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2014年11月27日 (木)

和食の深みはどうして生まれたか

昨夜の「ヒストリア」は勉強になった。産業革命さなか、女性が社会進出して、料理をする暇がなくなり、いまだにイギリス料理が食えたものではないことをかんがみると、うなづきも自然と大きくなった。

まずは、道元の精進料理。日本を乗っ取った平安新興貴族様の料理は、工夫を加えず、そのまま出しており、とても冷たかったそうだ。禅宗では、日々の生活にこそ、真の修業があるというモットーらしく、道元は宋から帰国して、さっそく弟子たちの意識改革に乗り出した。煮たり、焼いたり、蒸したり、炒めたり、素材に合った工夫をくわえることで、その食材を最大限においしくできるようになった。

次は、武士の本膳料理。御成(おなり)と呼ばれた、上司が部下に振舞う宴会で、食べきれない数の料理が宴会に運ばれた。上級武士のメンツがかかっていたので、料理方法も奇抜なアイデアで、いっそうおいしくなった。

最後は利休の懐石料理。お茶の二次会が付け足しのようにぞんざいな扱いを受けていたことに怒りを発した利休。料理は一汁三菜までとし、茶の席を存分に演出した。亭主自ら、数日かけて料理を下ごしらえし、自ら運ぶことで、最高のもてなしを演出したのであった。

残念なのは、料理に欠かせない食器の進歩についても触れてほしかった。

土器、須恵器、陶磁器と進歩したのはなぜか?陶磁器で食べるのがいちばんおいしいからなのだ。

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2014年11月26日 (水)

俺のベストナイン

投手  稲尾和久

捕手  田淵幸一

一塁手 榎本喜八

二塁手 篠塚利夫

三塁手 中西太

遊撃手 石毛宏典

外野手 落合博満

     秋山幸二

     小久保裕紀

     イチロー

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2014年11月24日 (月)

南禅寺・永観堂で紅葉狩り

昨日は、阪急電車と地下鉄東西線に乗って、南禅寺と永観堂に行ってきました。

まずは南禅寺。臨済宗・京都五山のひとつです。琵琶湖疏水、方丈にも行きました。

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次は歩いて永観堂へ行きました。

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2014年11月21日 (金)

東福寺にて紅葉狩り

昨日は、午前診を終え、近鉄特急とJR奈良線を乗り継いで、東福寺に久しぶり行ってきました。青空のもと、通天橋を中心に、すばらしい紅葉狩りができました。

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もみじの赤、黄、緑、そして青空の青が見事なグラデーションをなしていました。

This is the Hana-mi in Kyoto !

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2014年11月17日 (月)

金閣寺、等持院にて紅葉狩り

昨日は、阪急電車で嵐山へ。

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京福電鉄(嵐電)で、北野白梅町へ。のんびり歩いて金閣寺へ行ってきました。

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絶景かな。遠くに衣笠山を背景として、鳳凰が輝いていました。

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嵐電で一駅。足利氏の菩提寺、等持院へ。

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足利尊氏の墓です。

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外人観光客もなく、静寂を楽しめる禅寺です。

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2014年11月14日 (金)

大御堂観音寺、蟹満寺、神童寺を訪ねて

昨日は午前診を終え、山城を巡ってきました。

まずは、大御堂・観音寺(だいみどう・かんのんじ)。住職さんの話では、平城京の時代、ここが最北端の都だったそうで、山城の古寺は興福寺の末寺となったそうです。天武天皇の勅願で義淵(ぎえん)が開基。聖武天皇の勅願で良弁(ろうべん)が伽藍を増築しました。

奈良時代につくられた乾漆造の仏像、国宝の十一面観音立像をすぐそばで見せていただきました。昔は「筒城(つづき)の大寺」と呼ばれるくらい大きな寺院を形成していたそうです。

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次は蟹満寺(かにまんじ)。大蛇の害から蟹が守ってくれたという故事をもとに、白鳳時代に秦和賀が建立しました。金銅でできた国宝・釈迦如来坐像を見てきました。興福寺の国宝館に、白鳳期の仏頭が陳列されていますが、体がついていればこう見えるのだろうなと想像できました。わりとシンプルな顔立ちでした。

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最後は、神童寺(じんどうじ)。今多くの仏像が出張中ということで、来年3月下旬に帰還予定だそうです。チョー山奥で、駐車場もなく、ちょっと困りました。近くのゲートボール場をちょいと拝借しました。

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2014年11月 6日 (木)

映画「神聖ローマ、運命の日;オスマン帝国の進撃」をみて

今日は午前診を終え、通天閣の映画館に行ってきました。

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ドラキュラZEROより、ずっと出来はいいのではないかと思います。ただ悲しいかな、ポーランド映画なので、上映権をアピールできなかったのか、関西での上映は新世界しかないという状況でした。

修道士マルコは幼少時、オスマントルコの大宰相カラ・ムスタファに命を助けられたことがあり、運命のいたずらか、戦場で再び会いまみえます。舞台は1683年9月11日、第二次ウィーン包囲。

