« 佐保川の桜はいま満開 | トップページ | アーカイブ(archive)の重要性 »

2012年4月17日 (火)

蘇った東洋史

中国という国家はロシアと国境問題でもめた清朝末期まで存在しなかった。しかも明治期の日本の影響を多大に受けて、国民意識を芽生えさせた。現代中国語のほとんどが日本製であり、蘭学者・志筑忠雄や洋学者・西周らの貢献が多大であった。漢人による漢民族文化というものは、魏・呉・蜀の三国時代にすでに存在せず、北方異民族に憧れ、漢人は北方の胡人に順応していった。だから、中国人は漢字を読めず、理解できない

読む年表中国の歴史

読む年表中国の歴史
著者:岡田英弘
価格:1,600円(税込、送料込)
楽天ブックスで詳細を見る

驚きの事実を少し羅列してみたい。

中国最初の夏王朝は南方異民族・タイ人がつくった国家であった。古代国家の構成員は国民意識がなく、商売の利益を共にする一種の会社組織であった。儒教・道教など諸子百家は、漢人を侵略した異民族が漢字を勉強するためのテキストであった。秦の始皇帝は、その漢字テキストによる弊害を除くため、焚書坑儒を行ったに過ぎない。漢字テキストは依然として必要であった。天命を受けた者しか建国できないという思想のため、歴史を都合よく改ざんしてもOKであった。中国国民党・反共の台湾や、五族協和・反共の満洲国の存在を認めないのはそういった理由。北方異民族のアルタイ語族系の影響が強く、夏王朝の発音が完全に失われ、隋の統一後、鮮卑人の陸法言が字典「切韻」を著し、新たな中国構成員に対し漢字の発音や意味の学習をしやすくした。共通語であった漢字の概念は古代のままであり、勉強するとは新たな概念や語句を作成することではなく、古代中国の漢字をもとの姿に復活することに他ならなかった。したがって、知識学問の進歩は見込めない。科挙は古文を丸暗記するだけ。

宋が契丹の遼に負けて、南方に逃げて南宋になったころから、劣等意識から中華思想が生まれた。朝鮮の高麗の王族は、元のモンゴル族と混血を重ね、元寇をモンゴルに進言するまで同一化していた。元のフビライ汗が横書きのウィグル文字を縦書きに改良し、パクパ文字をつくった。李氏朝鮮の世宗はパクパ文字をさらに改良して、ハングルをつくった。

清の第1公用語は満洲語、第2公用語はモンゴル語、第3公用語は漢語。満洲族はモンゴル人と手を結んで清を治めていた。満洲族の風習である辮髪を漢民族に押し付け、辮髪を拒否すれば斬首された。現在、中国文化の代表となったチャイナドレスは満洲族の文化であり、当初、漢民族がチャイナドレスを着ることは許されなかった。清の半ばにして、満洲族はモンゴル族と手を切り、漢民族と和解に至り、やっと漢民族はチャイナドレスを着ることが許された。モンゴル族は満洲族を今でも恨みに思っているとか。

南朝に朝貢外交を展開した倭は、中原が北朝(北方異民族)に支配されると、朝貢外交から対等外交へ切り替え、条里・内裏・朝堂・鴻臚館を備えた京をつくり律令制を整備し、国名を日本と改めた。

満洲国(マンチュリア) 国歌

http://www.youtube.com/watch?v=LbxsVhBLRVU&feature=related

満洲里小唄  by ジャイアント馬場氏

http://www.youtube.com/watch?v=NxDsV4mw6Jo&feature=related

|

« 佐保川の桜はいま満開 | トップページ | アーカイブ(archive)の重要性 »