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2012年8月19日 (日)

神戸市立博物館「西洋と出会った江戸美術」をみて

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フラッシュなしなら撮影許可されていましたので、いくつか撮影してきました。

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南蛮 → スペイン・ポルトガル。日本侵略意欲満々のカトリック・イエズス会。

紅毛 → オランダ。プロテスタントで、距離を置いて付き合ってくれた日本の味方。

(1)油彩画・銅版画

平賀源内の西洋婦人図です。蘭学書を見よう見まねで描いた油絵です。

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司馬江漢(しばこうかん1747-1818)は平賀源内に油絵を学びましたが、それに飽き足らず、腐食銅版画を独自に開発しました。銅版画はとても細かいエッティングを可能にしました。

亜欧堂田善(あおうどうでんぜん1748-1822)は司馬江漢に弟子入りし、銅版画技術を大成させました。杉田玄白「解体新書」の挿絵を担当しました。

松尾秀山(まつおしゅうざん)は日本画に銅版画の手法を融合させました。

若杉五十八(わかすぎいそはち1759-1805)は長崎出島の地役人で、西洋画の遠近法を取り入れた油彩画をはじめて描きました。

荒木如元(あらきじょげん1765-1824)は、若杉の画法をさらに発展させて、油彩画・ガラス絵を描きました。吉雄耕牛の肖像画など、西洋に負けない技術にまで追いついていました。

(2)花鳥細密画

沈南蘋(しんなんびん1682-1760)が享保16-18年(1731-1733)に、長崎にやってきて、日本に大ブームを巻き起こしました。

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唐通事・神代彦之進(くましろひこのしん)が沈南蘋に弟子入りして、熊斐(ゆうひ1712-1772)と号して、南蘋画を興しました。

宋紫石(そうしせき1715-1786)が清から来日。熊斐に弟子入りしました。

(3)眼鏡絵

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(4)のぞき絵

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眼鏡絵は飛び出す3D絵本です。のぞき絵は花火だけが光でパッと明るく描けるテレビ絵です。歌川国芳、安藤広重といった浮世絵師とのコラボでした。

「長崎出島オランダ商館の様子」

刀は2本差してはじめて武士とみなされました。正式の武士としてみなされなかった蘭通詞の刀は1本だけでした。外国人との条約交渉で、1本差しでは外国人になめられると通詞たちは幕府に訴え、幕末にようやく2本差しが認められました。

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「長崎中華街の様子」

地役人と丸山芸者しか入所を許されない謎多きエリアです。

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