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2014年5月30日 (金)

憲法改正

米日安保条約の下に、日本国憲法が置かれている現状ですが、どうしますかね?

アメリカの都合で、アメリカ軍が日本の領土、領海、領空を自由に行き交い、自由に防衛線や戦線を張り、自由に軍需金品を搾取することができるわけです。

倭国の帝(みかど)は、国家の危機に際し、決して逃げず、民とともに戦って討ち死にました。701年大化改新、さらに794年平安京遷都という革命で、倭帝の地位を乗っ取った日本国の帝(みかど)は、国家の危機に際し、民を見捨てて逃げてきたのではないでしょうかね。

日本国の歴史、文化、伝統に基づいた帝国憲法はすでに存在していたわけですし、ベアテ・シロタ・ゴードンという名の夢見る乙女が書いたファンタジー憲法、いや、日本国憲法をいつまで崇め奉る気なのか?

帝国憲法がまだ未成熟だったために、昭和の軍国主義という自殺行為に走ってしまったわけで、倭国の歴史、文化、伝統をも含めた帝国憲法の再検討が必要だと私は考えています。帝は兄弟統治でお願いしたい。兄帝が政治をつかさどれば、弟帝が京都御所で祭祀をつかさどる、兄帝が祭祀をつかさどれば、弟帝が政治をつかさどることが、国家安寧を計るにはとても大切なことだと考えています。

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2014年5月29日 (木)

靈山寺(りょうせんじ)バラ園を訪ねて

午前診療を終え、自家用車にて友人と、奈良富雄にある靈山寺のバラ園に行ってきました。奈良大仏開眼に、はるばるインドから来日した菩提僊那(ぼだいせんな)が立ち寄って休憩した寺です。ふるさとインドの寺に似ていたとこのことで、菩提僊那が靈山寺と名付けました。

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本尊は薬師如来坐像で、正倉院展のころ開帳するそうです。脇侍に日光菩薩・月光菩薩がいて、あわせて薬師三尊を成しています。

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寺院内のバラ園に行ってきました。

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バラの紅茶とバラの生チーズケーキを食べました。

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バラのアイスクリームを食べました。

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すばらしいバラの香りに包まれて、最高のアフタヌーンティーを楽しみました。

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弟の嵯峨帝が奈良帝(筑紫君磐井)を想い詠める歌

吉野ヶ里付近にあった交野離宮(かたのりきゅう)にて、

倭国を代表する五節の舞を楽しんだ懐かしき日々、

継体大王に多くの民が殺され、破壊された奈良京を偲びつつ、

倭国伝統の兄弟帝として助けた奈良帝(筑紫君磐井と詐称)を

懐かしんで詠める歌。。。。

昔時を追想し 旧館に過(よぎ)る

悽涼(せいりょう) 涙下りて 忽(たちま)ちに襟(ころものくび)を霑(ぬ)らす

廃村(はいそん) 已(すで)に 人煙の絶えたるを見

荒院(こういん) 唯(ただ)に 鳥雀の吟(な)くを聞くのみ

荊棘(けいきょく) 知らず歌舞の処(ところ)を

薛蘿(へいら) 独り向かうに 恋情深し

花を看るに 故事を誰か能(よ)く語らん

空しく浮雲を望みて 転(うたた)心を傷ましむ

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2014年5月23日 (金)

倭国 vs 扶桑国

倭国=福岡・大分・佐賀 の古代技術

倭尺 1尺=28.1cm

百済様式。

心柱礎石(心礎)は臼型で、ダルマ落とし方式で耐震性が強い。

船骨も頑丈な構造になっていて、難破しない。

扶桑国=奈良・大阪・京都 の古代技術

天平尺 1尺=30.3cm

高句麗様式。

柱穴を掘って、平らな心礎を埋めてあるので、地震で心柱が折れやすい。

船骨も粗末な構造で、荒波で折れやすい。

倭の五王、遣隋使の時代に、なんの事故もなく、憂いもなく、中国大陸や朝鮮半島と交易できていたものが、なぜ、遣唐使の時代になると、4雙のうち2雙が難破し、678年白鳳大地震をはじめ、地震で五重塔や金堂が倒壊し、遣唐使に行けと言われて、藤原貴族たちがさめざめと泣いたのか?

