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2012年5月10日 (木)

ゲーテ Goethe

結局つまるところ、世の中すべて人間性の問題ではないのか。

ゲーテを読んでみたくなりました。まずは概説から。NHK講座でよくお見かけした小塩節(おしお たかし)先生の著書を読みました。

愛の詩人・ゲ-テ

愛の詩人・ゲ-テ
著者:小塩節
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名バイオリニスト 石川静さんの演奏で、フランツ・ベンダーを聞きながら

http://www.youtube.com/watch?v=4vPj72unNF0&feature=relmfu

ヴァイマール(Weimar、ワイマール)公国というとても小さな国がありました。2大詩人ゲーテとシラーが治めた国です。プロイセン・フリードリヒ大王の妹の娘、アンナ・アマーリアがとても文芸に造詣が深く賢明な公妃で、多くの批判を退けてゲーテとシラーを抜擢しました。日本国憲法第25条の生存権を初めて唱えたワイマール憲法で、よく知られています。

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1749年、ゲーテは自由都市(皇帝直轄地)フランクフルトの裕福な家庭に生まれます。物心ついてから、多くの真剣な恋愛にふけります。16歳でライプツィヒ大学法学部に進学しますが、健康的にすぐれず。アンナ・カターリナに恋。20歳のとき、アルザスロレーヌ地方にある仏領ストラスブールにあったシュトラースブルク大学に進学。フリーデリーケ・ブリオンと知り合い、恋仲になりますが、ゲーテのほうからふってしまい、フランクフルトに帰還してしまいます。そのことがゲーテの心に大きく重荷としてのしかかり続けたそうです。名詩「野ばら」はその体験から生れました。

22歳で弁護士会業の免許を手にしたゲーテは、ヴェッツラーの最高裁判所に研修に出かけます。そこで人妻シャルロッテ・ブッフに猛烈に恋したが断念し、のちに「若きウェルテルの悩み」を著作する。

26歳でリリー・シェーネマンと婚約したが、婚約破棄。フランクフルトでの安定的な生活を捨て、イタリア留学の話も断り、ザクセン・ワイマルのカール・アウグスト公の招きを受け入れ、ワイマルへ出かけ、一生を過ごした。ここでシャルロッテ・フォン・シュタイン夫人に恋する。教養あふれるシュタイン夫人の魂の中に、冷ややかな知的概念ではない、活き活きした人間性を見出そうとした。

しかし、「ファウスト」のグレートヒェンを通して、最後にこう結論付ける。

教養や学問、知識などが人間の価値を決めるのではない。どんな困難や汚辱のなかにあっても、うしなわれることのない魂の美しさというものがあると。

フランス革命の乱痴気騒ぎも、ナポレオンの征服も、対仏大同盟という愚かなナショナリズムも、ヴァイマール公国は静かに乗り越えていった。人間が人間らしい落ち着きを取り戻すことができる人間性をもち、外国から常に尊敬のまなざしを浴び続けることが、ひ弱なようでいて遅いようでいて、実は確実な自己防衛なのかもしれない。

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