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2013年8月28日 (水)

美しきゼロ戦

ゼロ戦は、日本人の誇り、日本人の美的感性と英知の結晶ですね。

http://www.youtube.com/watch?v=d7VjK3QfnUY

海軍少年航空兵だった親父がよく言っていた。一度でいいから、ゼロ戦に乗りたかったと。売国や私利私欲に走る東大法学部なんかより、帝国海軍ははるかに真のエリート集団だった。

みんなゼロ戦に乗りたくても乗れなかったのだ。選ばれし者だけが乗れたゼロ戦。日本国民がもろ手を挙げて応援したゼロ戦。霞ヶ浦での飛行訓練では、後ろに座った上官に、こん棒でどれだけ後頭部をなぐられたことか!視力3.0、視力の衰えは致命傷となる。操縦桿だけではない、左手、右手、左足、右足、それに五感フル活動で操縦しなければならない。目は計器メーター類と遥か遠方の敵機を追う。便意を催しても、飛行服の中にするしかない。地上に戻れば数学、物理、英語、モールス信号などなど厳しい授業が待っている。覚えが悪ければ、教官から精神注入棒で尻をなぐられる。早寝・早飯・早糞が基本的な軍隊生活となる。起床ラッパが鳴れば、寝床を整え、戦闘服を身に着け、5分以内に上官の前に集合・起立・点呼しなければならない。

インドネシア・ジャカルタに駐留したときには、すでに戦闘機は一機もないという状況だった。9月に特攻を志願して、終戦を迎え、いまの俺がここにいる。こどものときから、「アパカトワン。」「バニャバニャ。」「テレマカシ。」とインドネシア語を聞かされ、上六・近鉄百貨店のマンゴ、パパイヤ、ドリアンを食わされた。いまとなっては懐かしい思い出だ。特攻に三度行って、三度帰ってきた戦友も今はこの世にいない。人間魚雷「回天」特攻帰りの藤原一馬先生と、俺は話がはずんだ。

翼の日の丸がまぶしい。

宮崎駿が3年がかりで映画「風立ちぬ」をつくる様子をNHKテレビが放映していた。メモノートに走り書きされた「日中戦争」ってなんだ?東京裁判史観のままでの映画作りじゃ、堀越二郎に失礼だろう。宮崎駿はゼロ戦に乗れないのだ。

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