新羅と不仲になって、朝鮮ルートが使えないからとする現行教科書の言い訳では、まったく説明がつかない。

倭讃(373-437) 近江の海・大工事

法隆寺五重塔に落書きされた王仁の和歌

「難波津に 咲くやこの花 冬籠り 今は春べと 咲くやこの花」

倭珍(438-443)

倭済(443-462)

倭興(462-478)

倭武(478-501)

神功皇后(501-509) 新羅征討

倭薈帝(510-531) 「国父」=「寛平の治」=阿弥陀信仰、平仮名の発明、隠国(こもりく)の初瀬寺(佐賀県杉神社)、奴隷撤廃を提唱、万葉集編纂

「竜田川 もみぢ乱れて 流るめり 渡らば錦 中やたえなむ」

嵯峨帝(531-533) 倭薈帝の弟

延喜帝(533-553) 「延喜の治」=東大寺大仏殿の発願、奴隷解放令、通貨(延喜通宝)発行、2官8省制定(神祇官・太政官・中務省・式部省・治部省・民部省・兵部省・刑部省・大蔵省・宮内省)

天慶帝(554-570) 「天慶の治」=国分尼寺(女性の地位向上)、”信貴山縁起絵巻”、東大寺大仏殿の落成法要

天暦帝(571-590) 「天暦の治」=無量寿経の改正

宇多帝(571-590) 天暦帝の弟

法興帝=上宮王(591-622) 遣隋使派遣、法華経を国教化、観世音寺の発願・落成(紅葉賀)、七条憲法制定、古今集編纂

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大徳寺を訪ねて

今週日曜に、京都洛北にある大徳寺に行ってきました。茶室がたくさんあることでよく知られている臨済宗禅寺です。

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秀吉が、この三門の2階に安置している利休像のまたぐらをくぐったことで、利休を切腹させました。

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興臨院です。畠山義総が建立した畠山氏の菩提寺です。のちに前田利家が買い取り、前田氏の菩提寺にもなっています。

売りは、日本最初の床の間と古田織部が建立した茶室で、大名だった古田織部は、利休の狭き出入り口でお辞儀させられることを良しとせず、障子を開けて堂々と入っていける茶室に作り上げています。

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総見院です。秀吉が、信長の1周年追善菩提を弔うために建立した、織田氏の菩提寺です。

売りは、織田信長木像、侘助椿(わびすけつばき)です。

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総見院からは、比叡山が見られることで有名です。

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高桐院です。細川忠興が建立した細川氏の菩提寺です。

売りは、紅葉です。秋にはまた来たいですね。

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大仙院です。大聖国師(だいしょうこくし)が建立した寺です。

売りは、秀吉が踏んだ鴬張り廊下と、利休の茶室、それに沢庵和尚の拾雲軒です。

中に進めば進むほど、庭の石が減り、心のこだわりが消え悟りが開かれていくさまを表現しているそうです。

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瑞峯院です。大友宗麟が建立した大友氏の菩提寺です。

売りは荒波を表現した蓬莱山式庭園です。

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2014年5月22日 (木)

桓武に疑義あり

いまは京都の平安神宮にちゃっかりお眠りあそばされている桓武だが、藤原百川と共謀して、実の弟二人を殺し、天武→聖武の血を受け継ぐ異母兄・他戸皇子(ふさどのみこ)を殺しただけのことはある。吉備真備さえ生きながらえていたら、こうはならなかっただろう。

不都合な歴史文書を焼き払い、仏像や地名を変え、「物語」や「日記」や「歌集」が語る真実の歴史を消し、捏造歴史のつじつまを合わせようと試みた。奈良仏教の堕落を嘆いて遷都した?ウソこくでねぇ。100年来の盟友・新興豪族・藤原氏の荘園独占は続き、邸宅に私的暴力団を囲い、牛車をひかせ、右京未完成の平安京なんていつ命がけの抗争が勃発するかもしれないし、無防備な一般市民が住めたもんじゃなかった。それに加え、地方への遠征と称する略奪行為も欠かすことが無かった。お前らの憂さ晴らしか。

