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2012年8月31日 (金)

満洲国私感

満洲帝国史

満洲帝国史
著者:太田尚樹
価格:1,470円(税込、送料込)
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http://www.youtube.com/watch?v=DWNFPJj3Frk&feature=related

反日的な旅順を避けて、まずは大連。新幹線ひかり号の前身、アジア号に乗って、大石橋、奉天、四平、新京、ハルピン(哈爾濱)で終点。満鉄は満州国の国鉄でしたが、漢人が勝手に私鉄を満鉄沿線にこしらえて、利益を横取りしようとしたことも、紛争の一因となりました。親の世代の話をいろいろ伺ってきましたが、すごく発展すざまじかった国だったそうです。

満洲発展の原動力は、官僚、満鉄、満洲重工業(=日産)が三位一体で経営した阿片栽培・輸送・貿易・販売・治療の利益に基づくものでした。

「大きいことはいいことだ」

アメリカ式に広大な農地を機械で耕し、農作物の大量生産に踏み切っていれば、大東亜戦争の兵糧にあそこまで困ることはなかったのに。東北地方の慣習をそのまま移入して、小さな田畑を多くの日本人で耕すべきと主張した、石原莞爾の意見が通ってしまいました。

「五族協和」、「王道楽土」

名指揮者、小沢征爾さんのお父さんが作ったスローガンだそうです。

五族 = 日本人、満洲人、漢人、朝鮮人、蒙古人

敵国だったロシア人は蚊帳の外に置かれていました。国境が不鮮明で、常に馬賊の強奪・殺人を受けたため、満洲移民の生命を守ったのが、関東軍でした。なんと国籍がなかったそうで、日本人は内地から徴兵義務が課せられたそうです。国籍がないゆえに、中華人民共和国から、「満洲国はなかった。」とケチをつけられるし、宣統帝溥儀も中国の法律で裁かれました。

「2キ3スケ」

東條英機、星野直樹、岸信介、鮎川義介、松岡洋右

満洲開拓の功労者だそうです。

内地の領土も国民も天皇陛下がもっておられるもの。515事件や226事件のような社会主義者の勝手なマネは内地では許されませんでした。満洲は、天皇陛下の監視があまり行き届かなかったようで、統制経済を信奉するエリート社会主義者たちが、共和国建設の実現目指して、自由に統制経済を実験できた大国でした。「天皇主権論」を唱えた東大法学部の上杉慎吉門下生たちが国を大きく傾けました。

自由経済 vs  統制経済

戦時中の内地・統制経済、朝鮮戦争時の統制経済も、満洲帰りの官僚が仕組んだもの。新幹線も満鉄の生まれ変わり。池田勇人内閣が自由経済で高度成長を成し遂げるまで、日本は完璧に社会主義者に動かされていました。

富は雇用者から生れる。多数の雇用者が対等に競争する自由経済は常に、少数の雇用者が多数の被雇用者から略奪する統制経済より、はるかに多くの富を生む。

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2012年8月29日 (水)

ハニートラップ組が後退?

中国にハニートラップされた橋本龍太郎氏の政策

1 バブル崩壊後のデフレ期に消費税導入

2 大蔵省の財金分離 

3 日本銀行の独立、日銀貴族の誕生

4 公共事業削減

はい、はい。

同じくハニートラップ組で、デフレ増税にご執心あそばされている谷垣禎一氏が、自民党総裁選に出馬しないかもしれないというYahooニュースが。対抗馬の安倍晋三氏に期待だが、タッグを組む大阪維新の会・橋下徹氏が不倫騒動で、これまたハニートラップ組ではないのか?ひょっとしてチャイナ監督によるハニートラップ組の選手交代にすぎないのか。

経済に明るい麻生太郎氏の返り咲きはないのかな?

