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2013年2月25日 (月)

ハラハラドキドキ 日銀人事

日銀幹部9人多数決で意志決定される。

善玉を○、悪玉を×として、白川法皇の御代では、

×××××××××  → ×の勝ち、デフレ増税で全員賛成

昨年、自民党ががんばって、○2人入れ替えに成功。

○○×××××××  → ×の勝ち、デフレ増税はそのまま

法皇× & 副総裁×2人が辞めて、

○○××××

黒田総裁○、岩田副総裁○、中曽副総裁×じゃまずいね。

○○○○××××× → ×の勝ち、デフレ増税はそのまま

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2013年2月21日 (木)

姿なきイデオロギー

橋下市長の正しい答弁

http://www.youtube.com/watch?v=hyzvpCwvFk4

毎日新聞社の記者はなにを質問しているのか、さっぱりわからない。

戦前、軍国主義者たちが、善悪もまだわからない小さなこどもたちに、「国家のために死ぬことは、国民にとって立派なおこないだ。」という、誤った軍国主義思想を洗脳したために、一部の右翼青年将校が立憲議会政治を武力破壊して、日本を悲惨な戦争に導いた。

たぶんこの思想を、人質として、三つ葉葵の印籠として、橋下市長に食い下がっているのだと思う。

しかしこれを最新の史実に基づいて訂正させていただこう。

戦前、軍国主義者(×→社会主義者)たちが、善悪もまだわからない小さなこどもたちに、「国家(×→社会主義実現)のために死ぬことは、国民(×→スターリン)にとって立派なおこないだ。」という、誤った軍国主義(×→社会主義)思想を洗脳したために、一部の右翼(×→左翼)青年将校が立憲議会政治を武力破壊して、日本を悲惨な戦争に導いた。

この暴挙を食い止めたのは誰でしょうか?昭和天皇にほかならない。東大教授・加藤陽子はこの功績を侮辱していると思います。

右は左だった昭和経済史 上念司氏

http://app.cocolog-nifty.com/t/app/weblog/post?__mode=edit_entry&id=75679649&blog_id=216017

自ら歴史を貶める日本人

自ら歴史を貶める日本人
著者:西尾幹二
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日本だけの事情で書かれた近現代史はまちがっており、悪意あるイデオロギーで物語がつづられている。世界から見た近現代史がこどもたちに教えられなければならない。わかりやすい本が出ました。

こぶしを振り上げて一発大きな大勝負をやったあとは、勝ったほうも負けたほうも肩を抱き合うのが日本式の戦い。乃木大将とステッセル将軍の水師営会見のように。しかし、日本が世界に向けて放つ大きな波は、数年後、大津波となって日本に帰ってくる。その津波に日本の外務省が対応しきれなかったのが大きな敗因といえる。いつもそう、いまだにそうだ。

イギリスにとって中国はまあどうでもよく、もっとも大切な植民地だったのはインドだった。1905年日露戦争で、予想に反して日本が勝ち、イギリスはインドにベンガル分割令を発布。日露戦争が起きたおかげで、イギリスとロシアがヨーロッパで戦う英露戦争が起きる危険があったし、露仏協商のため、さらに英仏戦争に発展しないか、実はイギリスはひやひやものだった。

1894年結ばれた露仏協商とは?ドイツのビスマルクがロシアとフランスの挟み撃ちを防ぐため、露仏分断を外交戦術で図ってきた。それをヴィルヘルム2世がビスマルクを解雇してしまい、露仏が急接近して結ばれた条約だ。つまりヴィルヘルム2世による即位早々の失策。

フランス植民地のベトナムに敷かれた鉄道と、ロシアのシベリア鉄道が中国で一本化しようとする、露仏協商の動きがあった。その動きをけん制するため、イギリスは日本に期待して、日英同盟が1902年結ばれた。

日本人の勝利にアジア人開放の光をみたインド人が反乱。その筆頭だったボースが日本に亡命。中村屋のカレーを教えたそうです。イギリスはボースの身柄引き渡しを要求。相馬黒光がイギリスの要求を拒否。ここから日英同盟に不協和音が生じた。そこを付け狙ったのが、政教一致の国アメリカだった。日露戦争は第一次世界大戦の前哨戦であった。

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2013年2月19日 (火)

倭国への憧れ

たとひ日本滅ぶとも 倭は滅ばず

筑紫の磐井

筑紫の磐井
著者:太郎良盛幸
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日本が乱れるとき、どうしても倭国が思い出されるのはなぜか?

