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2012年9月30日 (日)

マウリッツハイス美術館展をみて

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台風の暴風雨が吹きすさぶ中、三宮の神戸市立博物館へ行ってきました。台風のおかげで人手が少なく、じっくり絵画を見ることができました。

フェルメール「真珠の首飾りの少女」

今回の展覧会の看板です。絵の前には何重も柵がつくられていましたが、台風のおかげで待たずに見ることができました。

ヤン・ブリューゲル「四季の精から贈り物を受け取るケレスと、それを取り巻く果実の花輪」

一番行列ができていましたね。たくさんの果実がみずみずしいこと!5,6個の果実静物画なら、ザラにあるのですが、100個以上の細かい絵作業は感嘆しました。私は、このヤン・ブリューゲルの絵が一番好きになりました。

ヤコブ・ファン・ライスダール「漂白場のあるハールレムの風景」

遠くに描かれた町並みが、教会を中心に細かく描かれていて、昔の風景を撮影した写真でした。

サロモン・ファン・ライスダール「帆船の浮かぶ湖」

湖面の描写がすごすぎ。一度見てください。

レンブラント「青年期と老年期の自画像2枚」

光と影の魔術師、レンブラントの登場です。なかでも自画像はなかなか見ものでした。

レンブラント「シメオンの賛歌」

光はすべてイエスを照らし、背景は薄暗く描かれています。

This is the Rembrandt !

ルーベンス「聖母被昇天」

ルーベンスの代表作ですね。「フランダースの犬」の主人公ネロが死ぬ前に見たがった絵です。

ヴァン・ダイク「アンナ・ウェイクの肖像」

べっぺんさんです。フリルや羽根が本物のように見えました。

ピーテル・クラースゾーン「燃えるろうそくのある静物」

本日、技巧派ナンバー1はこれだ!!

ろうそくの火が本物そっくり。なによりガラスの光沢や、ガラスの中の水の描写が本物そっくりで、驚くべき技術です。

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ウルトラマンのモデルは日本帝国陸海軍だった

見知らぬ地球に住む勇敢な若者に感動して、見知らぬ地球人のために命を懸けて戦ったウルトラマンは、実は世界最強を誇りながら、近隣諸国(インド・ビルマ・インドネシア・フィリピン・台湾など)の見知らぬ土地の住民の独立運動に寄与し、コミンテルンによって近衛文麿内閣の北支事変からわずか8年で滅んでしまった日本帝国陸海軍がモデルだったそうです。

円谷英二氏は、国家危機が訪れた時には戦うことが必要なんだという、当たり前のことを男の子たちに教えていたんですね。

ウルトラセブンに登場するキリヤマ隊長は、自己防衛意識が一番強く、当時の池田隼人内閣の防衛意識を反映していたそうで、あとにいけばいくほど、憲法9条が頭をもたげてきていて、ウルトラマンが弱く描かれるようになってきました。

在日米軍がモデルだという説もあるのですが、在日米軍は日本人自身が自己防衛しなければ、日本人のために命を捨ててまで戦わないので、ウルトラマンではないようです。

武士道とは死ぬことと見つけたりとは、葉隠流武士道ですが、大東亜戦争を戦った軍人さんはまさに上官の命令に絶対服従して死に追い込まれ、大本営に入り込んだ社会主義陣営スパイによって防衛軍が滅んでしまいました。

これではだめで、自分でなにが正しくてなにが間違っているかを自己判断できる防衛軍の再結成がいま求められていると、わたしは考えています。

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2012年9月27日 (木)

倉山満氏、麻生太郎氏の弁

倉山満氏の弁

http://www.youtube.com/watch?v=TZlivIdork8

なんとかNHK番組「視点・論点」にこれを流せないものか。

麻生太郎氏の弁

http://www.youtube.com/watch?v=OcImtVuJxyU&feature=relmfu

たしかに谷垣禎一氏は讃えるべきですが、消費税や復興税の増税前提の3党合意さえしなければ全面的に応援していたのですがねぇ。

民と官にこういうすばらしい人物がいる限り、日本は安泰でしょうね。

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2012年9月26日 (水)