大蔵大臣(財務大臣はやんぺ)は三橋貴明氏で、法務大臣は倉山満氏で、国土交通大臣は藤井聡氏で、文部大臣は宮脇淳子氏で、外務大臣には、ぜひ石原慎太郎氏でお願いします。

http://www.youtube.com/watch?v=-gJTTFSX6EU

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2012年8月28日 (火)

真実の近現代史

徳川吉宗・米相場、田沼意次・貨幣経済にはじまって、北前船、伊丹・西宮の酒問屋、伊勢商人、近江商人、大坂商人、京商人、博多商人を巻き込んだ幕末・明治維新のカネの流れはどうなっているのか?

グラバー、バークス、英仏蘭・東インド会社、薩摩藩、マカオ阿片戦争、坂本龍馬「亀山社中」、小栗上野介「兵庫商社」、松方正義「日本銀行設立」、江藤新平「楠公義祭同盟」、日清・日露戦争へと突入する時代までの軍資金の流れはどうなっているのか?

台湾併合・朝鮮併合・満洲国建国の真の狙いはなにか?通貨発行権をもつ3大中央銀行、つまり台湾銀行・朝鮮銀行・満洲銀行と、大蔵省にコケにされ続けた陸海軍の軍事費捻出法は?

伊藤忠商事・丸紅・鈴木商店・日商・三井物産といった総合商社とのカネの流れはどうなっていたのか?そこにツケ込むソ連コミンテルンのスパイ活動資金と、中華民国の阿片資金。まんまとだまされる軍部。国益のために暗躍する後藤新平高橋是清

田中角栄、三木武夫の金権汚職につながる史実には、とても興味がありますね。戦後、大蔵省史観が言うように、大東亜戦争の原因は軍部の暴走なんかではありません。冷静沈着な経済戦争でした。

http://www.youtube.com/watch?v=4bvE2bcPO1o

すばらしい先生ですね。

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2012年8月26日 (日)

大阪・新歌舞伎座「十三人の刺客」をみました

昨夜は、大阪・上本町六丁目の新歌舞伎座に行ってきました。ひとり病欠して15分遅れの公演となりました。高橋克典さんから開演前の挨拶があり、休演も考えたが、「十二人の刺客」でがんばるとの言葉で、拍手喝采のもと開演されました。

とても男気を感じられる男だらけの舞台でした。高橋克典の妻役、釈由美子が紅一点で美しく見えましたね。

12代将軍、徳川家慶の弟、松平斉韶(まつだいらなりつぐ・袴田吉彦)が切り捨てごめんの残忍な明石藩藩主となっていました。ときの老中から松平斉韶暗殺の密勅を受けた島田新左衛門(高橋克典)は、刺客をつのり、釈由美子と離縁し、明石藩主参勤交代の途中をついて暗殺に乗り出します。そのうわさを聞きつけた側用人・鬼頭半兵衛(坂口憲二)は必死に暴君の命を守ります。島田新左衛門と鬼頭半兵衛は幼馴染で、釈由美子を奪い合った恋敵でもありました。

松平斉韶の暗殺を果たして本懐を遂げた高橋克典でしたが、坂口が目の前に立ちはだかりました。高橋はわざと坂口に斬られます。二人の真剣勝負を見届けていたジイが背後から坂口を斬ったのには、そんなアホなという笑いとともに、エーッというどよめきが起こりました。

サラリーマン金太郎のエロ、大仏開眼の藤原仲麻呂などの役から、高橋克典のファンでしたが、今回も男気の感じられるいい舞台でしたよ。

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2012年8月25日 (土)

すべてはまず、デフレ脱却・景気回復から

防衛問題も、地震対策問題も、年金問題も、医療崩壊問題も、憲法改正も、教育問題も、環境問題も、原子力エネルギー問題も、・・・・・・

すべてデフレを脱却して、景気を回復させてはじめて、解決が実現可能となる。

中国や韓国の福島以上に危険な原発を非難せず、日本だけの原発即時停止を求める左翼労働団体主導の反原発デモ団体とだけ、野田佳彦首相は会話を交わし、いま中国や韓国と領土侵害問題だけを争うのはスジが通っていない。

