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2012年8月14日 (火)

奈良国立博物館「頼朝と重源」をみて

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奈良国立博物館に行ってきました。平清盛の五男・重衡によって、源氏方についた東大寺と興福寺が焼き討ちにあいました。興福寺の僧が重衡を佐保川で斬首。平家ってこんな悪いやつなんだぞという宣伝のために、東大寺再建に燃えた源頼朝。平清盛との蜜月もどこへやら、なにかありましたとばかりの後白河法皇。大仏開眼までは死んでも死にきれない、執念の後白河法皇。

東大寺大勧進とは、東大寺復興のための最高責任者です。初代大勧進に念仏に目覚めつつあった法然に白羽の矢が立ちました。しかし顕教・密教何でもござれ、オールラウンドプレイヤーの大秀才・法然は、奈良仏教と念仏仏教が相容れないことを悟り、辞退しました。そこで推薦されたのが重源でした。

いざ大仏再建となると、材木不足、人夫不足がひどくまったく計画は進みません。そこへ後白河法皇が院宣を発布して、法皇領に協力を要請。源頼朝も御家人に労働を命じました。となりの興福寺にも協力を要請。

初代大勧進 重源

2代大勧進 栄西

3代大勧進 行勇

僧の留学の際の友人であった重源と栄西でした。臨済宗・栄西が宋から持ち帰った菩提樹(シイノキ)を重源に譲り、重源はその菩提樹で数珠を作って愛用していたそうです。これこそ二人の熱い友情の証拠ですね。

運慶・快慶の仏像、とくに快慶作の阿弥陀仏像・地蔵菩薩像は見ものです。後白河法皇・重源・頼朝・栄西・行勇の木造は必見です。栄西はひとの良さが表情に表れており、他人を叱るような人にはまったくみえない人でしたね。イメージが変わりました。たれ目の頼朝は凛としたいかめしさが全くなく笑えましたが、晩年像らしいので仕方ないかな。

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