祝 安倍晋三 自民党総裁

U-streamで固唾を呑んで拝見しておりました。決選投票で逆転勝利おめでとうございます。

まずは日銀法改正、デフレ脱却からお願い申し上げます。財務省を大蔵省に戻すところから。白川方明・日銀総裁のデフレ維持政策を阻止してください。

今日明日で、円安株高になるかも。

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2012年9月19日 (水)

日本が中国に教えるべきこと

満洲事変も尖閣事変も日本が仕掛けたように世界に見せる舞台である。

http://www.youtube.com/watch?v=30lbGlAy_Ks

1. 助けていただいた相手には感謝し、恩をあだで返してはならない。

2. 他人の力で成し得たことは、自分の手柄ではない。

3. 他人にされて嫌だと思うことを、他人にしてはいけない。

4. 自国の歴史を自分の都合のいいように書き換えてはいけない。先祖を冒涜する行為であるとともに、子孫が自己反省できなくなる。

5. 人の歩むべき道として、人の肉を食べてはならない。

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2012年9月18日 (火)

長崎唐人

長崎貿易の主流はオランダ人相手ではなく、中国人相手でした。1644年~1683年の中国は、満洲族の清、呉三桂の南明、鄭成功の台湾の三国から来日していました。台湾を追い出されたオランダ人と、台湾を勝ち取った鄭成功のあいだの紛争もすさまじいものでした。

長崎唐人屋敷の謎

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1613年 (日)禁教令

1616年 (日)港を平戸と長崎に限定

1624年 (日)イスパニア人来航禁止

1633年 (日)海外在住5年以上の日本人帰国禁止

1635年 (日)日本人帰国および海外渡航禁止。唐人を長崎に限定。仲介料をとる船宿に制度。唐人の永住禁止。

1636年 (日)豪商が出島構築、ポルトガル人を平戸から出島に移す。

1637年 (日)島原の乱

1639年 (日)ポルトガル人来航禁止

1641年 (日)オランダ人を平戸から出島に移す。唐人を順番に泊める宿町制度。

1643年 (清)李自成の乱、明滅亡

1644年 (清)呉三桂が清のドルゴンを招き入れ李自成を滅ぼす。呉三桂は清の順治帝(フリン)を支持し、明の皇帝を追放する。

     (南明)鄭芝龍・鄭成功父子が抵抗運動。

1650年 (清)ドルゴン死去し、順治帝親政。

1653年 (日)宿町が不足したため、付町を新設。

1659年 (清)鄭成功の軍を討伐

1661年 (清)康熙帝即位。鄭成功の財源を断つため、遷界令を発布し、日本への出帆禁止。

     (南明)鄭成功が台湾からオランダ人を追放。

1662年 (台湾)鄭成功が死去し、子の鄭経があとをつぐ。

1663年 (日)仲介料を各町均等にとることを許可。長崎じゅうの市民が唐船貿易で潤った。

1673年 (南明)呉三桂が三藩の乱をおこす。

1681年 (清)三藩の乱を鎮圧

1683年 (清)台湾の鄭経を鎮圧

1684年 (清)展界令を発布して、日本への出帆再開。

1689年 (日)キリスト教に改宗した唐人を取り締まり、密貿易による銀流出を防ぎ、長崎市民とのケンカを防ぎ、日中混血児を減らすため、唐人屋敷に限定。

1705年 唐人屋敷大火

1784年 唐人屋敷全焼

1870年 唐人屋敷廃止

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2012年9月17日 (月)

佐藤一斎先生「言志四録」を読んで

言志四録

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「言志録」第5,6,7条 ← わたしが一番好きな明訓です。

