北九州の倭国では、阿弥陀仏信仰が全盛を迎え、法による平等な裁きがおこなわれ、王みずから労働に従事するという徳治政治があった。
中華大陸北方では、鮮卑人が仏教でおさめた北魏が東西に分裂。中華大陸南方では、倭国に強く影響を受け、梁の武帝が建国。
漢人官僚が文治する東魏と、軍国主義によって虎視眈々と大国を目指す西魏、王自ら僧となって仏教による徳治政治をおこなった梁の三国時代に突入していた。
朝鮮半島では、任那、百済、新羅が倭国の支配下にはいっており、北の高句麗と対峙していた。
そしていつしか倭国の王は、周囲の国々から「帝(みかど)」と呼ばれるようになり、繁栄に繁栄を誇った仏教寺院の町並みが一枚の絵に描かれた。それが門外不出となって故宮博物館に眠りづづける原本「清明上河図」である。そこには、繁栄を極めた倭国の町並みが描かれている。河をすすむ船には日の丸をかかげた船も描かれているという。公開されている「清明上河図」は原本の絵の写し、中華風改訂版に過ぎない。
あさぼらけ 宇治の川霧 たへだへに
現れわたる 瀬瀬の網代木
博多を流れる宇治川を、夜明け頃、トボトボと歩いていると、川面に霧がたちこめており、ところどころに人工的に補強修繕した運河の網代木がみえる。先帝のおかげで、こうして霧の中でも宇治川に落ちることなく、倭京大宰府に向かって歩くことができるのだなあ。
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