20年留学の約束を破り1年で帰国した私学僧・空海もあやうく桓武に殺されかけている。空海は、九州王朝=倭国の都・大宰府にあった観世音寺で、桓武が死ぬまで身をひそめていた。このころの大宰府は日本ではなかった証拠でしょ。

桓武が消そうとした歴史を再生することなくして、日本の未来はないだろう。戦争という同じ過ちを繰り返してはならない。

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2014年5月17日 (土)

阿弥陀信仰は日本人発祥

逆賊磐井は国父倭薈だ

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筑紫君磐井で知られる倭薈(ゐわい)が、阿弥陀信仰を広め、善政を施して、民衆から慕われていたそうだ。いまは岩戸山古墳で眠っているとされている。

北斉の道綽(どうしゃく)、唐の善導(ぜんどう)も倭国に阿弥陀経の勉強に来ていた。655年に即位した則天武后も、阿弥陀仏を厚く信仰した。(唐は李氏から武氏へ易姓革命が起こった。)

663年、白村江の戦いで敗れた倭国は、唐に「清明上河図」を奪われた。清明上河図には、大宰府の地で栄華を誇った倭国の都の様子が事細かに描かれており、難波津(いまの博多)、近江の海(いまの福岡市街)、石山寺(いまの三宅廃寺)、賀茂川(いまの御笠川)、石造アーチ橋の長柄橋、倭京(いまの大宰府都城)まで描かれ、原本を保管している中国や台湾は一切門外不出にしている。日本の真似をしたとなったら、メンツ丸つぶれですからね。

東大寺大仏は大分県宇佐の小倉山に建っていた東大寺から奈良平城京に移したものであって、もともとは阿弥陀仏であった。奈良時代には、大仏の両脇に、観音菩薩半跏坐像と勢至菩薩半跏坐像が建てられ、阿弥陀三尊を成していた。大仏開眼のとき、宇佐神宮から神輿が担がれてきたのもそういった事情が裏にあった。

東大寺=金光明四天王護国之寺

阿弥陀大仏=倭薈がモデル

観音菩薩=神功皇后(母)がモデル

勢至菩薩=仲姫(なかつひめ・妃)がモデル

500年 倭武を父、神功皇后を母に持つ倭薈が生まれる。

501年 倭武 死。神功皇后が倭王となる。

509年 倭薈(磐井・応神・奈良帝)が即位。

514年 吉野ヶ里近くの奈良京に遷都。

517年 長谷観音菩薩立像を建立。神功皇后がモデル。

522年 倭薈の弟・嵯峨帝に譲位。梁から渡来した司馬達等に奈良京近く、豊山に遮那道場を作らせ、自ら出家修行にはげんだ。

523年 都を大宰府に戻す。

531年 百済帰化人・継体大王により倭薈が小倉山で殺される。(磐井の乱)

物部麁鹿火(もののべのあらかい)は継体軍に、物部荒山(もののべのあらやま)は磐井軍に味方した。

533年 延喜帝が継体大王を破り、即位。磐井の乱で死んだ倭国の民兵を弔うため、千体千手観音立像がつくられ、のちに三十三間堂に移された。

535年 小倉山東大寺大仏殿を建立。

541年 世界で初めて奴隷解放。

554年 天慶帝が即位。

570年 小倉山東大寺が落慶法要。

573年 天暦帝が即位。

591年 法興帝=上宮王=桐壺帝=聖徳太子=多利思北孤が即位。

596年 扶桑国・蘇我馬子が飛鳥寺を建立。

600年 倭国・上宮王が遣隋使を派遣。

601年 陸奥国の厨子王拉致事件をきっかけに、倭国を改め、日本国と改名。

603年 冠位十二階制定。

604年 憲法七条を制定。(十七条ではない)

