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2012年2月29日 (水)

えっ、昭和大恐慌はインフレじゃないの?

昭和4年(1929年)の世界大恐慌は、山川日本史や山川世界史の教科書の書き方をみて、高校生の時からずっとインフレ不況とばかり思っていました。第一次世界大戦敗戦国ドイツの段ボール箱いっぱいの札束の写真をみて、てっきり。

ブロック経済、金本位制に世界各国が切り替えて、貨幣を回収しすぎたために、デフレが起こっていたんですね。

デフレ:貨幣が足りない    商品価値 < 貨幣価値

インフレ:貨幣が余っている  商品価値 > 貨幣価値

デフレ大恐慌から世界で最初に脱出成功したのは、日本だそうです。高橋是清大蔵大臣が救国の士でした。

ちなみにわたしは日本史が大キライです。正しい国づくりを考えるためには仕方なくチビチビ勉強しています。まちがったことを山川日本史で教わるくらいなら、いっそ日本史は勉強しないほうが正解かもしれません。

軍部のコミンテルン分子(=レーニンから得た資金で経営した桜会)が5.15事件や2.26事件を引き起こし、コミンテルンが中華民国との紛争を深刻化させ、コミンテルンが偽のハルノートをつきつけて日米戦争がおっぱじまり、「欲しがりません、勝つまでは」やモンペや竹やり国民学校や英語禁止といった社会主義政策を戦時下に打ち出したのも偽装右翼コミンテルンであり、日本を一時占領したGHQメンバーがコミンテルンであって、コミンテルンが日本国憲法を起草したことは、しっかりおさえておきましょう。

http://www.youtube.com/watch?v=YY-d8j8g_bc

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ここいらが縁の切れ目かな

河村市長の南京事件発言が話題になっています。そもそも南京事件とは、蒋介石の中国国民党との騒乱ということですか。宣戦布告していないので日中戦争ではありませんね。中国国民党軍人が一般人の格好をしたため、日本軍が一般市民に発砲したと、中国共産党が騒いでいる事件。もともと反共という同一の目標をもって、蒋介石と仲良くやっていたのに、中共の陰謀策で仲たがいしてしまって起きた事件のことですね。日本側の主犯とされた方は東京裁判で有罪とされ絞首刑になっています。

盧溝橋事件以降の、コミンテルンや中国共産党の一連の動きをみても、河村市長を支持します。東京裁判史観や自虐史観からただちに脱却して、(占領)日本国憲法を改憲し、中共がマスコミや政府官公庁に仕掛けた鎖から日本がはやく解き放たれ、真の独立を実現することを願っています。明治維新いまだ成らず。

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2012年2月24日 (金)

なんだかなあ

上念司先生と倉山満先生のすばらしい対談です。

http://www.youtube.com/watch?v=SHeGmUsd8fw&feature=related

「アメリカ軍と本土決戦」の意味って、「(赤軍とともに)アメリカ軍と本土決戦」 とは・・・・・

(  )が省略されているなんて、日本とはなんという国なのか。

焦土と化した日本国土をスターリンが労せず奪い取り、男はシベリアに狩り出され、私たちのパパはロシア兵になっていたかもしれません。

「仮面の戦争屋」近衛文麿首相も藤原氏末裔のなれの果てだ。

軍部の暴走で平和主義の文官を銃で威圧して戦争を起こしただって?軍部なんてものは陸海軍の総称に過ぎず実体がなく、陸軍も海軍も、予算編成の権限を握っていた大蔵省主計局と、予算案の拒否権を握っていた衆議院にこびへつらっていました。ロシアを仮想敵国とした陸軍、アメリカを仮想敵国とした海軍。ともに戦争をする気はさらさらなく、仮想敵国を挙げて予算を取ることに専念していたにすぎません。そのあとは陸軍や海軍に予算おこぼれ頂戴式で金魚の糞のように群がる企業たち。コミンテルンが起こした盧溝橋事件も日中で和解が成立していたのに、蒋介石率いる国民党との戦争をたきつけたのは、内閣総理大臣であったコミンテルン・近衛文麿でした。そのあとは戦争をあおるマスコミの報道合戦。

これっていまの日本となんら変わりませんね。

あと、ハプスブルク皇帝の末裔も社会主義にかぶれましたね。

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九州王朝の末裔

九州王朝末裔でヤフー検索かけましたら、稲員家にヒットしました。へえ、「いなかず」と読むのですね。福岡県八女市にお住いの稲員家のご先祖が高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)。

