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2013年1月22日 (火)

植民地経営法

植民地の人に、自分は植民されているという意識を持たせないようにして搾取するのが、宗主国にとって、もっとも利益効率の上がる方法である。

なるほど。

反対に、一国の独立とは、国民各人が植民されていないことを確認しながら、防衛に努めることなんだな。

東インド会社総督 会社軍

インド成金(ネイボッブ)

パーマストン、大ピット、小ピット

経済理論家 ジェームス・ミル

壮大な経済学実験だったんだな。

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2013年1月21日 (月)

伊弉諾神宮参拝

淡路島にある伊弉諾神宮を参拝しました。祭神はイザナギだけではなく、イザナミも並んで祭られています。

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淡路SAからみた垂水の五色塚古墳です。

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明石海峡大橋です。

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福良港でとれる3年フグとひれ酒はおいしかったですよ。

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2013年1月18日 (金)

民主主義とはなにか part2

民主主義とは何なのか

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(1)平和主義

ほんとうに世界平和を望むつもりなら、世界一最強の軍隊を持って、ウィグルやチベットや内モンゴルや満洲に対する中国共産党の人権侵害に、断固として立ち向かうべきだ。世界平和などという、おこがましい目標は、最強だった大日本帝国陸海軍ですら成し得なかった夢のまた夢にすぎない。

防衛軍すら持たない日本が唱える平和主義とは、アメリカ合衆国や中国共産党という宗主国の靴の下を舐めさせていただくということ。つまり奴隷の平和であって、用済みになれば殺される運命にある。同様に、日本経済から奪うものがなくなったとき、日本は宗主国によって滅ぼされる運命にある。

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2013年1月16日 (水)

民主主義とはなにか

〈激論〉日本の民主主義に将来はあるか

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民主主義とは多数決ではない。少数意見でも最善の案を採決することである。目上の者とて誤りを冒す。だから怒らず深く議論を重ねることがなにより大切である。

一気に読破しました。スペインに売国行為をもちかけた信長や伊達政宗はさておき、秀吉は出自コンプレックスから民衆を弾圧しましたし、字を知らなくてもできる”即席教養”であった茶道を押し付け、家康は李氏朝鮮を手本として儒学者をブレインに身分格差を確固たるものにしました。低身分でも優秀な逸材の発言は一切認められませんでした。ただ李氏朝鮮と違って、識字率は世界一で、漢文をみんな読めていましたけど。ただし蘭学はご禁制。

民主主義とは何か? 国民ひとりひとりをバラバラにする遠心的作用である。国家として外国侵略を防ぐには、愛国心という求心的作用が必要である。民主主義には愚民という欠陥があるが、いまさらもとへ戻れない。だったらチャーチルが言ったように、与えられた条件を使って、ベストの民主憲法を求めていくべきである。

戦後の民主主義とは何か? 民主的議論なく、原爆を落とし国際法に違反したアメリカによって押し付けられた植民地政策である。もっとも核心的な狙いは、国家と国民を対立させることにあった。

日本に民主主義はなかったのか? 聖徳太子のころから十七条憲法として存在していたし、北条氏による執権政治は民主主義のもっともいい形だった。なにより大日本帝国憲法のもと、大正デモクラシーとして日本の国柄にマッチした民主主義が存在していた。

日本がめざすべき民主主義とは何か? 欧米のように民の怒りからうまれた民主主義ではなく、天皇が治(しら)す民主主義であるべきである。慈しみあふれる民主主義の実現こそ、世界が待ち望んでいるもっとも完成した民主主義である。

長谷川三千子先生の講義

http://www.youtube.com/watch?v=1qmGlieYA94

執権政治のしくみ

http://www.youtube.com/watch?v=SdVw_OCT9lk

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2013年1月10日 (木)

嘘だらけの日○近現代史

もうあきれ果てるばかりですわ。なにぶん国際法を理解できるのは、日本と台湾だけらしいので。

嘘だらけの日米近現代史

嘘だらけの日中近現代史

嘘だらけの日韓近現代史

http://www.youtube.com/watch?v=n1JiT9pthh4

http://www.youtube.com/watch?v=p3QyQm8ZPN4

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2013年1月 2日 (水)

春日大社初詣 そして川路聖謨

初詣に春日大社に行ってきました。

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KCNテレビの帝塚山大学公開講座で、川路聖謨(かわじ としあきら)の講義が放映されていました。講師は奈良市埋蔵文化財研究所の森下惠介先生でした。