607年 観世音寺を建立。

618年 日本国を倭国に戻し、観世音寺落成式。釈迦像(いまの法隆寺・薬師如来坐像)を中心に、脇侍として、上宮王をモデルとした救世観音立像と、百済から帰化した千食王后=藤壺をモデルとした百済観音立像がつくられた。

622年 上宮王が死に、朱雀帝が即位。

623年 上宮王をモデルとした釈迦三尊像がつくられる。

629年 冷泉帝=光源氏が即位。

631年 遣唐使を派遣。

632年 唐の使節・高表仁が冊封関係を迫り、倭国の太政大臣、式部卿、禅正尹の為尊(ためたか)親王を殺害した。

645年 扶桑国の孝徳天皇が大化改新。新羅と友好関係を結ぶ。

653年 光源氏が死に、今上帝=中皇命が即位。扶桑国ははじめて遣唐使を送るが、船が沈んで失敗。

654年 扶桑国が遣唐使を派遣。

655年 則天武后が唐で易姓革命。周を新たに建国。

659年 扶桑国が遣唐使を派遣。

663年 白村江の戦いで、倭国・百済連合軍が新羅・唐連合軍に敗れる。

664年5月~672年5月 唐の郭務悰(かくむそう)が倭国に進駐し、徹底的に大宰府を破壊し、略奪した。

665年 扶桑国が遣唐使を派遣。

672年 扶桑国・天武天皇が壬申の乱で勝つ。倭国のシンボルだった阿弥陀仏を除き、博多・大宰府・倭国の文化遺産をすべて奈良に移した。阿弥陀信仰をかたく禁じた。

法隆寺は移築された新装

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万葉集には、400年~600年くらいの倭国の和歌が数多く含まれており、柿本人麻呂は500年くらいに生きた実在人物で、和泉式部、紫式部、清少納言、紀貫之といった「ひらがな」文学の金字塔作家たちは600年くらいに生きた実在人物であった。在原業平もこのころの実在人物であり、「大和物語」「伊勢物語」「住吉物語」「竹取物語」といった文学も、北九州の倭国に起こった出来事を題材に書かれていた。

奈良東大寺・2月堂のお水取りで、鬼が火を持って現れるシーンは、継体=鬼が、大仏=筑紫君磐井=倭薈を殺した事件を描いたものだとされる。

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2014年5月15日 (木)

小学校に入学して

国語の授業で、最初に読んだのが、

さいた さいた さくらが さいた

音楽の授業で、最初に歌ったのが、「日の丸の旗」

http://www.youtube.com/watch?v=Fc29UrLvKxA

しろぢに あかく ひのまる そめて

ああ うつくしい にほんの はたは

あおぞら たかく ひのまる あげて

ああ うつくしい にほんの はたは

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2014年5月14日 (水)

自治と自由の旗を揚げ

嗚呼、鴻南の若き日に

自治と自由の旗を揚げ

防長の野に我立てば

見よ満天に光あり

自炊こそ自治の根本であり、学生より選抜せし自炊委員が自ら栽培し、食材を買い出し、調理を行う。警察といえど何びとたりとも学生の自治を侵すことあたわず。

他人から与えられるフリーダム(freedom)ではなく、自らの力で勝ち獲るリバティ(liverty)の精神こそ、旧制高等学校が唯一教えてきたことだ。

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2014年5月12日 (月)

相国寺を訪ねて

昨日は、相国寺へ行ってきました。風が吹くととても気持ちがよかったです。

まずは、鳴き龍の法堂(はっとう)です。

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方丈です。

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風呂が特別公開されていました。

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冬寒い日、長湯する修行僧がいないか、見張り役がいました。

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2014年5月11日 (日)

