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2014年2月26日 (水)

「二度と負けない」ための目標

二度と敗戦という憂き目に会いたくないものだ。

日本だけが戦争を放棄して、中国が戦争を放棄してくれるのか?

日本だけが原発を放棄して、中国が原発を放棄してくれるのか?

戦略のない司令官・参謀、戦略が誤った司令官・参謀を、軍中枢から排除する仕組みが必要だ。

日本大キライ・権力大スキ人間を、政府・官僚から排除する仕組みが必要だ。

革命という殺戮非道な結論ありきのマルクス主義を教育界、学会に野放しにしたために、敗戦の憂き目に会ったのだから、マルクス主義を教育界・学会中枢から排除する仕組みが必要だ。

スパイを野放しにしたために敗戦したのだから、スパイを取り締まる仕組みが必要だ。

完璧な民主主義を具現化した帝国憲法下で、ポピュリズムの衆議院が最強だった。人気取り優先のポピュリズムはえてして間違っていることが多い。そこで、幕末に諸外国と戦って卓見に富む元老は、衆議院に近代二大保守政党をつくろうと試みていた。それをすべて破壊したのは、レーニンやスターリンから莫大な活動資金を得ていた左翼の陸海軍将校であった。彼ら左翼分子は、京大・河上肇を信奉する近衛文麿首相によってかくまわれ、515事件、226事件を起こし、言論思想の自由を根本から破壊した。近衛文麿は、ソ連共産主義革命を日本でも起こすことを夢見ており、息子をスターリンの膝元に留学させた。完璧な民主主義を具現化していた帝国憲法下で立場が強い大蔵省に予算を媚びる陸海軍司令官・参謀は、近衛文麿の売国行為を見抜けなかったために、満洲ではソ連との対峙を中華民国への南下政策にすり替えられ赤化した蒋介石軍の抵抗に苦戦し、そろそろ関東軍を食べごろかなと思ってソ連が近代装備で臨んできたノモンハン事変でソ連に辛勝したものの被害を受け、はじめから負けるとわかっていた日米戦争に嫌々導かれ、敗戦してしまった。今回の消費税増税もまったく同じパターンであり、景気が悪化して税収が減るとわかっているのに、財務省によって嫌々導かれたのだ。

したがって、この悲劇を二度と繰り返さないために、日本大好きなのが前提の、近代二大保守政党をつくることが、当面の課題といえる。

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「日本を取り戻す」ための目標

安倍首相の「日本を取り戻す」目標には、次の多くのものがある。すべて、アメリカの顔の皮をかぶった、ソ連共産党が破壊したものだ。これも原爆、焼夷弾同様、明らかな国際法違反である。

制空権

完璧な民主主義を具現化させた帝国憲法

http://www.youtube.com/watch?v=b0Jzo_fIk24

世界最強だった帝国陸海軍

選挙というポピュリズムの影響を受けない貴族院

陸軍士官学校、海軍兵学校、陸軍大学校、海軍大学校

上質の教師養成機関だった旧制高等師範学校、文理大学

最高レベルの語学教育を誇った旧制高等学校

天才を大きく育てる飛び級制度

文科、理科、医科の3コース教育

歴史、政治、経済、地政学を中心に学ぶ官僚養成の文科

数学、物理、化学、図学を中心に学ぶ研究者養成の理科

一通り教養を身につけるオールラウンドプレイヤーの医科

自虐史観を滅した正しい世界歴史観

洗脳された罪悪感を脱した日本人の誇り

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2014年2月22日 (土)

日本人の敗戦後思考パターン

フィギュア、浅田真央さんのオリンピックを拝見しました。金メダルの射程距離にありながら、取れずとても残念でした。しかし、フリーの演技で、多くの人の声援を受け、見事に復活し、悔いのない滑りをされたこと、とても尊敬しています。

フリー演技の前に、日本人のみならず外国人からもtwitterで声援を受けておられたようで、ふだんの性格の良さ、マナーの良さが世界に評価されたのだと思います。

ふと一点、気になったことがあります。これは、さきの大東亜戦争に負けた後の、世論に似てはしないかと。

ソチ五輪に行く目的は、バンクーバー五輪での銀メダルの悔しさをバネにして、4年間の臥薪嘗胆ののち、金メダルを取りに行ったはずだと、私は理解していました。真剣勝負に負けたことは、真正面から反省しなければ、次も敗戦することになります。

金メダルは、ライバルからのブーイングという逆境に打ち勝ってこそ得られる栄誉であり、ショートプログラムでメダル圏外に脱落した選手に、声援のメールが来たとしても、それは同情のメールであって、真央さんが金メダル圏内にいる限り、ぜったい起こりえない声援でした。