竹島・尖閣・沖縄を侵略する国を経済援助して、なぜ日本のデフレ不況を持続させる政策をとり続けるのか?これもまったくスジが通っていない。

国民はバカではない。先の戦争で、蔵相のデフレ増税で経済をどん底に陥れたうえで、負けるための戦争、つまり北支事変やノモンハン事件や真珠湾攻撃やミッドウェー海戦を引き起こし、勝つための戦争、つまり米英停戦交渉を可能にするインド洋・フィリピン侵攻を決してせず、原爆投下を放置し、ソ連侵攻を待ち、日本のトップが故意に敗戦に導いたという史実を繰り返している。

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2012年8月22日 (水)

国の借金=日本政府が円建てで日本国民から借りた借金

http://www.youtube.com/watch?v=pIIhikWPZhk&feature=related

世界一裕福な日本が、税と社会保障一体改革をする理由がないんだけど・・・・・

社会福祉費を増やすべきというのが正しくて、削減しなくてはならないというのは大ウソ。

消費税を廃止すべきというのが正しくて、国の借金を返すために増税しなければならないというのは大ウソ。

ギリシャ政府はユーロ(=ギリシャにとって外貨)建てで、外国から借りた借金。ギリシャ危機とは外国の負債を返せなくなった状態で、ユーロ各国は不良債権をかかえている。

政府は国債を発行し、被災地復興と耐震補強工事を図れ!

日銀はインフレ率2~4%を目標に増刷し、政府発行の国債をおとなしく買え!

消費税を廃止せよ!

この三つで景気を回復せよ!

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2012年8月19日 (日)

神戸市立博物館「西洋と出会った江戸美術」をみて

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フラッシュなしなら撮影許可されていましたので、いくつか撮影してきました。

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南蛮 → スペイン・ポルトガル。日本侵略意欲満々のカトリック・イエズス会。

紅毛 → オランダ。プロテスタントで、距離を置いて付き合ってくれた日本の味方。

(1)油彩画・銅版画

平賀源内の西洋婦人図です。蘭学書を見よう見まねで描いた油絵です。

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司馬江漢(しばこうかん1747-1818)は平賀源内に油絵を学びましたが、それに飽き足らず、腐食銅版画を独自に開発しました。銅版画はとても細かいエッティングを可能にしました。

亜欧堂田善(あおうどうでんぜん1748-1822)は司馬江漢に弟子入りし、銅版画技術を大成させました。杉田玄白「解体新書」の挿絵を担当しました。

松尾秀山(まつおしゅうざん)は日本画に銅版画の手法を融合させました。

若杉五十八(わかすぎいそはち1759-1805)は長崎出島の地役人で、西洋画の遠近法を取り入れた油彩画をはじめて描きました。

荒木如元(あらきじょげん1765-1824)は、若杉の画法をさらに発展させて、油彩画・ガラス絵を描きました。吉雄耕牛の肖像画など、西洋に負けない技術にまで追いついていました。

(2)花鳥細密画

沈南蘋(しんなんびん1682-1760)が享保16-18年(1731-1733)に、長崎にやってきて、日本に大ブームを巻き起こしました。

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唐通事・神代彦之進(くましろひこのしん)が沈南蘋に弟子入りして、熊斐(ゆうひ1712-1772)と号して、南蘋画を興しました。

宋紫石(そうしせき1715-1786)が清から来日。熊斐に弟子入りしました。

(3)眼鏡絵

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(4)のぞき絵

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眼鏡絵は飛び出す3D絵本です。のぞき絵は花火だけが光でパッと明るく描けるテレビ絵です。歌川国芳、安藤広重といった浮世絵師とのコラボでした。

「長崎出島オランダ商館の様子」

刀は2本差してはじめて武士とみなされました。正式の武士としてみなされなかった蘭通詞の刀は1本だけでした。外国人との条約交渉で、1本差しでは外国人になめられると通詞たちは幕府に訴え、幕末にようやく2本差しが認められました。