高良大社も近々参拝したいと思います。高良玉垂命の玉とは、「竹取物語」=「筑紫取り物語」に出てくるかぐや姫が所望した竜の5つの玉のことか。つまり九州王朝の正統皇帝であることを示す神器のこと。

大宝の改新の時、天武天皇の忠臣・中納言・大伴御行(おおとものみゆき)がこの神器を奪いに行って、騙されて失敗。今度は藤原不比等が九州王朝皇帝末裔のところまで取りに行って、見事玉を奪い取り、文武天皇に寄進したといううわさの玉。

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2012年2月22日 (水)

懐かしの村田英雄

明日は東京に出てゆくからは なにがなんでも勝たねばならぬ

「王将」

http://www.youtube.com/watch?v=jKlkVxIN-W4&feature=related

無法一代涙を捨てて 度胸千両で生きる身の

「無法松の一生」

http://www.youtube.com/watch?v=QxUN0zDiKQM

戦時中につくられた映画「無法松の一生」を見ていない方は一度は見ておくほうがいいと思います。無声映画からトーキー映画に移ったとき、悪声を克服した阪東妻三郎と、原爆に被曝して「髪がぬける、ぬける。」と言いながら若くしてなくなった、美しき園井恵子が主演です。

阪田三吉、松五郎、どちらも男心に男が惚れる、かっこいい生き方だと思います。

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2012年2月19日 (日)

官僚免許更新制度

少しまえ、医師に5年ごとに免許更新試験を課すべきだという世論が燃えかけました。いそがしい日常診療の合間をみて5年ごとに筆記試験準備を迫られるという非効率・不合理な制度でしたし、臨床経験は試験では測りがたく、偉くなるための論文に忙しい試験審査官自体の臨床力が受験生に比べトホホなために、お話が流れました。

そのノリで教職員免許更新制度はスタートさせましたが、ほんとうに必要なのは、官僚に免許制度を導入して、5年ごとに国民が直接投票で審査するという官僚免許更新制度ではないでしょうか?日本のために働かず、国益をそいでいる外国スパイと考えざるを得ない官僚をピックアップし省庁から排除する目的です。明治維新以降、どれだけの売国官僚・御用官僚が日本をだめにしてきたことか。

たとえばこんな感じ?

受験対象 各省庁の事務次官および内閣大臣・副大臣

出題採点官 国民投票で選ばれた有識者30名

試験日 7月31日 100点満点中60点を合格とし、追試験は8月31日に行う。

試験時間 11:00開始、14:00終了

試験会場 日比谷高校校舎 テレビ生中継あり。

試験科目 

1.小論文(70点)

「震災復興をどのようにすればいいと考えるか」「憲法改正問題をどう考えるか」「デフレ増税をどう考えるか」「国旗掲揚、国歌斉唱をどう考えるか」「北方領土、尖閣諸島問題をどう考えるか」「拉致問題をどう解決すべきか」といった時事問題をテーマとする。

2.憲法・法律・経済・政治・歴史の一般常識問題(30点)

採点会議及び答案は一般公開を原則とする。

国会を試験会場にするのは税金の無駄かな。

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2012年2月17日 (金)

大宝改新

なんだか新益京(あらましきょう)=藤原京末期の政権争いが、なんとなくおぼろげにつかめてきた感じです。

皇帝を樹立した倭国=九州王朝があまりにも外交を手広くやっていたために、唐からも新羅からも、正統国家としてなかなか認識してもらえなかった日本国。つまり天智天皇がめざした、近畿を宗主とする中央集権国家でしたが、遣唐使も倭国と日本国の合同チームだった可能性が強くなってきています。どちらが大使になるかでケンカもしました。802年、桓武天皇の御世、新羅王から(日本国ではなく)倭国に王子の人質が送られました。遣唐使の空海は、806年、(倭国に)着岸し、807年、わが国(日本国)に帰国しました。平安時代まで倭国と日本国の並立状態が続いていました。

皇帝 ≠ 神  つまり、皇帝 = 天の子ども = 人

天皇 = 神  つまり、天皇 = 天

二つの異なる統治形態国家の激しいぶつかり合いが、飛鳥・白鳳・奈良・平安時代と長年にわたり繰り広げられました。

663年、白村江の戦いで、百済王から全幅の信頼を得ていた九州王朝最後の皇帝、中皇命=那珂皇命(なかつすめらみこと)=中大兄が死去。近畿の葛城皇子=中大兄皇子が称制を敷く。

668年、近江京で中大兄皇子が即位を果たし、天智天皇と称する。

669年、盟友・中臣鎌足=藤原鎌足が天智天皇に死を賜る。即位を誡めた罪?