さきの大戦でも、日本は英米に勝ちに行ったはず。そもそも戦争をしたのが悪いとか、アジア解放のために殉死したんだという世論は、なぜ負けたのかという真正面からの反省を避けています。でも善悪は抜きにして、事実として、真剣勝負に行ったのですよね。この場合の、私なりの反省として、勝負が真剣ではなかった、ふまじめだったという結論にはなるのですが。

真央さん、ご苦労様でした。

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2014年2月16日 (日)

「戦国の貧乏天皇」を読んで

戦国時代にはさほど興味がなかったが、最近、反日プロパガンダに打ち勝つテクニックを学ぶ目的で、戦国時代の勉強をすることにした。

戦国の貧乏天皇

戦国の貧乏天皇
著者:渡邊大門
価格:2,310円(税込、送料込)
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足利将軍の内紛、三管領(斯波・細川・畠山)と四職(赤松・一色・京極・山名)の内紛によって、地方守護大名が幕府をなめだした。

守護大名は京都に上京することをやめ、自分の守護領拡大に専心するようになった。あくまで、自分の領国支配に限定していた。天下をとるなどとうそぶいたのは、阿波の三好長慶と、尾張の織田信長くらいのもの。最強だった上杉謙信ですら、上京にまったく無関心だった。

京極→(守護代)尼子、斯波→(守護代)朝倉、大内→陶→毛利といった下剋上になると、藤原氏の荘園や、天皇の禁裏料所を失敬拝借する戦国大名が出てきた。足利将軍が出す守護職の命などなんの意味もなくなった。実力勝負の世。まだ天皇が出す国司の命のほうが、敵を威圧するのに多少は役立った有様。

一条兼良 → 奈良

二条持通 → 下賀茂

鷹司房平・政平 → 奈良一乗院

九条政基 → 播磨

九条政忠 → 奈良古市

近衛房嗣・政家 → 宇治

一条教房 → 高知幡多

一条政房・冬良 → 摂津福原

冷泉為広 → 能登畠山氏&播磨赤松氏

藤原氏の財政が圧迫され、地方荘園の守護にひきこもってしまい、朝廷行事をボイコットする貴族が続出。貴族は貧乏をしのぐのに必死となった。天皇も禁裏料所にひきこもりたかったが、貴族のように京都からの夜逃げは許されず、朝廷の行事に必要な人材が超不足。

綸旨(りんじ):朝敵を打てという天皇の勅命

宸筆(しんぴつ):天皇直筆の書。珍重され、大金で買われた。

伏見宮家が念願の皇位につけるようになると、4代続けて、勉強をいっぱいした天皇が続いた。

(1)後花園天皇

永享の乱で、足利義教の泣きがはいり、鎌倉公方・足利持氏を朝敵とする綸旨を発令。

嘉吉の乱で、細川持之に対し、足利義教を暗殺した赤松満祐を朝敵とする綸旨を発令。坊城俊秀が草案した官僚的文章の綸旨を、後花園天皇自ら添削した。

飢饉災害が続いているのに、足利義政は勧進僧の願阿弥(がんあみ)に任せきりで、室町幕府の屋敷を改築。そんな薄情な義政を叱り飛ばした。

三魔が義政の政治を牛耳っていた。三魔とは、今参局(いままいりのつぼね)=義政の乳母、烏丸資任(からすますけとう)=義政の乳父、有馬元家(ありまもといえ)=有馬郡守護職。日野重子(ひのしげこ)=義政の母、日野富子(ひのとみこ)=義政の正妻が今参局を殺害。赤松政則が有馬元家を殺害。

応仁の乱の勃発で出家し、山名氏、細川氏、斯波氏、畠山氏に喧嘩をやめるよう勅使を送った。

北朝天皇&足利義視&細川勝元&畠山政長 

vs 後南朝天皇&足利義尚&山名宗全&畠山義就

足利義政は細川氏の体制側に属しながら、日野富子が支持する山名氏に心を寄せるという失態を演じてしまった。足利義視・義稙を逆臣と讒言し、切腹を申し付けられ亡命していた伊勢貞親を、足利義政が腹心として呼び戻したことが、畠山氏内紛レベルを超える応仁・文明の乱を決定づけた。