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「長崎中華街の様子」

地役人と丸山芸者しか入所を許されない謎多きエリアです。

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旧制高等学校の復活構想

専門教育を受ける前に、日本が誇る歴史教養や徹底した語学教育を受けておく有用性は誰も否定できないでしょう。いままでつらつら戦前戦後の歴史をかえりみますと、頭のいい集団のトップクラス層はどうしても日本嫌いの権力大好き人間が集まってしまうみたいですね。こういう人間がある程度の割合で混じってしまうのは避けようがない。コンプレックスが強いせいなのか、天下を背負う人間が天下国家を批判・否定するのがかっこいい生き方だと思ってしまうせいかわかりませんが、教授の質と教え方が悪いせいだという気がします。長い年月をかけて劣悪化するのでしょう。日露戦争に勝って、第一高等学校が「嗚呼玉杯に花受けて」を発表するころには、一高はすでに終わっていたんですね。一高出の社会主義者たちが国を大きく傾けていきました。

かといって入学試験の選抜方法を変えてみたところで、入学生の学力は下がるだけ。小論文や短時間の面接で人間評価などできるわけがない。だいたい面接官自体が変人です。入学試験はやさしくして、卒業をむずかしくすればよいというのでは、教授をヨイショするただの暗記マシーン太鼓持ちを作るだけ。教授たちが醸し出す既成概念を否定昇華する新しい発想が生まれるわけがない。まずは、一回受験勉強から解放してあげて、コンプレックスだのなんだの洗い流してもらい、惜しみなく時代時代最先端の講義ができる最高レベルの教授を並べた学校を復興し、少数精鋭の学生相手に授業させてみてはどうでしょう。これがほんとうの「ゆとり教育」なんです。いきなりブレーキを踏むのではなく、まずはアクセル全開で知識を効率よく詰め込んでから、ブレーキをかけて熟成自省期間を設けるというわけです。

あとは出口の問題。エリート教育の目的はなにか?国家の指導者を養成するのであれば、当然、その学校は国家が経営するのが筋でしょう。だから国立にして、税金を惜しみなく投入し授業料を軽減免除すべき。学部によって目的は異なりますね。たとえば法学部なら官僚・国家公務員・裁判官・弁護士・政治家養成が一番の目的でしょうが、ひとつの大学に権力を集中させてろくなことはありません。いくつかの大学にエリートコースを設けてあげるのがいいかもしれません。医学部や工学部のようなところでは、権力をもたせると金銭癒着などろくなことはありません。いまのように多くの大学に科研費を分散するのではなく、少数の選ばれし大学に、ただただふんだんに科研費を使わせてあげてください。基礎系研究はすぐには役立ちませんが、100年後の子孫のための投資と考えて、応用系研究並みの待遇にしてください。最先端のテクノロジーを純粋に研究できるような体制作りが一番大切でしょう。

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2012年8月17日 (金)

蘭通詞と唐通事

〈通訳〉たちの幕末維新

〈通訳〉たちの幕末維新
著者:木村直樹
価格:2,940円(税込、送料込)
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1639年、ポルトガルとの国交を断絶した幕府は、1641年、平戸のオランダ人を、ポルトガル人居留地として作った出島に移しました。とはいえ、ポルトガルとの付き合いが長かったため、ポルトガル語しか通詞たちはしゃべれません。おまけにオランダ人商館長(カピタン)も1年おきに交替させられ、日本語を覚える余裕すらなくなりました。17世紀末の元禄時代になっても、蘭通詞たちのオランダ語はチンプンカンプン。オランダ人のふりをして来日したドイツ人医師ケンペルは見るに見かねて、オランダ語の特訓を今村英生をはじめとする通詞たちに施しました。

