姿なきイデオロギー
橋下市長の正しい答弁
http://www.youtube.com/watch?v=hyzvpCwvFk4
毎日新聞社の記者はなにを質問しているのか、さっぱりわからない。
戦前、軍国主義者たちが、善悪もまだわからない小さなこどもたちに、「国家のために死ぬことは、国民にとって立派なおこないだ。」という、誤った軍国主義思想を洗脳したために、一部の右翼青年将校が立憲議会政治を武力破壊して、日本を悲惨な戦争に導いた。
たぶんこの思想を、人質として、三つ葉葵の印籠として、橋下市長に食い下がっているのだと思う。
しかしこれを最新の史実に基づいて訂正させていただこう。
戦前、軍国主義者(×→社会主義者)たちが、善悪もまだわからない小さなこどもたちに、「国家(×→社会主義実現)のために死ぬことは、国民(×→スターリン)にとって立派なおこないだ。」という、誤った軍国主義(×→社会主義)思想を洗脳したために、一部の右翼(×→左翼)青年将校が立憲議会政治を武力破壊して、日本を悲惨な戦争に導いた。
この暴挙を食い止めたのは誰でしょうか?昭和天皇にほかならない。東大教授・加藤陽子はこの功績を侮辱していると思います。
右は左だった昭和経済史 上念司氏
http://app.cocolog-nifty.com/t/app/weblog/post?__mode=edit_entry&id=75679649&blog_id=216017
自ら歴史を貶める日本人 |
日本だけの事情で書かれた近現代史はまちがっており、悪意あるイデオロギーで物語がつづられている。世界から見た近現代史がこどもたちに教えられなければならない。わかりやすい本が出ました。
こぶしを振り上げて一発大きな大勝負をやったあとは、勝ったほうも負けたほうも肩を抱き合うのが日本式の戦い。乃木大将とステッセル将軍の水師営会見のように。しかし、日本が世界に向けて放つ大きな波は、数年後、大津波となって日本に帰ってくる。その津波に日本の外務省が対応しきれなかったのが大きな敗因といえる。いつもそう、いまだにそうだ。
イギリスにとって中国はまあどうでもよく、もっとも大切な植民地だったのはインドだった。1905年日露戦争で、予想に反して日本が勝ち、イギリスはインドにベンガル分割令を発布。日露戦争が起きたおかげで、イギリスとロシアがヨーロッパで戦う英露戦争が起きる危険があったし、露仏協商のため、さらに英仏戦争に発展しないか、実はイギリスはひやひやものだった。
1894年結ばれた露仏協商とは?ドイツのビスマルクがロシアとフランスの挟み撃ちを防ぐため、露仏分断を外交戦術で図ってきた。それをヴィルヘルム2世がビスマルクを解雇してしまい、露仏が急接近して結ばれた条約だ。つまりヴィルヘルム2世による即位早々の失策。
フランス植民地のベトナムに敷かれた鉄道と、ロシアのシベリア鉄道が中国で一本化しようとする、露仏協商の動きがあった。その動きをけん制するため、イギリスは日本に期待して、日英同盟が1902年結ばれた。
日本人の勝利にアジア人開放の光をみたインド人が反乱。その筆頭だったボースが日本に亡命。中村屋のカレーを教えたそうです。イギリスはボースの身柄引き渡しを要求。相馬黒光がイギリスの要求を拒否。ここから日英同盟に不協和音が生じた。そこを付け狙ったのが、政教一致の国アメリカだった。日露戦争は第一次世界大戦の前哨戦であった。
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