倭王・磐井が活躍した舞台、八女市には「自然酒」というおいしい倭酒がありますね。

吉備王国&倭の磐井王 連合軍 vs  大和朝廷&越の継体大王 連合軍

古くはスサノヲを奉じる出雲王国が、アマテラスを奉じる大和朝廷に加担しており、大きく日本は二分されていたのでしょう。

継体大王の子、欽明大王の代に、漢字が日本に初めて伝わったとされるが、そんなわけないでしょう。いや、大和には初めて伝わったのかもしれない。しかし、越は百済や加羅と交易をしていたし、倭も百済・新羅・加羅・高句麗・中国南朝と交易していました。漢字なくしてどうやって交易できるかと思いますし、自国の戸籍なくしてどうやって渡来人を管理できるでしょうか?倭王・武の立派な上表文はどうやって書けたのでしょうか?もっと昔から日本には漢字が伝来していたはずだと思います。

501年 筑紫・倭王に磐井が即位

502年 磐井が30か条から成る律令を制定

507年 大和に継体大王が即位

513年 筒城(つつき)の百済渡来人に支持された継体大王が上哆唎(おこしたり)、下哆唎(あろしたり)、娑陀(さだ)、牟婁(むろ)の伽耶4国を百済に委譲。さらに百済は大伽耶から己汶(こもん)を奪う。

514年 伽耶諸国が筑紫に入貢

515年 継体大王が伽耶への派兵中止。代わって、磐井が伽耶へ出兵。

518年 筑紫の発展を恐れた継体大王が、伽耶撤兵を磐井に命令。

520年 百済が大伽耶に、新羅が金官伽耶(任那)に侵略。大和豪族に手を焼いていた継体大王はこれを放置。

524年 大和豪族が継体大王に降伏。

526年 継体大王が大和に遷都。新羅や伽耶諸国の入貢がとだえていた大和の復権を求めるため、筑紫征伐を決定。

527年 継体磐井戦争。物部麁鹿火(もののべのあらかい)が大和軍の指揮をとる。

528年 民の疲弊を鑑み、磐井退位をもって終戦となる。久留米の千歳川が最終戦場。

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2013年2月11日 (月)

神戸市立博物館「中国王朝の至宝」をみて

今回の展示は中国本土の博物館からけっこう気合を込めて、持ってきてくれているようで、行くかどうか迷いましたが見に行きました。尖閣諸島での日中紛議が勃発したら、二度とお目にかかれないので、貴重な見学となりました。

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(1)黄河文明  夏 → 殷 → 斉・魯 → 秦

青銅器が特徴。とくに三脚青銅器の発達過程がおもしろい。亀甲占いは教科書に出てくる通りですが、北方中国には宗教はあったのかな?占いは信仰ではない。

盉(か) → 爵(しゃく) → 鼎(てい・かなえ)

(2)揚子江文明  蜀 → 楚 → 秦

金や玉器が特徴。目が飛び出た仮面を崇拝。なにか独特の宗教を信仰していたらしい。

楚の軍隊は最強で、漆塗りの革製甲冑を身に着けていた。斉の人は頭がよかった。孔子や孟子をはじめ、山東半島は多くの賢人を輩出した。山東半島から日本にコメ作りが伝来した。

斉の劉邦 vs  楚の項羽

ならず者・劉邦によって、始皇帝の秦は15年で滅亡しました。秦の俑(よう)や弩(ど)は代表作だし、漢の俑(よう)、武帝時代の陶製馬は見どころ満載でした。墓の石畳である磚(せん)に描かれた人物、鳥、馬の絵は、漢時代の生活が偲ばれました。石製の硯(すずり)も手の込んだものでした。

鮮卑族が建てた北魏の俑は丸顔で、目じりの切れる漢民族とは異質のものでした。モンゴル系の顔でしょう。唐の俑ももっと丸顔です。北魏の八曲杯(はっきょくはい)は正倉院にもありますね。あと、北魏は、脚杯(きゃくはい)や碗(わん)が特徴です。すべて中央アジアや西アジアからもたらされたものです。

南方に押し込められた漢民族の南朝は、

東晋 → 宋 → 斉 → 梁 → 陳

おそらく大宰府にあった倭の五王の交易相手です。敵対する大和朝廷は朝鮮半島で加羅・任那経営をしていました。東晋の金製装飾品や耳かきは見どころです。あと、三蔵法師・玄奘直筆のお経や、書聖・王羲之(おうぎし)の直筆の書を展示してほしかったな。