1700年ころ、徳川吉宗は西洋好きで、青木昆陽をはじめ、蘭学を奨励しました。このころにはようやく、まともな通商をオランダ人と交わすことができるようになっていたそうです。吉宗の米経済から田沼意次の貨幣経済に移行すると、ますます町人文化が栄え、蘭学もさかんになりました。天明の大飢饉で米を軽視した田沼意次が失脚すると、松平定信の寛政の改革となります。いわゆる緊縮財政で、派手好き尾張藩の徳川宗春が失脚し、オランダ正月など派手なサロンを長崎に築いた吉雄耕牛が徹底的に弾圧されました。

杉田玄白の「解体新書」も、林子平の「海国兵談」も、吉雄耕牛が訳しました。平賀源内にエレキテルを教えたのも吉雄耕牛。芝蘭堂・大槻玄沢が江戸で開いたオランダ正月は、吉雄耕牛からパクッたもの。

1793年ラックスマン来日、1804年レザノフ来日などさかんにロシア人来航が相次ぎますと、高田屋嘉兵衛、ゴロウニンから馬場佐十郎がロシア語を習得。幕府は長崎から蘭通詞レンタルをやめたいと思い、馬場佐十郎に幕閣としての活躍を期待しましたが、早逝してしまいました。幕府は仕方なく、長崎・蘭通詞の登用・レンタルを続けることになります。

1828年シーボルト事件で、樺太情報流出に関する間宮林蔵の密告で、多くの優秀な長崎・蘭通詞が処罰されました。ペリー来航以来、条約締結のため、幕府は優秀な蘭通詞を登用。佐賀藩や薩摩藩も西洋文化を独自に吸収すべく、蘭通詞を藩士として登用しました。アメリカ・ロシア・フランス・イギリス・プロイセン・オランダと条約を締結交渉するのに通詞不足が深刻になりました。さらに使節団を外国に送るにも通詞を伴いましたので。

そこで隙間をうめるように登場したのが唐通事。アヘン戦争に負けた清国は欧米列強と交渉するために外国語を勉強しており、外国語を話せる中国人の話す言葉を、唐通事が翻訳するというルートができました。木村蒹葭堂は中華好きで唐通事と交流が深く、大坂に有名な文化サロンを築きました。

第1派閥 蘭通詞

第2派閥 唐通事

第3派閥 蘭学者

この三つ巴の権力争いが展開されましたが、結局、明治以降、蘭通詞は負けて、大学教授に多くの蘭学者や唐通事が抜擢されました。蘭通詞は民間会社に埋もれていったそうです。

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原発耐震補強が順調に進行中

中部電力の浜岡原発の、耐震補強工事が順調に進んでいるようです。マスゴミは一切報道しませんね。大政翼賛会(=社会主義者)による報道規制が行われていることに、多くの人がはやく気づかねばなりません。

http://www.youtube.com/watch?v=9F6_nfM2A00

日銀法改正、デフレ増税即時撤廃、耐震補強工事など公共事業拡大(列島強靭化政策)、名目GDP促進、景気回復後の増税、防衛費1%枠の即時撤廃、(無毒の)兵糧自国生産を奨励し自給依存率促進、隣国干渉を受けない客観的史実に基づく、正しい歴史教科書の編纂とその教育、社会主義者起草の日本国憲法即時撤廃、防衛軍復興、陸軍士官学校・海軍兵学校復興。

この順番で、真の復興を急がないといけません。日本経済が復活すれば、困るのは隣国であって、彼らの体制は根底からゆらぐでしょう。

右傾化=軍国主義の復活と考え、憲法はもちろん、なにも変えずに待ちたい、オメデタイ日本人への警告です(↓)

http://www.youtube.com/watch?v=9vnWpklSB7c

http://www.youtube.com/watch?NR=1&v=tQkCbMDPNkU&feature=endscreen

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2012年8月16日 (木)

伊丹市立美術館「パディントンベア展」、伊丹市立博物館を訪ねて

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私自身、あまり思い入れがなかったのですが、パディントンベア展に行ってきました。イギリス・ロンドンのジェントルマン思想が表れているキャラクター人形だなと思いました。

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歴史好きな私としては、となりの博物館で勉強になりました。大阪両替商といえば、鴻池。鴻池とは実は伊丹の地名であって、氏名(うじな)ではありませんでした。