憤の一字は、これ進学の機関なり。

学は立志より要なるはなし。

しこうして立志もまたこれを強うるにあらず。

ただ本心の好む所に従うのみ。

立志の功は、恥を知るをもって、要と為す。

「言志晩録」第13条

一燈を提げて、暗夜をゆく。暗夜を憂うることなかれ。ただ一燈を頼め。

「言志晩録」第60条

少にして学べば、すなわち壮にして為すことあり。

壮にして学べば、すなわち老いて衰えず。

老にして学べば、すなわち死して朽ちず。

「言志晩録」第240条

人は恥無かるべからず。また悔無かるべからず。

悔を知ればすなわち悔無く、恥を知ればすなわち恥無し。

「言志耊録」第26条

立志は高明(高い見識と明るい知恵)を要し、

著力(努力)は切実(適切)を要し、

工夫(思考)は緻密(精密)を要し、

期望(期待)は遠大を要す。

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2012年9月16日 (日)

映画「天地明察」をみて

とてもいい映画でした。理科系の喜び、楽しみ、そして産みの苦しみを、多くの文科系に知ってもらえた、いい映画です。

なにより、日本人の問題点があちらこちらで浮き彫りされていたのが、とてもいいと思います。

自ら開発した「大和暦」の日食予想に切腹を賭けた安井算哲に、多くの京都市民が安井算哲の予想がはずれたと早合点して、「死ね。切腹しろ。」とけしたてるシーン。どんな思いで理科系人間が発見発明に努力研鑽しているか、少しは考えてほしいと思います。結局、安井算哲が公家に勝ち、ワーワー騒ぎ立てるだけ。学校で教わる勉強はそういった数多くの学者たちの研鑽努力のうえに成り立っており、そのあたりの感謝の念も義務教育で教えるべきでありましょう。

水戸光圀も、会津藩主・保科正之も、すばらしい大名でした。そんな二人に、武士の端くれの身分にすぎない安井算哲がお目通りできていたのも、大名たちの度量に驚きでしたが、そんな水戸光圀が改暦問題で、最後に安井算哲を裏切って、天皇を味方にしている公家方についてしまいます。まさに日本人らしい生き方の象徴です。最後は光圀も非を悟り、安井算哲と運命共同体で切腹を賭けて安井算哲に味方するあたりが、責任をとらない現在の政治屋さんとはちがうなと思いました。

語学は文科系の小川、数学は理科系の小川である。常にさらさらと楽しそうに小気味よく流れていればいい。そこには時々、未来を夢見る学者たちが、夕涼みにやってくるからである。

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2012年9月14日 (金)

笑える悲しいお話ですね

http://www.youtube.com/watch?v=aOcjr1AhXoc

チェンバレン(英)は「Yankee phobia」と称されるくらい、アメリカ嫌いだった。

→ 教科書だとチェンバレンって、ヒトラーのいいなりになる弱腰外交のイメージではなかったかな。

チャーチル(英)はアメリカと情報機関を共有するくらい、一番やっちゃいけないことをやった英国の売国奴だった。英国は植民地の大部分をアメリカのせいで失ったから。

→ 教科書だとチェンバレンがチキンなので、チャーチルが葉巻をくわえて、ヒトラーと大勝負に出てやったというイメージだったね。ロンドン大空襲に耐えた美談がチャーチルに花を添えていたような。

嘘だらけの日米近現代史

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著者:倉山満
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倉山満先生の名セリフです。

「ソ連との片手間の、中国との片手間の、イギリスとの片手間に、日本帝国陸海軍はアメリカの喧嘩を買っただけだ。」

→ それくらい世界一強力な軍事力をバックに、日本は仲の悪い米英協調をやっていたということ。

「日清は陸奥宗光、日露は小村寿太郎が功労者といわれるが、第一次世界大戦後に日本が大国になりえたのは、石井菊次郎のおかげである。英米が世界覇権を争うのだから、日本はデンと構えていればよいと言われた人。石井菊次郎の功績を全部チャラにした愚か者が幣原喜重郎で、石井菊次郎の発言力をなくすように策略したのが原敬だった。」

→ 戦後最初の首相・幣原喜重郎も、普通選挙法の原敬も教科書ではヒーロー扱いですね。ぜひ雛壇から降りてください。

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2012年9月 9日 (日)

