神戸市立博物館「中国王朝の至宝」をみて
今回の展示は中国本土の博物館からけっこう気合を込めて、持ってきてくれているようで、行くかどうか迷いましたが見に行きました。尖閣諸島での日中紛議が勃発したら、二度とお目にかかれないので、貴重な見学となりました。
(1)黄河文明 夏 → 殷 → 斉・魯 → 秦
青銅器が特徴。とくに三脚青銅器の発達過程がおもしろい。亀甲占いは教科書に出てくる通りですが、北方中国には宗教はあったのかな?占いは信仰ではない。
盉(か) → 爵(しゃく) → 鼎(てい・かなえ)
(2)揚子江文明 蜀 → 楚 → 秦
金や玉器が特徴。目が飛び出た仮面を崇拝。なにか独特の宗教を信仰していたらしい。
楚の軍隊は最強で、漆塗りの革製甲冑を身に着けていた。斉の人は頭がよかった。孔子や孟子をはじめ、山東半島は多くの賢人を輩出した。山東半島から日本にコメ作りが伝来した。
斉の劉邦 vs 楚の項羽
ならず者・劉邦によって、始皇帝の秦は15年で滅亡しました。秦の俑(よう)や弩(ど)は代表作だし、漢の俑(よう)、武帝時代の陶製馬は見どころ満載でした。墓の石畳である磚(せん)に描かれた人物、鳥、馬の絵は、漢時代の生活が偲ばれました。石製の硯(すずり)も手の込んだものでした。
鮮卑族が建てた北魏の俑は丸顔で、目じりの切れる漢民族とは異質のものでした。モンゴル系の顔でしょう。唐の俑ももっと丸顔です。北魏の八曲杯(はっきょくはい)は正倉院にもありますね。あと、北魏は、脚杯(きゃくはい)や碗(わん)が特徴です。すべて中央アジアや西アジアからもたらされたものです。
南方に押し込められた漢民族の南朝は、
東晋 → 宋 → 斉 → 梁 → 陳
おそらく大宰府にあった倭の五王の交易相手です。敵対する大和朝廷は朝鮮半島で加羅・任那経営をしていました。東晋の金製装飾品や耳かきは見どころです。あと、三蔵法師・玄奘直筆のお経や、書聖・王羲之(おうぎし)の直筆の書を展示してほしかったな。
唐は俑、香炉、蛤形合子、螺鈿鏡、盤、瓶、唐三彩といった、正倉院でもおなじみの展示品でした。見どころは、韋后(いごう)で有名な韋氏の壁画です。韋后と則天武后が唐を一時的に滅ぼしてくれたおかげで、律令制を整備して倭から生まれ変わった日本が独立できました。
遼は異民族の国で、漢民族は宋、のちに南に追われて南宋を建国しました。遼も宋も仏像を拝んでいましたが、金製装飾品は圧倒的に遼の勝ち。イスラムとの交易で、経済力も上回っていたようです。遼は皮袋形壷が特徴ですが、銀製のお経など、平清盛もマッツァオの高級品も出土しています。金製仏塔型容器はチベット仏教色が濃いですね。
宋は日宋貿易でも有名な青磁と白磁が特徴です。上質の窯をもっていました。
| 固定リンク
最近のコメント