ときは戦国、尼子氏の家臣・山中鹿之助の長男・新六(幸元)が敗れ、伊丹市北部の鴻池に住んでいた親戚に身を寄せました。山中新六は1599年、清酒の醸造法を発明し、酒造りに本格的に乗り出しました。伊丹は伏見と並ぶ酒造のメッカでした。ちなみに酒の消毒法を発明したのは、奈良・興福寺の坊さんたちです。

洗米 → 蒸米 → 麹(こうじ)仕込 → 酛(もと)仕込 → 醪(もろみ)仕込 → しぼり → 滓(おり)引き・火入れ

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伊丹の昆陽(こや)は、平清盛が福原の前に遷都を考えた地でした。さらに足利尊氏が後醍醐天皇に勝利し擁立した光明天皇も昆陽に遷都しようとしたそうです。京都御所と深い関係があり、近衛家が代々伊丹を治めてきました。

山中新六は酒造りに欠かせない米づくりのための新田を東大阪につくり、鴻池と改名し、これが鴻池家のはじまりとなりました。伊丹の酒は、麹を惜しみなくふんだんに使い、深い香りと味わいの銘酒「剣菱」でした。樽廻船に積み込んで、江戸へ大量に酒を輸出し、伊丹は江戸からたくさん貨幣が集まる、活気ある街になりました。樽は奈良吉野杉でできており、2週間かけて上方から江戸へ運ばれるあいだに、樽の得も言われぬ香りが酒に染みついたそうです。うまい伊丹の酒のことを「下り酒」、うまくない酒のことを「(上方から)下らない酒」と呼び、「くだらない」の語源となりました。美食家ぞろいの江戸っ子のベロをうならせたようです。

金と酒があれば、あとは歌でしょう!そう、俳句がさかんに伊丹で詠まれ、幕末には頼山陽も足繁く伊丹に通ったそうです。

芭蕉と並び称せられる最も有名な人は、鬼貫(おにつら)です。「鬼貫=醜い貫之」とへりくだった俳号でした。酒造家、油屋の息子でした。

小男牛(さおうし)の 声きく時ぞ 梅紅葉

咲くからに 見るからに花の 散るからに

桜咲くころ 鳥足二本 馬四本

おもしろさ 急にハ見えぬ すすきかな

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2012年8月14日 (火)

奈良国立博物館「頼朝と重源」をみて

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奈良国立博物館に行ってきました。平清盛の五男・重衡によって、源氏方についた東大寺と興福寺が焼き討ちにあいました。興福寺の僧が重衡を佐保川で斬首。平家ってこんな悪いやつなんだぞという宣伝のために、東大寺再建に燃えた源頼朝。平清盛との蜜月もどこへやら、なにかありましたとばかりの後白河法皇。大仏開眼までは死んでも死にきれない、執念の後白河法皇。

東大寺大勧進とは、東大寺復興のための最高責任者です。初代大勧進に念仏に目覚めつつあった法然に白羽の矢が立ちました。しかし顕教・密教何でもござれ、オールラウンドプレイヤーの大秀才・法然は、奈良仏教と念仏仏教が相容れないことを悟り、辞退しました。そこで推薦されたのが重源でした。

いざ大仏再建となると、材木不足、人夫不足がひどくまったく計画は進みません。そこへ後白河法皇が院宣を発布して、法皇領に協力を要請。源頼朝も御家人に労働を命じました。となりの興福寺にも協力を要請。

初代大勧進 重源

2代大勧進 栄西

3代大勧進 行勇

僧の留学の際の友人であった重源と栄西でした。臨済宗・栄西が宋から持ち帰った菩提樹(シイノキ)を重源に譲り、重源はその菩提樹で数珠を作って愛用していたそうです。これこそ二人の熱い友情の証拠ですね。

