんだけ行っとんねん。
中入り休憩後に、ベテラン漫才がありました。私のランキングはこうかな。
1位 ブラックマヨネーズ
ハゲネタ、ぶつぶつネタ、ヒーハー、どうかしてるぜの鉄板ネタ。吉田はほんま老けて見えたが、大丈夫だろうか。小杉は胃大網の脂肪が腹直筋を割っていたが、大丈夫だろうか。人のことは言える柄ではないが、お互い健康には注意しよう。
小杉ハゲは10~40列まで毛が集団疎開しており、40列目以降の毛に、「もっと前に詰めんかい。」と吉田がつっこみを入れる。冷えピタは毛が集団疎開して空き地になった上のひたいに貼るのか、昔からの下のひたいに貼るのかのつっこみを重ね、へそ周りの剛毛に、「集合場所間違えとるぞ。」のナイスつっこみが重ねうち。
小杉を評して、「ひとり沙悟浄猪八戒」。頭は沙悟浄、上半身は猪八戒、そして下半身のアソコはモンキー。
2位 テンダラー
暴れん坊将軍の鉄板ネタ。刀を忘れて帰る松平健。戻ってきて刀を確認してほっと胸をなでおろす松平健。なつかしい「コラおじさん」の変化球ネタ。
3位 トータルテンボス
おまえのことはすべて知っているが、プロポーズの言葉だけは知らない。だから教えてほしいというネタ。
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今日は、桂ざこばの落語を聞きに行ってきました。
昭和38年、37歳の米朝に4番目の弟子として15歳の時入門したそうで、枝雀兄弟子にはずいぶんお世話になったそうです。
米朝の父方のばあさん、桑田ババはいじわるで、落ち葉の掃除が終わった桂朝丸に落ち葉をわざと落としといて、「あんた、まだ掃除おわっとらんで。」と叱り飛ばしたとか。
怒った朝丸は、木をがたがたに揺らして落ち葉を全部落としてから掃除しなおした話は熱巻でした。
昔のよしみで出演した、ザ・ラッキー兄さんにはずいぶんお世話になっていたとか。
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昨日は北円堂を見てきました。弥勒如来坐像を拝んでいると、向かって右後ろの無着がじっと私を見つめてくれています。左後ろの世親は目を合わせず、遠くを見てました。
白鳳展を見に、奈良国立博物館へ行く道すがら、鹿たちが水浴びをしていました。
白鳳時代は、日本が東アジアの中心になって、もっとも輝いていた時代なので、とても大好きです。長谷寺の観音立像、観世音寺の立像たちをご覧ください。むちゃくちゃでかいです。こんな仏像をちゃっちゃっと作れるのは白鳳時代だけです。
現代の建築技術をもってしても、興福寺五重塔を作るのに1年以上かかるのに、奈良時代でさえ2か月で完成させました。恐るべき建築技術。
近畿の寺院の心柱は固定され地震で何度も倒壊しましたが、九州倭国の寺院の心柱は固定されておらず、地震に強く倒壊を免れました。でかすぎる仏像たちも然り。白鳳・奈良時代に、占領倭国(occupied Wa)から、国際化目指して60年余りの奈良に多くの古仏が移送されました。
ですから、7/25、8/20、9/12と三回、奈良国立博物館に入館してきました。
まず疑問なのは、663年白村江の戦いの直後、664年前後に全国で仏像が作られていたわけなのですが、なんでそんな余裕があるの?ということです。さきの大戦の終戦直後を考えれば、食べるだけで精一杯のはず。
ほんとうに近畿圏の大和朝廷は白村江の戦いに対し、真剣に戦争していたのか?
さきの大東亜戦争みたいに、陸軍も海軍も真剣に戦争する気などなく、共産主義者たちの揶揄・嘲笑・煽動にあおられて、片手間に戦争していただけなのではないか?