高良大社、阿蘇神社、宗像大社参拝

新幹線に乗って、倭国ゆかりの神社を参拝してきました。九州に生まれた倭国が東征先の近畿にて、天智天皇を中心に、中国北朝から独立した日本国として生まれ変わりました。しかし、いま日本国は中国・韓国・ロシア・北朝鮮・アメリカといった隣国侵略による滅亡の危機に立たされています。日本の原点をたずね、倭が誇る外交を振り返ることは大きな意味をもっています。倭国ですら、中国南朝に朝貢こそすれ、現在のごとき冊封はしていませんでした。

まずはJR久留米駅を下車。タクシー15分かけて、倭の五王の末裔が宮司を務めておられる高良大社(こうらたいしゃ)を参拝しました。古くは高良玉垂宮といい、祭神は高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)、八幡大神(はちまんおおかみ)、住吉大神(すみよしおおかみ)です。

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境内からは久留米の街と筑後川を一望できました。

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熊本へ新幹線移動し、熊本城へ行ってきました。名物「いきなり団子」を食べましたが、ふつうの芋まんじゅうでした。

秀吉の命で肥後入りした佐々成政でしたが、治めきれず尼崎にて切腹を申しつけられました。代わって肥後に来たのが加藤清正でした。私は彼が戦国一の武将だと思っています。

加藤清正は子の代で断絶させられ、小倉から細川氏が肥後入りしました。

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復元された昭君の間です。

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在来線で南阿蘇温泉に行き、名物の馬刺し、赤牛をいただきました。

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阿蘇駅まで旅館の方に送ってもらい、定期観光バスで阿蘇山の大観峰(だいかんぼう)に行きました。

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阿蘇神社を参拝しました。井伊直弼の影のブレインだった、細川大名の落とし子・長野主膳もここ阿蘇神社の宮司、阿蘇氏に身を寄せていました。伊勢の本居宣長門下にて国学を修めました。倭国成立以前から、ここは聖地祭場でした。祭神は武磐龍命(たけいわたつのみこと)です。

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スイッチバック方式のローカル線に乗り、水前寺公園に行きました。

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富士山を模倣した築山だそうです。細川大名は、門司か大分まで陸路して、あとは船で兵庫入りして、参勤交代していたそうです。

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細川大名が食した、かりん菓子「加勢以多(かせいた)」と抹茶をいただきました。

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翌日は、JR在来線の東郷駅を下車して、宗像大社辺津宮(むなかたたいしゃ・へつみや)を参拝しました。祭神は、辺津宮の市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)、大島にある中津宮の湍津姫神(たぎつひめのかみ)、沖ノ島にある沖津宮の田心姫神(たごりひめのかみ)です。10月1日の御生れ祭(みあれさい)で、三柱の神様が辺津宮に一同集われます。

宗像大社から、広島・宮島の厳島神社ができました。

このあたりの豪族だった胸形徳善(むなかたとくぜん)の娘・尼子娘(あまこのいらつめ)が第一夫人として大海人皇子、のちの天武天皇に嫁ぎました。こどもは高市皇子(たけちのみこ)です。

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古代から海上安全を祈願してきた沖ノ島は、当時の貴重品を身代りに奉納したため、考古学資料の宝庫です。

岩上祭祀(4世紀後半~5世紀) 

 鏡、剣、勾玉、鉄鋌(てってい;加工前の鉄板規格品)

岩陰祭祀(5世紀後半~7世紀) 

 武器、馬具、新羅の指輪、ササン朝ペルシャのガラス

半岩陰・半露天祭祀(7世紀後半~8世紀前半)

 金銅製の人形・織器・五弦琴、須恵器、律令祭祀を採用

露天祭祀(8世紀~10世紀初頭)