671年、天智天皇が死去し、近江京で天智の大友皇子が即位し、弘文天皇となる。

672年、那珂皇命の大皇弟である大海人皇子が近畿で挙兵。壬申の乱で弘文天皇に勝利し、飛鳥浄御原宮で即位。天武天皇と称する。志貴皇子は天武方につき、鎌足の次男・藤原不比等は田辺氏とともに天智方についた。

686年、天武天皇が死去し、高市皇子が飛鳥浄御原宮で即位。持統天皇と称する。

689年、天武の妻であった天智の娘、鵜野讃良(うののさらら)の期待の息子だった草壁皇子が死去。

694年、持統天皇が新羅王宮をモデルとした藤原京に遷都。天智の第7皇子だった志貴皇子の歌。采女らの 袖吹き返す 明日香風 都を遠み いたづらに吹く

697年、持統天皇が死去。鵜野讃良は称制を敷き、クーデタによって長屋王=長屋親王の即位を阻止する。草壁皇子のこどもである軽皇子が藤原京で即位し、文武天皇と称する。鵜野讃良は太上天皇として、文武の後見役となる。

699年、斉明天皇と天智天皇の復権を図るべく、御陵を建設する。「三国史記」新羅本紀では、西日本に流血を伴う反乱が相次ぐとある。

700年、薩摩隼人の大反乱。

701年、文武天皇が大宝律令を制定し、鵜野讃良が文章博士・山田史御方(やまだのふひとみかた)に九州王朝の歴史を抹殺するように指示。まさに大化の改新ならぬ、大宝の改新ではないだろうか? 唐を滅ぼした周の則天武后(690~705在位)が、日本国天皇を承認。天智が倭を廃し、新たに日本と命名した国が中国によって正式に承認されました。大海人皇子の里親であった凡海(おおしあま)氏が滅ぼされ、大伴御行が死去し、柿本人麻呂や大伴安麻呂が失脚した年であります。

左大臣 多治比嶋(たじひのしま)78歳、701年没。

右大臣 阿部御主人(あべのみうし)67歳、703年没。

大納言 石上麻呂(いそのかみのまろ)62歳、藤原不比等(ふじわらのふひと)44歳、紀麻呂(きのまろ)43歳が中納言から大納言に昇進。みな壬申の乱での天智側

中納言 大伴御行(おおとものみゆき)56歳、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)、大伴安麻呂(おおとものやすまろ)が死去あるいは左遷。中納言は一時廃位。みな壬申の乱での天武側

702年、評制の国造(くにのみやつこ)を郡制の郡司に格下げし、中央から地方に新たに任命した郡制の国司を派遣。

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704年、鵜野讃良が死去。皇族としてははじめて火葬される。

707年、文武天皇が死去。天智の娘、阿閇皇女(あへのひめみこ)が藤原京で即位し、元明天皇と称せられる。

710年、元明天皇が平城京に遷都。

715年、草壁皇子の娘、氷高皇女(ひたかのひめみこ)が元明から譲位され、平城京で即位。元正天皇と称せられる。

720年、藤原不比等が死去。

724年、天武系を自負する首皇子(おびとのみこ)が元正から譲位され、平城京で即位。聖武天皇と称せられる。

729年、長屋王が呪詛の嫌疑をかけられて、藤原氏に殺される。

740年、藤原広継による倭国の反乱。

749年、聖武の阿部内親王が譲位によって即位し、孝謙天皇となる。

752年、大仏開眼

756年、聖武天皇が死去。

758年、藤原仲麻呂の陰謀で、孝謙から譲位された大炊王が淳仁天皇となる。

759年、倭国を認め、日本国を認めない新羅に対し、仲麻呂は新羅討伐を計画したが、未遂に終わる。

760年、光明皇后が死去。

764年、仲麻呂の乱に連座した淳仁天皇が廃位され、淡路島へ流刑となる。孝謙天皇は重祚し、称徳天皇となる。

770年、称徳天皇の死去で、志貴皇子のこどもであった白壁王が平城京で即位し、光仁天皇を称する。天武の血が混じっていない天智系の完全復活であった。

772年、聖武天皇の長女・井上内親王(いがみないしんのう)、つまり天武系と、天智系・光仁天皇のあいだのこどもだった他戸親王(おさべしんのう)が、呪詛の嫌疑をかけられて、五條市に幽閉。

