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2014年10月 4日 (土)

下坂守先生「近江の城と信長」をみて

たまたま見たケーブルテレビでおもしろい番組をやっており、見入ってしまいました。

琵琶湖東岸には、北から次の城が並んでいました。戦国初期の武家屋敷は瓦葺などではなく、藁ぶき屋根の質素なつくりでした。

小谷城 

横田城

佐和山城

安土城

観音寺城

浅井・朝倉氏が小谷城と佐和山城をおさえており、信長の横田城があいだに囲まれていました。信長は浅井長政の裏切りにあい、姉川の戦いで、小谷、佐和山を平定します。琵琶湖西岸に避難した浅井・朝倉軍は、浄土真宗信徒、比叡山僧兵を率い、水軍を編成して、琵琶湖西岸の坂本から佐和山に攻め込みました。

小谷城に丹羽長秀、佐和山城に豊臣秀吉を配置。

信長は憎き比叡山を滅ぼすべく、坂本に布陣する浅井・朝倉氏を深追いしすぎました。まわりを敵に囲まれた信長は、和議を提案。「ワシが悪かった。天下は朝倉に譲るから許してくれ。」と謝る始末。

冬が近く兵糧が絶たれることを恐れた朝倉氏が、なんと和議を飲んでしまいます。このとき、一気に信長をたたいておけば、浅井・朝倉氏の天下になっていたものを。

ぐずぐすしているまに、丹羽、秀吉援軍が到着。比叡山焼き討ちと相成りました。

佐和山城の一部を琵琶湖湖畔に突き出させて、水軍を停泊させ、丹羽長秀を住まわせました。次いで、坂本城を改築して、琵琶湖湖面に突き出させて、佐和山ー坂本ラインを築きます。坂本城には腹心・明智光秀を配置。

もともと安土城には伊庭(いば)氏が居城を構えており、規模は小さいながら水軍を有していたそうです。安土城を居城とする伊庭氏は水軍、観音寺城を居城とする佐々木六角氏は陸軍を得意として、対峙していました。信長は伊庭氏から安土城を奪取して、改築し、自らの居城としました。

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