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2012年8月16日 (木)

伊丹市立美術館「パディントンベア展」、伊丹市立博物館を訪ねて

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私自身、あまり思い入れがなかったのですが、パディントンベア展に行ってきました。イギリス・ロンドンのジェントルマン思想が表れているキャラクター人形だなと思いました。

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歴史好きな私としては、となりの博物館で勉強になりました。大阪両替商といえば、鴻池。鴻池とは実は伊丹の地名であって、氏名(うじな)ではありませんでした。

ときは戦国、尼子氏の家臣・山中鹿之助の長男・新六(幸元)が敗れ、伊丹市北部の鴻池に住んでいた親戚に身を寄せました。山中新六は1599年、清酒の醸造法を発明し、酒造りに本格的に乗り出しました。伊丹は伏見と並ぶ酒造のメッカでした。ちなみに酒の消毒法を発明したのは、奈良・興福寺の坊さんたちです。

洗米 → 蒸米 → 麹(こうじ)仕込 → 酛(もと)仕込 → 醪(もろみ)仕込 → しぼり → 滓(おり)引き・火入れ

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伊丹の昆陽(こや)は、平清盛が福原の前に遷都を考えた地でした。さらに足利尊氏が後醍醐天皇に勝利し擁立した光明天皇も昆陽に遷都しようとしたそうです。京都御所と深い関係があり、近衛家が代々伊丹を治めてきました。

山中新六は酒造りに欠かせない米づくりのための新田を東大阪につくり、鴻池と改名し、これが鴻池家のはじまりとなりました。伊丹の酒は、麹を惜しみなくふんだんに使い、深い香りと味わいの銘酒「剣菱」でした。樽廻船に積み込んで、江戸へ大量に酒を輸出し、伊丹は江戸からたくさん貨幣が集まる、活気ある街になりました。樽は奈良吉野杉でできており、2週間かけて上方から江戸へ運ばれるあいだに、樽の得も言われぬ香りが酒に染みついたそうです。うまい伊丹の酒のことを「下り酒」、うまくない酒のことを「(上方から)下らない酒」と呼び、「くだらない」の語源となりました。美食家ぞろいの江戸っ子のベロをうならせたようです。

金と酒があれば、あとは歌でしょう!そう、俳句がさかんに伊丹で詠まれ、幕末には頼山陽も足繁く伊丹に通ったそうです。

芭蕉と並び称せられる最も有名な人は、鬼貫(おにつら)です。「鬼貫=醜い貫之」とへりくだった俳号でした。酒造家、油屋の息子でした。

小男牛(さおうし)の 声きく時ぞ 梅紅葉

咲くからに 見るからに花の 散るからに

桜咲くころ 鳥足二本 馬四本

おもしろさ 急にハ見えぬ すすきかな

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