お互いの信ずる神になんの疑いもなく、二人の理解は平行線をたどります。

カラ・ムスタファ 曰く

「マルコをアッラーが生かしたのは、わたしがマルコを殺すためだ。」

マルコ 曰く

「カラ・ムスタファと知り合えたのは、彼を天国に導いて、イエスキリストの栄光がわたしを仲介して光り輝くためだ。」

イェニチェリを率いるオスマン帝国軍の迫力は抜群で、なんと30万人。対する神聖ローマ帝国軍は1万5千人。

オスマン帝国軍は決して無理せず、太鼓を鳴らし、娼婦を大勢引き連れ、テントを張って御馳走を食べながら、着実に進軍します。敵が強いとみるや、ビザンツ金貨をふんだんにふるまって、士気を高めるのが、オスマントルコ流の戦い方です。

http://www.youtube.com/watch?v=i6BUb3GfPJk

結局、田舎者とさげすんだポーランド王ヤン3世(ソヴィエスキ)率いる有翼重騎兵(フサリア)の大活躍で、神聖ローマ帝国の勝利。ポーランドをヨイショしすぎかな、まっ、ポーランド映画やから、しゃーないけどね。カラ・ムスタファはスルタン・メフメト4世から死を賜ります。妻子が見守るなか、アッラーの栄光を叫びながら。

1697年、ゼンタの戦いで、ハプスブルク将軍プリンツ・オイゲンが、ムスタファ2世率いるオスマン帝国軍を完膚なきまでにたたきのめし、1699年カルロヴィッツ条約で、オスマントルコのヨーロッパ征服の夢が完全に閉ざされます。

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2014年11月 3日 (月)

映画「ドラキュラZERO」をみて

1400年ころから、イスラムによってコンスタンティノープルに押し込められたビザンツ帝国が、ヨーロッパ諸国の王に助けを求めるツアーを繰り返す。憧れのローマ帝国皇帝の末裔として、各国とも大歓迎するものの、誰一人として、ティムール帝国、その次のオスマントルコに十字軍を派遣しようとする者はいなかった。

1453年、船をかついでバルカン半島を横断するという、あっと驚くメフメト2世の作戦が功を奏して、ギリシャの火で恐れられたビザンツ海軍が大敗。ヨーロッパとイスラムの現実主義的防波堤であったビザンツ帝国が静かに滅亡を迎える。ロシア帝国から馬が一頭。ビザンツ皇帝の娘を救出すべくコンスタンティノープルに乗り込む。お市の方を小谷城炎上から救い出した秀吉のようなもの。

そうなるとバルカン半島のキリスト教国は、個々で、オスマントルコの攻撃を直接浴びることになったわけ。

幼少時代、オスマントルコに人質としてとられていた、ワラキア王・ヴラド3世が、オスマントルコへの朝貢をやめ、抵抗することになる。キリスト教ではパワーが足りないと悟り、ドラゴン騎士団の悪魔と手を結ぶことになった。信長もそうだったね。

オスマントルコのメフメト2世といえば、ヨーロッパ全土を恐怖のどん底に叩き落とした英雄である。この映画では、オスマン軍の迫力がもっと欲しかったね。そういう意味で、隣国のハンガリー王国や神聖ローマ帝国の混乱ぶりまで描いてほしかった。

史実では、オスマントルコはドラキュラの棲むワラキア公国を素通りして、神聖ローマ帝国のウィーンを包囲する。城壁が頑丈すぎて攻略できず、地下トンネルを掘ろうとしたが、うまく阻止して、なんとかウィーンを守り抜いた。だから、いまのヨーロッパが現在も存在している。

もし、オスマントルコがヨーロッパ統一を果たしていたら、どうなったか?コロンブスのアメリカ大陸発見を端緒とするアジア侵略も起こりえなかっただろう。

映画のストーリーとしてはよくまとまっていて、とにかくよかった。

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2014年11月 2日 (日)

呉音と唐音

呉音 漢人がもともと持っていた発音。m音を特徴とする。

唐音 胡人がm音の発音をできなかったため、b音を特徴とする発音。

南朝を宗主国とする九州王朝は呉音であった。大和朝廷が藤原京、平城京を建設すると、呉音を時代遅れ、鮮卑人の王朝であった唐音をナウいとして、留学生は唐音をマスターしていなければ、行くことができなかった。

神功皇后と応神大王の八幡の読み方は「ヤハタ」ではなく、もともと「ヤマタ」であった。つまり、出雲のスサノオが征伐したヤマタノオロチ。

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漁船ならここまで来れるんだね

サンゴ密漁の中国漁船が、伊豆諸島沖に120艘で船団を組んで侵入した模様。

この辺なら、日本政府から文句が出ないことを確認できたことは、中国政府の大きな成果であろう。

次は空母で来れるよね。東京はすでに中国ミサイル射程距離内にあり。東京さえ破壊すれば、日本はどこからでも上陸できる。

憲法第9条、さあこの問題をどう解決する?

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