« トップの指令方法 | トップページ | 日本人の敗戦後思考パターン »

2014年2月16日 (日)

「戦国の貧乏天皇」を読んで

戦国時代にはさほど興味がなかったが、最近、反日プロパガンダに打ち勝つテクニックを学ぶ目的で、戦国時代の勉強をすることにした。

戦国の貧乏天皇

戦国の貧乏天皇
著者:渡邊大門
価格:2,310円(税込、送料込)
楽天ブックスで詳細を見る

足利将軍の内紛、三管領(斯波・細川・畠山)と四職(赤松・一色・京極・山名)の内紛によって、地方守護大名が幕府をなめだした。

守護大名は京都に上京することをやめ、自分の守護領拡大に専心するようになった。あくまで、自分の領国支配に限定していた。天下をとるなどとうそぶいたのは、阿波の三好長慶と、尾張の織田信長くらいのもの。最強だった上杉謙信ですら、上京にまったく無関心だった。

京極→(守護代)尼子、斯波→(守護代)朝倉、大内→陶→毛利といった下剋上になると、藤原氏の荘園や、天皇の禁裏料所を失敬拝借する戦国大名が出てきた。足利将軍が出す守護職の命などなんの意味もなくなった。実力勝負の世。まだ天皇が出す国司の命のほうが、敵を威圧するのに多少は役立った有様。

一条兼良 → 奈良

二条持通 → 下賀茂

鷹司房平・政平 → 奈良一乗院

九条政基 → 播磨

九条政忠 → 奈良古市

近衛房嗣・政家 → 宇治

一条教房 → 高知幡多

一条政房・冬良 → 摂津福原

冷泉為広 → 能登畠山氏&播磨赤松氏

藤原氏の財政が圧迫され、地方荘園の守護にひきこもってしまい、朝廷行事をボイコットする貴族が続出。貴族は貧乏をしのぐのに必死となった。天皇も禁裏料所にひきこもりたかったが、貴族のように京都からの夜逃げは許されず、朝廷の行事に必要な人材が超不足。

綸旨(りんじ):朝敵を打てという天皇の勅命

宸筆(しんぴつ):天皇直筆の書。珍重され、大金で買われた。

伏見宮家が念願の皇位につけるようになると、4代続けて、勉強をいっぱいした天皇が続いた。

(1)後花園天皇

永享の乱で、足利義教の泣きがはいり、鎌倉公方・足利持氏を朝敵とする綸旨を発令。

嘉吉の乱で、細川持之に対し、足利義教を暗殺した赤松満祐を朝敵とする綸旨を発令。坊城俊秀が草案した官僚的文章の綸旨を、後花園天皇自ら添削した。

飢饉災害が続いているのに、足利義政は勧進僧の願阿弥(がんあみ)に任せきりで、室町幕府の屋敷を改築。そんな薄情な義政を叱り飛ばした。

三魔が義政の政治を牛耳っていた。三魔とは、今参局(いままいりのつぼね)=義政の乳母、烏丸資任(からすますけとう)=義政の乳父、有馬元家(ありまもといえ)=有馬郡守護職。日野重子(ひのしげこ)=義政の母、日野富子(ひのとみこ)=義政の正妻が今参局を殺害。赤松政則が有馬元家を殺害。

応仁の乱の勃発で出家し、山名氏、細川氏、斯波氏、畠山氏に喧嘩をやめるよう勅使を送った。

北朝天皇&足利義視&細川勝元&畠山政長 

vs 後南朝天皇&足利義尚&山名宗全&畠山義就

足利義政は細川氏の体制側に属しながら、日野富子が支持する山名氏に心を寄せるという失態を演じてしまった。足利義視・義稙を逆臣と讒言し、切腹を申し付けられ亡命していた伊勢貞親を、足利義政が腹心として呼び戻したことが、畠山氏内紛レベルを超える応仁・文明の乱を決定づけた。

勘合貿易で細川氏と争っていた大内政弘が、山名氏側についた。

1393年 義満、酒屋・土倉役という都市課税をかける

1404年 勘合貿易始まる

1411年 勘合貿易中断

1428年 正長の土一揆、幕府の財源を守るため徳政令発布せず

1438年 永享の乱

1441年 嘉吉の変、嘉吉の土一揆、徳政令を発布

1451年 義政、勘合貿易再開。

1453年 天龍寺・多武峰寺・伊勢法楽舎・聖福寺・大内氏・大友氏に勘合を切り売り

1468年 細川氏・大内氏に勘合を切り売り

1477年 嵯峨勝鬘院・松浦氏に勘合を切り売り

1484年 堺商人に勘合を切り売り

(2)後土御門天皇

応仁・文明の乱で、朝廷の儀式は中止になるし、火事が起こって、あちこちの屋敷を引っ越しまくった。「天皇を辞めたい。」という言葉も聞き流され、死ぬまで皇位を退くことは許されなかった。

内裏を修理する資金がなかなか集まらず、幕府も頼りにならなかった。

足利義政に対し、畠山義就を朝敵とする綸旨を発令した。義就のいとこ、畠山義富は細川勝元と山名宗全に庇護されており、義就を伊勢にかくまっていた足利義政も、さすがにしぶしぶ腰を挙げざるを得なかった。

大内教弘に対し、官位四位を売却し、資金を得た。

足利義材に対し、六角高頼を朝敵とする綸旨を発令し、錦御旗を下賜した。

(3)後柏原天皇

明応の政変で、細川政元が足利義材を廃立し、足利義澄を擁立した。これにより室町幕府の直轄軍だった奉公衆が解体され、戦国時代に突入した。

日蓮宗と深い仲だった細川政元は、日了を権僧都→権僧正に昇進させることを交換条件に、後柏原天皇の即位式準備金を提供した。

大内義興に対し、官位四位・三位を売却し、資金を得た。足利義材(義稙)は、大内義興を頼り、将軍職に返り咲いた。

本願寺の光兼実如から資金を得た。

北畠材親に対し、官位三位を売却した。

武田元信に対し、官位四位を売却した。

細川高国に対し、官位四位を売却した。

皇居周囲での火事や辻斬りが絶えず、警備も手薄になってきた。

宸筆を乱発して、朝廷の行事を復活した。

(4)後奈良天皇

大内義隆に対し、官位五位・四位・太宰大弐を売却した。ライバルだった少弐資元を討伐する大きな力となった。

多くの僧侶に対し、尊号を乱発した。寺院に対しては、勅願寺を乱発した。

内裏修理費として、朝倉孝景、六角定頼、大友義鑑、麻生興益、織田信秀が献金した。

|

« トップの指令方法 | トップページ | 日本人の敗戦後思考パターン »