775年、他戸親王と井上内親王、親子が幽閉先で毒殺され、天武系の血は完全に抹殺された。

781年、光仁天皇の山部王(やまべおう)が、光仁に譲位され平城京で即位、桓武天皇になる。

784年、桓武天皇が長岡京に遷都。

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2012年2月16日 (木)

日本書紀は日中合作

すごい大作が出たものです。漢文原文に対する明哲な眼がすごいと思います。上には上がいるようで、江戸時代、懐徳堂の五井蘭洲は漢文の誤用のみならず、著者の文筆癖を見破っていました。

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681年、天武天皇は歴史書発行の詔勅を発布します。さっそく複数の日本人官僚は、草稿を書きます。拙い漢文力ゆえ、誤用はあるは、日本人癖はあるわ。日本人癖のことを倭習といいます。どれも朝鮮半島なまりが色濃く出ています。朝鮮半島にはいってきた中国漢文は、当時としては時代遅れ、いや流行遅れの骨董品でした。だから日本書紀研究には好都合なわけですね。草稿の著者の中には、663年白村江の戦いで滅んだ百済の亡命者や、668年に滅んだ高句麗の亡命者もたくさん含まれていたことでしょう。

データも集まったところで、いよいよ編纂にあたったのが、唐から来た音博士。続守言(しょくしゅげん)薩弘恪(さつこうかく)。中国人には日本の神話なんてわかりません。とりあえず、日本書紀全30巻のうち、第14巻(雄略紀)から本場正統派の中国漢文で、編纂を開始しました。日本人の書いた草稿文の中の、明らかに間違った表現は正しく添削し、妹(いも)は日本じゃ妻のことなんか、へぇ、これはまあ残しとこうという具合に、日本人癖がところどころに残りました。691年、ふたりは持統天皇から表彰されました。

中国人が書いた部分はα群と呼ばれ、続守言が第14~21巻を担当、薩弘恪が第24~27巻を担当。続守言は白村江の戦い(663年)で百済に捕らえられた唐人ゆえ、もう大年寄り。薩弘恪も結構なお年。第22、23巻(推古、舒明紀)は、続守言が死んでしまって未完成のままでした。第27巻(天智紀)も、720年、時の最高権力者、藤原不比等の臨終が差し迫っているため、天皇にできました!と報告する上撰を急ぎ、ずさんなつくりのまま。

699年、文武天皇は、壬申の乱(672年)で負けた側の斉明天皇・天智天皇の御陵を建設し、復権を図りました。701年、大宝律令を発布。続守言も死んでおり、薩弘恪も引退していたのでしょう。日本人の山田史御方(やまだのふひとみかた)を日本書紀編纂の責任者として召し上げました。彼は新羅の留学仏僧で、仏典お経なまりの漢文の使い手でした。渡来系かもしれないけど、一応日本人みたいです。彼の担当はβ群と呼ばれ、第30巻(持統紀)以外をすべて補筆しました。707年、大学教授お勤めご苦労さんの表彰。721年、漢文の日本人大家として表彰されました。といっても本場中国人にはかなわないし、倭習という日本人なまりはきついし、間違いだらけの文章を書いていたんですがね。第13巻(安康紀)を書く段になってさすがに疲れを感じたのか、もうここは続守言と薩弘恪が第14巻を書いている通りですわと簡単にスルーする始末。

仕上げはおかーあさん

NHKの赤ちゃんの歯磨きデビュー番組流に言えばこうかな。714年、政治色濃厚なあやしげな日本人がふたり登場。紀朝臣清人(きのあそんきよひと)が第30巻(持統紀)を担当。ずっと身分が低い三宅臣藤麻呂(みやけのおみふじまろ)が全体ところどころに加筆しました。倭習ふんぷんとした日本人なまりの漢文で。

第22巻(推古紀)では、聖徳太子の十七条憲法も三宅の加筆。第25巻(孝徳紀)だって三宅の修正跡が・・・・・。三宅、あやしいーぞぉ。

721年、藤原不比等の死後翌年、日本書紀が官僚の日本史教科書として制定されました。

真実の古代史が知りたいよー!!