運慶・快慶の仏像、とくに快慶作の阿弥陀仏像・地蔵菩薩像は見ものです。後白河法皇・重源・頼朝・栄西・行勇の木造は必見です。栄西はひとの良さが表情に表れており、他人を叱るような人にはまったくみえない人でしたね。イメージが変わりました。たれ目の頼朝は凛としたいかめしさが全くなく笑えましたが、晩年像らしいので仕方ないかな。

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品詞論と文章論

日本人が外国語を学ぶとき、最短にして簡明な方法は、品詞論と文章論を学ぶことであろう。語学のモーツァルト・天才通詞、馬場佐十郎が、苦心の末あみ出した外国語勉強法です。

ジョン万次郎ではダメだ。森山栄之助でなければならない。

ときの名大老・名老中たちのことばです。

ともに幕末英語の二大大家でした。しかし、ジョン万次郎は、英会話は森山以上にべらべらでしたが、日本の伝統・歴史・文化への深い理解、つまり教養に欠けており、これが「敵を呑む」外国文化の深い理解の障害となっていました。日米和親条約、日米修好通商条約をはじめ、あらゆる外交場面の先頭に立ったのは、深い教養を有していた森山栄之助でした。

まずは日本の勉強から。

幕末の外交官森山栄之助

幕末の外交官森山栄之助
著者:江越弘人
価格:1,890円(税込、送料込)
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オランダ語 

 吉雄耕牛・志筑忠雄・本木良永

 本木庄左衛門・楢林栄左衛門・吉雄権之助・馬場為八郎

ロシア語

 馬場佐十郎

英語

 森山栄之助・堀達之助・名村五八郎

 福地源一郎・立広作・塩田三郎・西吉十郎・平井義十郎

中国語

 太田源三郎・何礼之助・平井義十郎

フランス語

 塩田三郎・立広作

プロイセンとの外交は、プロイセン国との条約以外に、関税同盟との条約を迫られたために難航し、オランダ語より難解な単語が多かったドイツ語の専門家育成には、関口存男を待たねばなりませんでした。これはぜひ知っておきましょう。

漢文

 頼山陽・森田節斎・山片蟠桃

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2012年8月12日 (日)

なら燈花会part2

翌日金曜は、浮見堂から東大寺・三月堂、二月堂へ行ってきました。

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大仏に移動。

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ひと気のない三月堂です。

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二月堂からみる夜景がきれいでした。

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2012年8月10日 (金)

なら燈花会

保守主義とは、ふつうに働く人があたりまえの生活を送るために、みんなから集めたお金の使い道を、みんなで議論しながら自由自在、適材適所に決めていく政治経済のこと。

社会主義とは、貧困層に富裕層の財産を分け与えるふりをしながら、少数のエリートがリッチな生活を送るために、みんなから強制的暴力的に巻き上げたお金の使い道を、少数のエリートが独断的に決めていく政治経済のこと。

日本は67年前の敗戦以来、社会主義体制下に入っていますから、働けど働けど楽にならざるわけです。自由主義体制下のまちがい?どこに自由があるでしょうか?

悠久の歴史、古墳や神社仏閣やお坊さんとともに奈良に住んでいますと、そんな霞が関がバカバカしくみえてくるものです。

明治維新は、江戸市民をはじめ、マナーのいい賢い国民を守るために、多くの若き志士が死にました。

日清・日露・大東亜戦争も、マナーのいい賢い国民を守るためはもちろんのこと、白人に苦しめられているアジア人を救うために、多くの兵士が死にました。

ではいま、何を守るために戦いますか?

そう、この国は終わっているのです。

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2012年8月 8日 (水)

ビール ベスト3

まずは独断と偏見のランキング、マイベスト3から。

http://www.youtube.com/watch?v=v81YoiKt6n0&feature=related

第1位 アサヒ ザ・マスター

第2位 キリン 一番搾り

第3位 サントリー ザ・プレミアム・モルツ

Wir trinken das schäumende Bier

und scheißen dem Wirt auf die Theke.

Schenket ein, schenket ein, schenket ein!

Wir wollen alle besoffen sein.