ここらで、一休み、一休み

・日本の組織構造は、二重構造。

(1)大戦略がない、バカなリーダー。リーダーを取り巻く拒否権集団がたくさんいる。リーダーは間違いが許されない。まちがえたら解雇される。

(2)バカな上司に不条理な宿題を課せられても、見事に解決してしまう、超優秀な現場集団。

・日本と朝鮮の比較

日本のリーダーは自ら手を動かし、模範を示そうとする。労働は鏡である。古事記に登場する神も労働する。資本主義社会の萌芽をもっていたくらい。朝鮮のリーダーは手を動かさない。労働は下々の卑しい者がすることであって、恥である。

・中国もロシアも国家組織がない。

リーダーと社員が個別契約で結ばれる会社のようなもの。

・徳川幕府の施政方針

一般庶民には国家のルール”ご威光”が厳然と存在することを認めさせ、そうしたルールが彼らにとってよいものであることを理解させよ。だが、そうしたルールがいかなる内容のものであるかは彼らに知らせるべきではない。徳川将軍の愚鈍化、出自不明な徳川・松平家の神聖化大奥の奢侈大名への朝鮮式朱子学の洗脳武士の地方公務員化江戸市民だけの白米食”パン”と歌舞伎”サーカス”「関ヶ原の真実はこうだ。」と捏造歴史を語る講談師など。

徳川幕府の一億総白痴化政策、軍国主義、大東亜戦争、TPP、消費税増税、集団的自衛権改正、憲法改正などは、枝葉末節の問題であって、筑紫君磐井、継体大王、白村江の戦、壬申の乱、大宝律令あたりから、日本のお馬鹿リーダーという、根本的な病気(日本病)を見直さなければいけない、滅亡寸前の総決算の時期に来ているようだ。

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2014年5月 9日 (金)

興福寺北円堂を訪ね、「鎌倉の仏像」をみて

昨日は、午前診療を終え、興福寺北円堂の特別開扉に行ってきました。

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北円堂は、藤原不比等の死を悼んで、元正天皇が長屋王に作らせたとのこと。法隆寺の夢殿の屋根にそっくり。数年後、長屋王は、不比等の子、藤原4兄弟に殺されますけど。 なんか変じゃなーい?

運慶の3仏像を見ました。

弥勒如来坐像

無著菩薩立像

世親菩薩立像

あとは、延暦10年(791年)の四天王立像を見ましたが、791年といえば、長岡京をやるだのやめるだのドサクサ騒ぎのど真ん中じゃないの。

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鎌倉国宝館が改築工事中とかで、 奈良に鎌倉の仏像たちがやってきましたので、見に行ってきました。

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豆知識としてはこうですね。

慶派(康慶・運慶・快慶):東大寺出身、筋骨隆々、運動部的

善派(忍性・叡尊・善円):西大寺出身、ひかえめ、文化部的

鎌倉武士は慶派を好んでいましたが、善派も鎌倉へ出張したそうです。

鎌倉時代、中国から臨済宗僧の蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)と無学祖元(むがくそげん)が来日し、袈裟が台座より下に長く垂れる、「法衣垂下像」が大流行しました。

鎌倉仏像の特徴

1.宋風(中華風)仏像の影響で、目が細すぎる

2.法衣が長く、台座からこぼれるくらい垂下している

3.リアリズムを追求した、生前そっくりの木像

辻薬師堂から、薬師如来立像と十二神将立像

源実朝の病気平癒を祈願して、北条政子がつくらせたのが、

寿福寺の薬師如来坐像

阿弥陀寺から、色彩鮮やかな文殊菩薩立像

光触寺から、 宋で流行した阿弥陀如来立像

建長寺から、鎌倉グッズを持つ千手観音坐像

常楽寺から、顔の金箔が残る阿弥陀如来坐像

浄光明寺から、なまめかしい観音菩薩坐像

浄光明寺から、矢を拾って足利直義を助けた地蔵菩薩立像

極楽寺から、密教の印を結ぶ釈迦如来坐像

浄智寺から、道教風でかい顔の韋駄天立像

東慶寺から、本日メインイベント、艶めかしい水月観音遊戯坐像

寿福寺から、瓔珞が細かく彫られた地蔵菩薩立像

鶴岡八幡宮から、色彩鮮やかな弁財天坐像

浄妙寺から、マイケルジャクソン風・前傾姿勢の阿弥陀如来立像

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鎌倉から大挙して、はるばる友達、奈良までお越しになっている仏像たちでした。