勘合貿易で細川氏と争っていた大内政弘が、山名氏側についた。

1393年 義満、酒屋・土倉役という都市課税をかける

1404年 勘合貿易始まる

1411年 勘合貿易中断

1428年 正長の土一揆、幕府の財源を守るため徳政令発布せず

1438年 永享の乱

1441年 嘉吉の変、嘉吉の土一揆、徳政令を発布

1451年 義政、勘合貿易再開。

1453年 天龍寺・多武峰寺・伊勢法楽舎・聖福寺・大内氏・大友氏に勘合を切り売り

1468年 細川氏・大内氏に勘合を切り売り

1477年 嵯峨勝鬘院・松浦氏に勘合を切り売り

1484年 堺商人に勘合を切り売り

(2)後土御門天皇

応仁・文明の乱で、朝廷の儀式は中止になるし、火事が起こって、あちこちの屋敷を引っ越しまくった。「天皇を辞めたい。」という言葉も聞き流され、死ぬまで皇位を退くことは許されなかった。

内裏を修理する資金がなかなか集まらず、幕府も頼りにならなかった。

足利義政に対し、畠山義就を朝敵とする綸旨を発令した。義就のいとこ、畠山義富は細川勝元と山名宗全に庇護されており、義就を伊勢にかくまっていた足利義政も、さすがにしぶしぶ腰を挙げざるを得なかった。

大内教弘に対し、官位四位を売却し、資金を得た。

足利義材に対し、六角高頼を朝敵とする綸旨を発令し、錦御旗を下賜した。

(3)後柏原天皇

明応の政変で、細川政元が足利義材を廃立し、足利義澄を擁立した。これにより室町幕府の直轄軍だった奉公衆が解体され、戦国時代に突入した。

日蓮宗と深い仲だった細川政元は、日了を権僧都→権僧正に昇進させることを交換条件に、後柏原天皇の即位式準備金を提供した。

大内義興に対し、官位四位・三位を売却し、資金を得た。足利義材(義稙)は、大内義興を頼り、将軍職に返り咲いた。

本願寺の光兼実如から資金を得た。

北畠材親に対し、官位三位を売却した。

武田元信に対し、官位四位を売却した。

細川高国に対し、官位四位を売却した。

皇居周囲での火事や辻斬りが絶えず、警備も手薄になってきた。

宸筆を乱発して、朝廷の行事を復活した。

(4)後奈良天皇

大内義隆に対し、官位五位・四位・太宰大弐を売却した。ライバルだった少弐資元を討伐する大きな力となった。

多くの僧侶に対し、尊号を乱発した。寺院に対しては、勅願寺を乱発した。

内裏修理費として、朝倉孝景、六角定頼、大友義鑑、麻生興益、織田信秀が献金した。

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2014年2月11日 (火)

トップの指令方法

トップ、司令官、経営者、社長の指令は、団体の人数に応じて、号令、命令、訓令を使い分ける必要がある。

号令を得意としたのは、織田信長。

命令を得意としたのは、ナポレオン。

訓令を得意としたのは、グナイゼナウとモルトケ。

                       
 

 

 
 

発令者の企図

 
 

受令者の任務

 
 

号令

 
 

   ×

 
 

   ○

 
 

命令

 
 

   ○

 
 

   ○

 
 

訓令

 
 

   ○

 
 

   ×

 

(1)号令戦法

率先垂範、陣頭指揮。トップが優秀である限り、勝ち続けるが、優秀な部下が育たない。新入社員相手の教育には向いているが、乱用するべきではない。「ファインプレーの前には、必ずミスがある。」失策を収拾するための、号令の乱発であってはならない。トップは孤独ゆえ、近親者に相談するが、相談してしまった以上、出る答えは決まったようなものだ。かといって、トップひとりの判断は誤りやすい欠点がある。

(2)命令戦法

ライン・スタッフ体制。ライン=現場実行部隊。スタッフ=考える参謀。トップはスタッフに事細かく指示を出す。スタッフは命令の形で、ラインに伝達する。スタッフには指揮権はなく、トップを補佐する使命がある。しかし、トップの不勉強、スタッフの思い上がりが原因で、スタッフが威張りすぎることが欠点である。トップになるためには、知恵や技術のほかに、統率という心の修練が必要なことを忘れてはならない。ライン現場の優秀な意見が、スタッフ参謀が壁になって、トップに届いてこないのも欠点だ。

(3)訓令戦法

トップがいなくても、同じ目的のために同じ指令が出せる支店長、事業部(ディビジョン)をもつ体制。士官学校や旧制高等学校のように、普段から寮生活をし、同じ釜の飯を食って、お互いの気心を熟知している必要がある。そうでないと、てんでバラバラの指令に陥ってしまうからだ。「参謀大綱を決め、司令官細部を実行する。」といった戦前日本のような下剋上が起こりやすいのが欠点だ。トップは常にトップでなければならない。責任の所在が不明瞭になりがちである。