唐は俑、香炉、蛤形合子、螺鈿鏡、盤、瓶、唐三彩といった、正倉院でもおなじみの展示品でした。見どころは、韋后(いごう)で有名な韋氏の壁画です。韋后と則天武后が唐を一時的に滅ぼしてくれたおかげで、律令制を整備して倭から生まれ変わった日本が独立できました。

遼は異民族の国で、漢民族は宋、のちに南に追われて南宋を建国しました。遼も宋も仏像を拝んでいましたが、金製装飾品は圧倒的に遼の勝ち。イスラムとの交易で、経済力も上回っていたようです。遼は皮袋形壷が特徴ですが、銀製のお経など、平清盛もマッツァオの高級品も出土しています。金製仏塔型容器はチベット仏教色が濃いですね。

宋は日宋貿易でも有名な青磁と白磁が特徴です。上質の窯をもっていました。

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2013年2月10日 (日)

自虐史観を追撃せよ

私は歴史の専門家でもないし、資料を買って読むほどリッチでもヒマでもない。しかし、自虐史観が教育や医療福祉や政治や経済といった日本国の根底をゆがめてきたことは、直感的に体感できる。日銀の独立性も自虐史観の上に成り立っている。だから、生まれてこの方無知ゆえに騙され続けた、せめてもの償いとして近現代史を学びなおす義務を感じている。

自ら歴史を貶める日本人

自ら歴史を貶める日本人
著者:西尾幹二
価格:1,000円(税込、送料込)
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西尾幹二氏や福井雄三氏らの主張は、「戦前の日本はすばらしかった。」であることに対し、北岡伸一、加藤陽子、御厨貴、五十旗頭真といった東大法学部・文学部出身者たちは、山川出版社やNHK「さかのぼり日本史」をはじめとして、自虐史観たっぷりの歴史教科書を編纂している。彼らの主張は一貫していて「戦前の日本は悪い国だから懺悔しろ。」

これはもはやアヘンだ。

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2013年2月 5日 (火)

白川方明 日銀総裁辞職

3月19日に辞職するというニュースがヤフーに流れましたね。

おそい!! もっと早くやめてほしい。

日銀の独立性?なんじゃそれ??

軍部が日銀に紙幣を刷らせて、軍拡に充てて戦争を起こした? 歴史に学ばない安倍は同じ過ちを犯す?? だから日銀の独立性を保つ必要があるってか???

ウソでたらめもほどほどにしろ!

バブル崩壊から、日銀はいったい何年、デフレにコントロールしてきたのだ?

金融緩和、列島強靭化に加え、景気回復まで数年間、消費税を廃止すべきだ! 2%インフレになったら、給料が上がらないのに物価が上がると言うのなら、消費税をやめればいいんじゃないの。物価は下がり低所得の人にも対応できるよ。消費税増税阻止ではまだ甘い。

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2013年2月 3日 (日)

体罰

最近、注目を浴びている社会問題のテーマです。

私の結論は体罰絶対反対です。長い目で見たとき、体罰をやってその人間が大成したことがない。私が中学生だった頃、大阪天王寺に入江塾というのがあって、宿題をしなかったり、質問に答えられなかったり、問題が解けなければ、平手でぶんなぐり、竹刀でたたき、灘高に大量入学させた塾教師がいた。自分の人生を悔いなく完結させ望みをかなえるだけなら、それでいい。しかし、いま日本が滅びるかどうかの瀬戸際になっているのに、官僚たち新興貴族は私利私欲に走るか、惰眠をむさぼっているだけではないのか?

さらにそのむかし、明治政府の文部省モデル校として、東京都文京区向ヶ丘に旧制第一高等学校、京都府左京区吉田に旧制第三高等学校という学校があった。このふたつは、まったく正反対の教育方針であった。

旧制一高は全寮制、自治主義、そして鉄拳制裁といって、寮にはいらなければ退学、寮の規則に反したと寮委員会が決定すれば、罰則者をなぐっていいという。警察も学校当局も寮の自治を認めており、いっさい関与せずであった。

旧制三高は自由主義といって、寮に入りたい者がはいればいい、寮にはいりたくなければご勝手にで、後輩が先輩を呼び捨てにし、さすがに火事や犯罪になるような行為をすれば粛々と退寮が命ぜられ、近所に下宿した。

さて、どちらの卒業生が、売国行為に走らず、国家国民のために働いたか?

体罰の有無は、明治時代から、教育界の議論テーマであった。

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