泡だらけのビールをよこしやがった!

カウンターのマスター、くそ食らえだ!

ビールをつぎなおせ、つぎなおせ、つぎなおせ!

俺たちはみんなベロンベロンに酔っ払いたいんだ!

http://www.youtube.com/watch?v=KcNxgCHaiA0&feature=related

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2012年8月 7日 (火)

笑えましたね

今回の対談も笑えました。ユーロ危機ごときでは、弱肉強食を乗り越えてきたヨーロッパが崩壊するわけはありませんよね。どの国家が破産してもユーロに加盟し続ける限り、2年で自然に回復するのですね。日本もどんと来いで構えていればいいのでは。

http://www.youtube.com/watch?v=T6HXt-HZHyE

AJERの狭い放送局を、楠木正成の赤坂城に喩えていたんですね。本来、反幕の後醍醐天皇を取り締まるべき、鎌倉幕府の出先機関・六波羅探題が参議院ですか。楠木正成があらゆる知恵を振り絞って、500人の超少数の兵で絶対多数の鎌倉幕府軍相手に勤皇ゲリラをやっているのですね。格下の幕府機関・六波羅探題が鎌倉幕府を裏切って後醍醐天皇に味方すれば、1日で幕府は倒れる、つまり参議院が寝返って増税案に反対すれば、大政翼賛会の現政権は倒れ、デフレ増税は雲散霧消となるのですね。

銀・銅メダルラッシュの裏で、もうすぐ経済の金メダルをとる日本。前祝いしておきますね。NFκBデコイ砲発進!

鞍馬天狗 「杉作、ニッポンの夜明けは近いぞ。」

http://www.youtube.com/watch?v=Q2nnnFW1no4&feature=rおelated

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2012年8月 6日 (月)

皆生温泉、大山を訪ねて

中国自動車道、米子自動車道の鳥取ドライブ旅行に行ってきました。アワビはデカくてコリコリとした歯ごたえがあり、岩牡蠣はとてもクリーミーでした。

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目の前の海水浴場で恒例の花火大会です。

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ホテルの部屋から見た早朝の日本海は、青色がきれいでした。

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大山をバックにした大山自然歴史館です。ブナの木1本で、8トンの水を貯えられるそうです。25mプール2個分の水だそうです。大山は、おそらく卑弥呼が伝えた道教が起源の修験道の信仰対象でした。平安時代に比叡山・天台宗の御領となり、長く大山領として治外法権が認められていましたが、江戸時代明暦年間に鳥取藩に接収されました。

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大山そばです。海老、山菜、海苔をトッピングとしたぶっかけそばでした。

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メインの通りから見る海の景色はまた格別です。

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米子自動車道からみた大山です。
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蒜山SAからみた大山です。
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2012年8月 3日 (金)

長岡まつり 大花火大会 on USTREAM

大花火の交響曲を生中継で見ることができました。金さん銀さんも絶賛したとかで、金さん花火、銀さん花火ってあるんですね。すごいね、河井継之助の長岡。

尺玉、昇り竜、八重芯・・・・・、解説もナイスでした。

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2012年8月 2日 (木)

知の対談 「保守とはなにか」

白川方明・日銀総裁を「後白河法皇」ならぬ「治天の君」と称せられたのにも笑えましたが、最高の知の対談が実現しました。これで戦後の総括が完成したようですね。

http://www.youtube.com/watch?v=YyTxO5gaVIU

私には、三橋貴明氏が平成の由利公正、倉山満氏が平成の吉田松蔭にみえてきました。

第1部 シャトーブリアン vs  フランス革命・共和主義者

第2部 マルクス・レーニン主義に毒された帝大生

     山縣有朋 vs アメリカ共産党

第3部 夏目漱石 vs  イギリス人「Sense of self」

反原発の空気は、昔、公害がすべて悪とした空気と同じだというご指摘は、すばらしく透徹な眼だと思います。エリート養成学校では、武士の切腹を講義実習すべきだというご提案は感心しました。

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