まったく歴史は繰り返します。さてさて本題に入りましょう。
蘇我倉山田石川麻呂が拝んでいた阿弥陀三尊像
橘三千代が拝んでいた阿弥陀三尊像
ともに蓮の茎を模した台座に注目。
阿弥陀信仰は奈良時代は禁止されていました。なぜって?倭国の国教だったので。
観音像には3種類あります。
(1)まっすぐ直立不動で立っている → 法隆寺の夢違観音
(2)少し横に腰をくねらせてエロい → 鶴林寺・金剛寺の観音
(3)前に少し下腹を出す → 薬師寺の観音
薬師寺から月光菩薩が来てましたが、背中は必見。ふくよかで、とても肉厚でエロい。おまけに腰をくねらせてエロさ数倍です。
薬師寺東塔の碑文に「猗與(=けものへん+與)聖王」=「イワイ聖王」と書かれてあります。けものへんなのは、継体天皇に逆らった朝敵ゆえ。
仏像に瓔珞(おかざり)が登場するのは、文官官僚主義の北斉&徴兵軍国主義のの北周以降とのこと。デザインにインド的要素を取り入れた。
645年玄奘がインドから帰国し、日本の留学僧・道昭が玄奘から直接学んで、661年日本に帰国。白鳳仏にインド的要素も取り入れられたというわけ。
顔の原型は、665年唐から定恵が帰国して多武峰に持ち込んだ請来仏が最初とのこと。あとは日本人が独特の顔づくりに自由に表現を変化させていったそうです。
飛鳥池遺跡の天皇木簡
「天皇」と記された日本最古の木簡。
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9/3から壱岐へ行ってきました。 博多港で壱岐でとれたての海鮮丼を食べました。しっかりダシの出た味噌汁がとてもおいしかったです。
博多港からフェリーで芦辺港に到着。レンタカーで一支国博物館へ。
旅館網元で、とろけるようなミルキーうにをいただきました。
9/19にNHKで放映された、経世済民の男・松永安左エ門のことが店内で紹介されていました。
360度見渡せるという岳の辻に行きましたが、一部しか見えませんでした。
一宮である天手長男神社を参拝。
イルカパークで、メスイルカ5匹を見ました。男好きのエレナちゃんが、お昼寝タイムにも昼寝せず、熱い視線を送ってくれました。オスイルカは死んでしまったそうです。
最後は少弐公園へ移動。元寇で活躍した少弐資能(しょうにすけよし)を祭る壱岐神社を参拝しました。
翌日は、西新の福岡市博物館へ行き、「大関ヶ原展」を見ました。東軍に敢然と立ち向かった立花宗茂は人気が高く、毛利氏を調略しまくった黒田長政ひとりに、西軍は敗北しました。
徳川家康と兄弟密約を結んでいた毛利輝元の寝返りを見破れなかった安国寺恵瓊、口惜しや。タヌキ徳川家康は大嫌いです。日光東照宮に参拝する気は毛頭ありません。
大河ドラマ「徳川三代・葵」をあらためて、Youtubeで見直しました。
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二二六事件の主犯格・皇道派のドン・真崎甚三郎を匂坂春平陸軍法務官が死刑宣告できなかった理由として、統制派の寺内寿一陸軍大臣が皇道派と統制派に内部分裂することを恐れ、陸軍大臣任命に依存する匂坂に指揮権発動で圧力をかけたためとされる。
しかし、真崎甚三郎が事件直後、意気揚々と伏見宮邸に出かけて行って、昭和天皇から内閣総理大臣になれという大命降下を待っていたところをみると、近衛文麿をはじめ、宮家にアカがたくさんいることを、統制派は超一流だった陸軍内部調査・訊問によって察知したためではないだろうか。
真崎自身も、皇道派も統制派もない、アカかアカでないかの戦いだったと回想している。貧しかった青年将校はアカに染まりやすかった。富裕層ばかり優遇していると錯覚したアカ青年将校が、高橋是清を暗殺ターゲットに据えたのだが、まったくお門違いの話だった。高橋是清こそ、貧しき人々の味方であり、希望の星だった。
高橋是清のあと大蔵大臣になった馬場鍈一は、貧しき大衆を見捨て国家社会主義をめざしたため、もっとひどい貧乏のどん底に青年将校は突き落とされた。
まったく同じことが、アベノミクスを批判するアカ連中にも言える。
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