川路聖謨の略歴 

1801年 出生

1813年(文化10) 御家人川路家を相続。

小普請組から寺社奉行吟味調役に抜擢。

1835年(天保6) 勘定吟味役に抜擢。

1840年(天保11) 佐渡奉行。

天保の改革で、小普請奉行として改革の一翼を担う。

1846年(弘化3)~1851年(嘉永4) 水野忠邦の失脚で奈良奉行に左遷。

奈良総町200余り、奈良廻8ヶ村、大和の寺社を、与力7人、同心25人で治めていました。ただし、東大寺・興福寺・春日大社・多武峰・吉野は寺社奉行の管轄下なので、奈良奉行の管轄外でした。11月27日のおん祭りと薪能と2月1日~14日のお水取りの警護に当たっていた。

博打の取り締まりが厳しいことで名奉行と称せられる。奉行の大和国内巡見で見るべき宝物は公儀(幕府)によって選定されており、奉行は着任ごとに公務として同じ宝物を巡見して確認し、宝物の保存をおこなっていました。

1846年4月9日 興福寺東金堂・五重塔・南円堂、春日大社・石燈籠、東大寺大仏・仁王門・銅燈籠を巡見。

1846年4月21日 明教館(講学所)、松永弾正城跡、眉間寺、聖武天皇陵、般若寺、麻布晒場、空海寺、三倉(正倉院)を巡見。宝物は正倉院に管理していたが、蔵書類は東大寺で管理されていた。

1846年4月22日 橋本町惣年寄会所、極楽院(元興寺極楽坊)、元興寺五重塔、玄昉首塚、十輪院、木辻町遊郭、古梅園、漢国社、念仏寺、開化天皇陵を巡見。

1846年5月14日 白毫寺、円成寺を巡見。

1846年5月19日 不退寺、法花寺(法華寺)、海龍寺、秋篠寺、西大寺、喜光寺、唐招提寺、薬師寺を巡見。

1846年5月24日 在原寺、桃尾龍福寺、布留社(石上神社)、内山永久寺を巡見。

1846年閏5月1日 竹林寺、往馬神社、宝山寺、霊山寺を巡見。

1846年9月14日 法輪寺、法隆寺、中宮寺を巡見。

1848年3月12~16日 在原寺、長岳寺、三輪神社、大御輪寺、長谷寺、多武峰、上市、一目千本、蔵王堂、実城寺、如意輪寺、後醍醐天皇陵、世尊寺、安禅寺、壺阪山南法華寺、橘寺、岡寺、飛鳥社、香具山興善寺、久米寺を巡見。

その後、大坂奉行、勘定奉行を勤める。

1853年(嘉永6) 露使応接掛としてプチャーチンと交渉。

1859年(安政6) 安政の大獄で、免職・隠居。

1868年(明治元) 割腹ピストル自殺。

著作 「寧府紀事」

かかの角 切れぬは 奈良も大困り

鹿の角切りは奈良の人も楽しみにしているようで、切れるのだが、うちに帰っても、(鬼)嫁の角だけは切れないようで、奈良の人も困っているようだ。

川路聖謨は将軍の名代として、おん祭り、薪能、お水取りの行事にいやいや駕籠に乗って参加していたそうです。能などは見てもわからないので、目をつぶっていれば、疲れないというようなコメントも残しています。鹿の角切りも仕方なくみていたようです。

佐保川の桜はソメイヨシノであって、川路聖謨はヤマザクラが好きだったようなので、佐保川の桜は川路聖謨が植えたものではないそうです。

川路聖謨が奈良奉行を勤めていたころ、与力だった北浦定政(きたうらさだまさ)は奈良平城宮跡の研究をおこなっていました。

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2013年1月 1日 (火)

謹賀新年

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

日本人が日本人であり続けるのか、それとも日本人であることをやめるのか?子々孫々に記憶される重要な年となります。

国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を貫き通すつもりなら、必ず日本は滅びます。滅ぶなら滅ぶとして、せめて日本人が歩んだ真実の歴史を学び、日本の美をこの目に焼き付けておきたいという強い思いは昨年も今年も変わりません。

もし日本人がソビエト連邦、アメリカ合衆国、中華人民共和国に踏みにじられた真の独立を取り戻したいと思うなら、たくさんのアイデアがすでに提案されています。その声に耳を傾けてみられてはいかがでしょうか?

そのむかし、阿毎多利思北狐が独立を宣言し、白村江で一度は敗戦しても、天武天皇がふたたび独立を宣言し、唐の則天武后に独立を承認させました。たった一度の敗戦で、独立を放棄することが、いかに恥ずべきことか。

倉山満先生が説く歴史観 「ウェストファリア体制とは」

http://www.youtube.com/watch?v=P6-dylPD0Us

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