司令官ひとりでは、走り回るにも限界がある。

命令戦法を得意とし、訓令戦法の先駆者でもあった徳川家康は、号令戦法の豊臣秀吉を打ち破った。

大人数に膨れ上がったナポレオンは命令戦法から脱しきれずに、訓令戦法を開発したグナイゼナウに敗戦したのだ。

団体メンバーの数が増えるにつれ、号令、命令、訓令と改めていく必要がある。

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2014年2月 7日 (金)

順調なり、安倍首相外交

テロの危険を顧みず、ソチオリンピックに出席することで、日本は尻込みする他国よりロシアに一歩近づけた。

日露平和条約を締結して、本当は仲が悪い中露の見かけ上の友好を断ち切り、対中包囲網を築いていくべきだろう。

国際法を知って守るのは、日本と台湾。

国際法を知って故意に破るのは、ロシア。

国際法を知らないのは、アメリカと中国。

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2014年2月 2日 (日)

福沢諭吉が勉強すべき書

歴史問題は解決しない

歴史問題は解決しない
著者:倉山満
価格:1,470円(税込、送料込)
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福沢諭吉が「文明論之概略」で語った歴史観は非常に甘い。明治政府が近代国家としてスタートを切ったとき、すでに世界を甘く見すぎていました。

この書は、そんな福沢諭吉がもし生きていたら、勉強しなおして、ぜひ改訂版「文明論之概略」を出版すべきだと思います。

筆者も繰り返し、主張しているように、こんな日本なのだから、いまは静謐を保て!ということが一番言いたいのだと思いました。

時代は、1644年ウェストファリア体制以前の、暗黒の中世に逆戻りしたようです。喧嘩が世界からなくなることはありません。負けた側は常に勝った側に復讐を考え続けるものです。宣戦布告しないアメリカ型紛争は、宣戦布告して目的が達成されれば停戦するクラウゼヴィッツ型戦争に比べ、はるかに多くの犠牲が出ます。戦勝国は疲弊しきって荒廃滅亡するし、敗戦国は歴史上からその存在すら消されてしまいます。

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戦後レジームに終わりを告げる書

反日プロパガンダの近現代史

反日プロパガンダの近現代史
著者:倉山満
価格:945円(税込、送料込)
楽天ブックスで詳細を見る

プロパガンダとは、プロテスタント宗教改革に対抗するカトリック教会がはじめたものです。

なぜ日本人はだまされるのかに対する答えはいたってシンプルで、「歴史に学ばないから。」

欧米系のプロパガンダに比べ、中国のプロパガンダは質が落ちるのに、この程度にだまされて、第一次世界大戦後の大国としての地位をひきずりおろされ、第二次世界大戦後、勤勉な国民が貯蓄した財を盗まれてきたのです。

日本の歴史をふりかえってみましょう。日本の戦国時代、プロパガンダで勝敗が決しており、やってみないと結果がわからなかった戦いは1,2個しかなかったという。この戦国大名にまずプロパガンダを学びましょう。

関ヶ原の戦いを終えた家康は、たくさんの講談師を全国各地に派遣して、「関ヶ原の戦いの真実はこうだ。」と語らせました。

大東亜戦争に負けて1か月もしないうちに、ラジオから、「太平洋戦争の真実はこうだ。」というGHQ放送がガンガン流れました。

石原莞爾や武藤章は、やっていることは超大きかったのに、プロパガンダなどバカにしてやらなかった。そのために大日本帝国は滅亡して、アメリカの植民地「日本国」になりさがって、宗主国の足の下をなめつづけている。

いまの日本は琉球のようだと筆者は言う。中国の植民地だった琉球に薩摩がちょっかいをはじめた。中国の使節が琉球に来ているあいだだけ、薩摩は退席する。朝貢儀礼を済ませた中国の使節が去ったほとんどの時間、薩摩が琉球にせびりついている。

アメリカの植民地である日本に中国がちょっかいを出している。アメリカの軍艦が日本に来ているあいだだけ、中国はおとなしく黙っている。お金をもらったアメリカが用を済ませて去ったほとんどの時間、中国がマスコミや官僚や政府にはいりこんで、日本にせびりついている。

戦国時代の計略大全

戦国時代の計略大全
著者:鈴木真哉
価格:756円(税込、送料込)
楽天ブックスで詳細を見る

帝国陸軍参謀から、戦後、経営コンサルタントに転身した大橋武夫氏の紹介がしてありました。戦国大名も、ナポレオンもそうだが、号令、命令、訓令の三つのうち一つを採用して、戦っていました。上司の指令がまちがっていれば、必ず負けるのです。

「名将の演出 号令・命令・訓令をどう使いわけるか」

大橋武夫著 マネジメント社

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