東大寺も、興福寺も、奈良の寺はみんな、平家の敵、源氏の味方でしたね。

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2014年5月 6日 (火)

銀閣寺を訪ねて

今日は快晴。阪急の快速特急に乗って、銀閣寺に行ってきました。梅田、十三、淡路、桂、四条烏丸、四条河原町しかとまりません。

11:32  梅田発

16:41 四条河原町発

まずは、観音を祭ってある観音殿(銀閣)。屋根の漆が、風雨によって剥がれて白っぽく見えるのを評して、銀色の銀閣と名付けたとのこと。

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池に沈殿した砂をこさいで、水で固めただけの向月台(こうげつだい)です。月に一回しか、塗り固めないそうで、それでも崩れないほど頑丈なつくりになっています。

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波紋を表現した銀沙灘(ぎんしゃだん)です。これも月一回しか、塗り固めないそうです。

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今日まで、東求堂が特別公開されており、別料金であがってきました。中庭です。

与謝蕪村(よさぶそん)による、酔った歌人の絵、鳥が飛び立つ絵をみて、池大雅(いけのたいが)による囲碁の絵、そして奥田元宋(おくだげんそう)による花と紅葉の絵を見ました。

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「銀閣寺式」と言われる袈裟形の手水鉢です。

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足利義政が愛した東求堂の全景です。同仁斎という、日本最初の四畳半茶室に案内してもらいました。書院飾り、棚飾りの奥に、ふすまを額代わりに少し開けて、滝の流れを目で楽しむことができます。

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床の間は、元来このように外向きにこしらえてあったそうで、後世、部屋の中に床の間が取り込まれるようになったそうです。

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義政が茶の湯のための水をくんだ、お茶の井です。

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2014年5月 5日 (月)

映画「ネイチャー3D版」をみて

徹子の部屋に出演した滝川クリステルのプロパガンダに負けて、西宮ガーデンズに行ってきました。

アフリカの大自然が描かれていましたが、全部描き切るには時間オーバーだと思います。宇宙空間から海底深海まで、縦の軸でゆっくり見せるのもよかったのでは。

わたしはやっぱり、穏やかな日本の自然が好きですね。

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2014年5月 4日 (日)

神戸ジャーマンビア・フェスティバル

今日も快晴。ハーバーランドまで、ドイツビールを飲みに行ってきました。

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ヴァイスビア・ヘルを一気に飲んで。

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ヴァイツェンビアをおかわり。なんせ座る場所がなくて、今日はここまでで退散といたした。続きは、6月末、奈良公園のオクトーバーフェストにて再会を誓いました。

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「南山城の古寺巡礼」展、三十三間堂を訪ねて

昨日は、快晴。京都七条の京都国立博物館に行ってきました。

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奈良時代から平安時代初期にかけて、藤原貴族たちは、自分の、そして自分の家族の極楽浄土を願って、奈良の北部の山深くに寺をたくさん建立しました。どんだけ悪事を働いていたことやら。一般平民は地中お墓に埋葬することすら許されず、地面に遺体が放置されていた時代のお話です。多くの寺が戦火を逃れており、木津は古仏の宝庫なのです。京都のほんとうの見どころは宇治平等院だけではないのです。

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期間限定でしか見られない仏さん、寺自体が一般公開されていない仏さんが大集合しており、今回、ここ京都国立博物館まで足を運ぶ意義はここにあるのです。

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(1)高麗寺(こまでら)

素弁十葉蓮華文(そべんじゅうようれんげもん) 軒丸瓦

複弁蓮華文(ふくべんれんげもん) 軒丸瓦

重弧文(じゅうこもん) 軒平瓦

日本最古の寺、飛鳥寺と同じ高句麗様式の瓦たちです。

(2)神雄寺(かみおでら)