 石製の人形・舟形・馬形、奈良三彩小壷、須恵器、皇朝銭

894年遣唐使廃止とともに祭祀は廃れましたが、新羅の入寇(倭寇ばかりじゃない!)を呪詛し、大変霊験があったということで、宗像氏は正一位まで出世しました。

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大宮司であった宗像氏は、元寇では少弐氏のもとで働き、鳥羽上皇、平頼盛、後醍醐天皇、九州に落ち延びた足利尊氏を助け、中世にも豪族として名をはせてきましたが、大内氏をはじめとする戦国大名に屈服。政略結婚で融和を図ってきましたが、1586年宗像氏貞(むなかたうじさだ)を最後に断絶しました。

安曇(あずみ)氏、息長(おきなが)氏、紀(きの)氏、吉備(きび)氏、尼子(あまこ)氏、宗像(むなかた)氏、松浦(まつら)氏、河野(こうの)氏、村上(むらかみ)氏、九鬼(くき)氏といった海の民は田畑にする土地を持ちません。ですから701年大宝律令以降に強制された律令制度のもとでは、山上憶良「貧窮問答歌」でうたわれたごとく、かつて富と栄光に包まれていた海の民は貧しく経済的に虐げられることになりました。ですから生きるために海賊となり、ときに武士と共同戦線を張り、やがては有力豪族に水軍として組織的に取り立てられることになりました。

白村江の戦いの敗戦以降、唐や新羅に対抗するためにしかれた絶対的中央集権制度とちがって、倭国は緩やかな中央権力政府(大宰府)でした。宰(みこともち)が中央(天皇)の命令を地方に伝え、詳細は地方豪族の裁量に任されていました。海の民はそんななか、のびのびと造船・航海技術や外交や豪華絢爛な仏教木造建築・土器・須恵器・瓦・巨石・鉄器文化をはぐくむことができたのです。

奈良時代以降の近畿中央政府で敗れた者が、心のよりどころとしたのは常に海の民でした。大海人皇子(天武天皇)しかり、藤原広嗣しかり、平家一門しかり、後醍醐天皇(南朝)しかり、足利高氏しかり。海の民がつくった倭国は、民にやさしい揺りかごなのです。

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2012年9月 4日 (火)

坂本龍馬もダマされた真実のアメリカ史

読み終わっての感想を一言でいえば、

「オレは文部省にだまされていたんだな。」

ジョージ・ワシントンは架空の人物?

http://www.youtube.com/watch?v=SQiA9JvYDm0

嘘だらけの日米近現代史

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山川出版社の「詳説世界史」「詳説日本史」は廃刊にするか、ただちに全文書き直しが求められますね。

日本国民が感謝すべき人物は、次の三名です。

高平小五郎

小村寿太郎

石井菊次郎

自分をキリストだと妄想していたウィルソン米大統領はたしかに国際連盟を提唱したんだけれど、どこかで聞いたような(笑)「新世界秩序(New World Order)」のスローガンを掲げやったことは、帝国間にすでに個別で結ばれていた平和協定をすべてぶち壊し、全世界を再び泥沼の戦闘状態に陥れ、伝統・調和ある多民族自由経済帝国を滅ぼし、社会主義者による統制経済大国・建設実験を助け、世界の隅々に住む少数民族にまで武力蜂起を呼びかけただけ。

20世紀末、クリントン米大統領がバルカン紛争で同じ轍を踏んで、第三次世界大戦を起こす寸前までいっていました。

国際連盟を実際に運営していたのは、日本だという事実をみなさん知っていましたか?

第二次世界大戦は日本もアメリカも敗戦国であって、戦勝国はソ連だけでした。

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2012年9月 2日 (日)

これでも消費税増税するの?

六甲アイランドに行ってびっくり。にぎわっていた百貨店RINKが異常事態となっていました。

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9階建てなのに、5階から7階フロアが全滅。8階のレストランはインド料理店1軒のみ残すだけですべて閉店でした。9階最上階の映画館は、ワーナーマイカルシネマズが西宮北口に転居して、新しい映画館ができ、ほどなく閉店しました。

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エレベーターの案内板もこのとおりです。いまや海外旅行していたら、中国人にまちがえられるご時世です。中国系のタクシーに乗り、中国系のホテルに泊まり、中国系のレストランで食事して、決して外貨を落とさない彼ら。いまデフレ増税してどうなるの?

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