« 安保法制賛成 | トップページ | 中国株、バブル崩壊 »

2015年7月 7日 (火)

八木秀次氏「私の蛍雪時代;高校生活三年間」を読む

蛍雪時代 昭和21年12月号より。「八木アンテナ」の発明者で知られる愛国者です。

自己一身のことを書いて人に読ませることを私はあまり好まないが、若い頃の学窓三年の生活が、永いあいだ影響をもつことを痛切に感じたので、そのことを話して青年時代の大切なことを知ってもらいたく思うのである。

私は日露戦争時代に京都三高の一生徒であった。当時、三高の校風は自由主義的であった。従っていろいろな型の学生がいて、お互いに強い干渉もなく、なごやかに平和に交際し勉強した。だから生徒に変わり者が多く、後日みなそれぞれ相当の人物として社会で働いた。

当時、他の高等学校では校風とか伝統とかがやかましく、特に豪傑ぶりが幅を利かせた。近頃でも高校には英雄がり、豪傑気どり、スター好みの風があるだろう。それを見るとほほえましくも感じるが、実に稚気満々たるものである。

その昔、各地から出た秀才が有名な高校に入学すると、伝統の校風なるものに盲従しなければならぬ。弊衣破帽といって服装を意に介しないことを美風として世間ももてはやしたものだから、わざわざ袴を破ったままにしなければならぬ。新しい帽子なんか恥ずかしくて着ていられない。わざと急いで汚さねばならぬ。寮に入ればストームといって野蛮な真似を、最初は多少良心に攻められながら、強いて茶目を発揮しなければならぬ。

かくしてすっかり雷同性を身につける。いわゆる秀才で小ざかしい者が雷同性を見につけたほど始末に悪いものはない。わざと入浴を怠り石鹸も使わず歯も磨かぬ学生が卒業すると、急におしゃれになって香水など用いるようになる。官吏となっても会社員となっても、いわゆる世渡り術の巧者となり、軽薄人となって、節操を疑われるようになる。

自主性と創造性を失って雷同性と迎合性を養ったのである。学校当局はそうでもなかったのに、卒業生と在校生とがみずから自治と称して校風を作って軍隊教育流にしたのである。

私は大学に入ってから各高校の気風を承知して、自分の三高生活はありがたいものだったと知った。社会に出てからも自分は気の弱い者、精神力のあまり勝れぬ人間と知っていたのに、なお自主的にものを考え、事を行う質をもっていた。然るに天下の俊秀諸君があんまり世渡り上手で不甲斐なくなっているのを見て不思議だったが、あの高校時代の雷同僻がたたって、軍国主義にも拝金主義にも迎合するような便宜主義者・機会主義者にしたらしいと考えた。そして自分が三年間自由主義の空気の中で勉強したことが40年後になお影響していると感じたことである。

あの強い弾圧の下でも人の言わぬことを言い、正しいと信ずる所を行って、今日甚だしい自家撞着に苦しまないのを、そのお蔭と考えている。もちろん他にも原因があるだろう。自分が代々大名のいない土地の者で、主君をもたず、独立自営の家に生まれたことなども関係するかも知れないが、若い頃の三年間の学校生活の影響を尊いものと思っている。

終戦後、戦争責任論が盛んであったころ、ある雑誌に、一高、東大の卒業者が日本官僚の主流を作っているから、侵略的軍閥を跋扈させた点で、一高、東大の責任を糾明すべきだという論があったが、戦争責任追及はともかくとして、非自由主義校風を作って、青年の自律性、独創性を傷つけ、雷同主義者、便宜主義者を輩出したことは遺憾である。現在の高校生諸君にもこの話は参考してもらいたいのである。

|

« 安保法制賛成 | トップページ | 中国株、バブル崩壊 »