奈良三彩 陶器

墨書「神雄寺」「黄葉」 土器

大伴家持が書いた木簡「阿支波支乃 之多波毛美智」

→ 秋萩の 下葉もみちぬ あらたまの 月の経ぬれば 風を痛みかも

神雄寺では、歌会がさかんに開かれていました。

(3)井手寺

(4)三木山廃寺

(5)恭仁京(くにきょう)

(6)山城国分寺

それぞれ、軒丸瓦、軒平瓦の展示です。藤原広嗣の乱のとき、聖武天皇が遷都して恭仁京を建てました。ここは、橘諸兄の本拠地でした。廃都となったあと、都の建築木材を使って山城国分寺が建てられました。

(7)海住山寺(かいじゅうせんじ)

十一面観音立像

薬師如来坐像

四天王立像

東大寺大仏の脇侍をつとめる四天王の色彩が長年、謎でしたが、海住山寺のこれら4体のミニチュア版四天王像がみつかって、3D復元に成功したことは、近年話題になりましたよね。

貞慶(じょうけい)がこの寺を建てたころ、木津は、光明山寺(こうみょうせんじ)を中心に、ものすごく栄えて、人口も多かったそうです。

(8)法性寺(ほっしょうじ)

地蔵菩薩立像

これはなかなか見れません。本邦初公開とのこと。首に付けた装飾品がとても精巧でした。

(9)現光寺(げんこうじ)

十一面観音坐像

これもなかなか公開してくれません。貴重な体験。

(10)笠置寺(かさぎでら)

誕生釈迦仏立像

毘沙門天立像

笠置寺といえば、弥勒石像。弥勒信仰の中心地でした。なにげに、飛鳥時代の誕生釈迦仏像に出会いました。戦火で焼失した大阪の四天王寺に行くくらいなら、奈良の笠置寺のほうが、聖徳太子のゆかり品が残っているかも。

(11)岩船寺(がんせんじ)

普賢菩薩騎象像

人間の歯をもった象さんの上に乗った仏さんです。これと、日本最古の阿弥陀如来像が売りのお寺さんです。狭い山道を車で行くにはアプローチがむずかしいお寺さんで、真っ暗な本堂で、静かに住職さんが説明してくれます。

(12)浄瑠璃寺(じょうるりじ)

多聞天立像

なんといっても九体(くたい)阿弥陀仏坐像が残っている日本唯一のお寺さんで超有名です。わたしのブログでも再三紹介しています。期間限定で、三重塔内に安置されている薬師如来坐像には出会えませんでした。レアな期間限定公開の仏さんです。現地に近々行く予定です。

(13)禅定寺(ぜんじょうじ)

十一面観音立像

文殊菩薩騎獅像

地蔵菩薩踏下像

片足を伸ばしたかっこうの地蔵菩薩像って、ここしか見られません。本日メインイベントです。平安の仏さんで、なかなか見ものです。

(14)寿宝寺(じゅほうじ)

千手観音立像

十一面観音さんと千手観音さんが向かい合ったこの会場空間は、至福の喜びでした。千手観音の平安グッズが完璧に保存されていて、感動しました。

(15)蟹満寺(かにまんじ)

阿弥陀如来坐像

(16)神童寺(しんどうじ)

愛染明王坐像

不動明王立像

愛染明王さんが持つ平安・愛のキューピットの弓矢がかわいい。

(17)観音寺(かんのんじ)

奈良時代の十一面観音立像で有名なお寺さんですが、出張されず残念。また木曜午前診終えてでも見に行ってきまーす。

(18)酬恩庵:一休さんコーナー

ずいぶん変わりものだったようで、自戒録に書かれてあるのが、

酒宴、遊女、男色、田楽、尺八

全部やったんかい!

靴と靴下の展示には笑えました。

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後白河法皇が建てた寺、三十三間堂。好きになれませんなぁ、後白河。源平、敵味方に追討の院宣を放って、平家が滅んじゃったよ。重源が修理した東大寺大仏開眼してから死にたいと、必死のパッチで生きて、往生を遂げたつもり??

閉堂まで庭園でそよ風に吹かれて、京都を満喫してきました。

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