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2012年2月10日 (金)

日本が置かれている現状

上念司先生と田中秀臣先生のすばらしい経済トークです。

http://www.youtube.com/watch?v=ir90ou6zUPI

拙い素人頭ですが、自分なりにまとめるとこうなりますか。

デフレ時:  紙幣価値 > 商品価値

インフレ時: 紙幣価値 < 商品価値

いま日本をむしばもうとしている三毒

1.現内閣でのTPP参加

2.デフレ不況下での復興増税

3.デフレ不況下での消費税増税

インフレ不況下に置かれた戦前内閣

日本銀行による国債買受&円紙幣増刷(=インフレをさらに悪化させる政策) → 軍事予算アップのためと言ってわざと増税する with マスコミの大宣伝 → 国民生活の困窮 → 戦争へ

社会主義者の唱えた産業合理化論 → 近衛文麿内閣の昭和研究会(コミンテルン) → ソ連の存在を忘れさせて日中戦争さらに日米開戦にまで誘導 → 北方四島をゲット

デフレ不況下に置かれた現内閣

日本銀行による円紙幣増刷断固拒否・赤字国債発行(=デフレをさらに悪化させる政策) → 社会福祉予算アップのためと言ってわざと増税する with マスコミの大宣伝 → 国民生活の困窮 → 戦争へ?or いきなり白旗?

日米安保反対論・○○の会の唱える地方分権論 → 中国の存在を忘れさせて日本の防衛力をそぎ、米国同盟軍を太平洋から撤退させる → 尖閣諸島をゲット

問題点

日本銀行に経済学博士号取得者がいない。

日本銀行は日本政府や財務省管轄から独立して、国民の総意で選ばれた内閣の言うことを聞かない。

日本銀行総裁は国民の選挙で選ばれていない。

日本銀行幹部は東京裁判史観(=日本のために働いたはずの軍部と東條英機が戦犯だ!アジアを解放したというのは大嘘で、日本はアジアを侵略した悪い奴だ!)を墨守する。

親分のFRB(米国中央銀行)ですら、日本銀行の方針を非難している。

近衛文麿の戦争責任

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近衛文麿がめざした日本国社会主義化革命

第一案 天皇制を廃止して、1922年に設立されたコミンテルン日本支部が非合法暴力革命を起こす。

第二案 天皇をレーニンと幻視して、天皇自身が直接政治にかかわり、社会主義革命を起こしていただく。

第三案 天皇を封じ込め無力化する内閣を合法的に作り、自由主義陣営の既存権威を破壊し、新たに社会主義革命を起こす。

第一案は皇室に弓矢をなす朝敵そのものであり、当初から頓挫挫折した。

第二案は5.15事件、2.26事件を起こしてめざしたが、昭和天皇みずからが陰謀を打ち砕かれた。

第三案は革命実行最適任者、近衛文麿の登場で、陸海軍のコミンテルン、米コミンテルン、スターリン、中国共産党、ソ連に寝返った中国国民党らと連携をとりながら、日本を敗戦革命に導き、日本国社会主義化の実現に成功し、現在にいたる。宗主国のソ連が滅亡したいま、中華人民共和国を宗主国と仰ぐ第二社会主義化革命が進行中。皇室危うし。

大正デモクラシー花咲いた1922年に立ち戻り、君民共治を掲げた明治維新のゴールテープを切るべきである。

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2012年2月 8日 (水)

新・平家物語

NHK大河ドラマ「平清盛」の時代考証はでたらめですね。見るのはやめにしました。ちなみにNHK「さかのぼり日本史」の講師で正しいのは、江戸時代担当の磯田道史先生だけです。特に、太平洋戦争がなぜ起きたかという解説者は、でたらめにもほどがあります。ソ連の「ソ」の字も、スターリンの「ス」の字も、近衛文麿の「こ」の字も出てきません。

昭和29年の大映映画「新・平家物語」をお口直しに見ることにしました。

http://www.youtube.com/watch?v=s3drSw6wV4s&feature=related

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2012年2月 7日 (火)

所感のツイッター

物理学は、競い合う二人の天才と、天才の言葉を理解する各々十人の聴衆がいれば十分だろう。おれの知らない世界で進歩していく。

ふだんは酒好きでどうしようもない男たちだが、国難になれば先頭に立つといわれる高知県人。いったいいつまで眠るのだろうか?もうすぐ幕が下りるというのに。

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