和食の深みはどうして生まれたか
昨夜の「ヒストリア」は勉強になった。産業革命さなか、女性が社会進出して、料理をする暇がなくなり、いまだにイギリス料理が食えたものではないことをかんがみると、うなづきも自然と大きくなった。
まずは、道元の精進料理。日本を乗っ取った平安新興貴族様の料理は、工夫を加えず、そのまま出しており、とても冷たかったそうだ。禅宗では、日々の生活にこそ、真の修業があるというモットーらしく、道元は宋から帰国して、さっそく弟子たちの意識改革に乗り出した。煮たり、焼いたり、蒸したり、炒めたり、素材に合った工夫をくわえることで、その食材を最大限においしくできるようになった。
次は、武士の本膳料理。御成(おなり)と呼ばれた、上司が部下に振舞う宴会で、食べきれない数の料理が宴会に運ばれた。上級武士のメンツがかかっていたので、料理方法も奇抜なアイデアで、いっそうおいしくなった。
最後は利休の懐石料理。お茶の二次会が付け足しのようにぞんざいな扱いを受けていたことに怒りを発した利休。料理は一汁三菜までとし、茶の席を存分に演出した。亭主自ら、数日かけて料理を下ごしらえし、自ら運ぶことで、最高のもてなしを演出したのであった。
残念なのは、料理に欠かせない食器の進歩についても触れてほしかった。
土器、須恵器、陶磁器と進歩したのはなぜか?陶磁器で食べるのがいちばんおいしいからなのだ。
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