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2014年10月31日 (金)

第66回正倉院展をみて

昨日は午前診を終え、開扉された興福寺北円堂、東金堂後部を見てから、15時半ころから最終18時まで、正倉院展に行ってきました。読売新聞のタダ券が助かりました。

レイトナイトチケット組が押しかける前、16時15分ころから、ようやく空きはじめ、レイトナイト津波がひとしきり過ぎ去った17時からは並ばなくても見放題ショーとなりました。

天高く馬肥ゆる秋

まさに雲一つない最高の日本晴れで、最高の行楽日和でした。

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今回の目玉は、聖武天皇のグッズでした。靴、靴下、ベッド、ベッドに敷いていた莚・畳。

光明皇后とベッドを並べてダブルベッドにしていたのではないかという解説には、ムムムときました。

畳に、聖武天皇の血性吐物みたいな血痕はないかとみましたが、とくになさそうでした。病弱な方だったので、看病もさぞ大変だったでしょう。

極めつけは、聖武天皇の刀コレクションシリーズ。

称徳天皇が、お父さん(聖武天皇)のコレクション刀をほとんど持ち出して、藤原仲麻呂を征伐したそうで、正倉院にはほとんど残っていません。刀は大小さまざまで、伎楽面をつけて踊るとき専用の小刀も交じっていただろうし、

「武器が足りないのね。父上の形見、うーん、このさい全部持っていきなさい。」

とヒステリックに叫ぶ称徳天皇。前線に刀が運ばれて、兵士たちが口々に、

「あれ?なんじゃ?これはつかいものにならん。」

という場面もあったのではないでしょうか。切腹もできそうもありません。

ちなみに西大寺は、仲麻呂調伏のために称徳天皇によって建立されました!

銅漆作太刀(どううるしづくりのたち)

まっすぐな刀身、切れのよさそうな歯。

漆塗鞘御杖刀(うるしぬりさやのごじんとう)

象牙付きエイ皮でできた柄は圧巻です。

黄金荘太刀(おうごんそうのたち)

エイ皮の柄です。刀身が細めで実践には役立たなかったかも。

無荘刀(むそうのとう)

古墳時代に作られたみごとな刀身です。藤の木古墳に類似品ありとか。

梓弓(あずさゆみ)

槻弓(つきゆみ)

曲げ方が微妙に違いますね。

あとは光明皇后の品かな。

鳥獣花背円鏡(ちょうじゅうかはいのえんきょう)

要するに海獣葡萄鏡。これはいっぱい見たことがあります。

鳥獣花背方鏡(ちょうじゅうかはいのほうきょう)

正方形の海獣葡萄鏡はめずらしい。

鳥毛立女屏風(とりげりつじょのびょうぶ)

6枚シリーズのうち、2枚は江戸に出張中とのこと。ふっくら美人と着物にはヤマドリの羽が・・・、ムム、見えないぞ。

白瑠璃瓶(はくるりのびん)

ガラス製の水差し。これで聖武天皇は漢方薬を飲んでいたのか。

金銀絵長花形几(きんぎんえのちょうはながたき)

デザインが独特。色彩のグラデーションシリーズは以前の正倉院展に詳しくブログしてます。

個人的に注目はこれ。マニアックだよ。

東大寺開田地図

初期荘園のでき方を示す貴重な地図。律令制まもない富山県の荘園だそうです。

東大寺封戸処分勅書

恵美押勝(藤原仲麻呂)の直筆勅書。

太師 従一位 藤原恵美朝臣 の直筆サイン。まあしっかりかけている。それにしても太師とは自分で作った官職なのか。光明皇后はいつも藤三娘とサインしている。藤の一文字に賭ける思いをよそに、藤原の二文字。おまけに恵美とは。この4年後、乱を起こすが、傲慢ぶりがうかがえました。

銅三鈷(どうのさんこ)

古密教の仏具。白鳳・奈良時代から、大日経、般若心経、光明真言などといったサンスクリットの密教は日本に渡来していました。空海は、日本には断片しか伝わっていない密教を、まるごと日本に持ち込もうとして、成功をおさめたのです。第8代教祖様になって帰ってきたのですから、たいしたもんです。

王族・皇族の苗字は常に一文字

中 委奴国王

倭 倭国王(邪馬台国王)

豊 現皇族(東鯷国王・継体王朝・越国王)

紀、木、貴 出雲国王

和 百済王

直属臣下の苗字は二文字

大伴

物部

中臣、藤原 中氏の家臣

葛城

平群

蘇我

北条

足利

豊臣 豊氏の家臣

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