春日大社・初詣、そして運慶
BSジャパン「遥かなる運慶の極彩空間」を見ました。円成寺の大日如来像が、運慶最初の作だそうですが、幼くして父・康慶と同じレベルの仏像を刻んでいました。寄木造の大仏殿・四天王像のひとつ、運慶作・増長天をCGで復元していましたが、まったく見事でした。
寄木造は雛形を10倍に拡大できるし、作成時間を短縮できる利点があります。東大寺のあ・うん金剛力士立像も雛形を拡大して作っており、作成時間はわずか69日! 四天王像の雛形は、高野山の金剛峰寺に現存しており、四天王像の色彩は、木津川の海住山寺(かいじゅうせんじ)の五重塔に現存しているそうです。文献的には、同時代に生きた藤原定家「明月記」が証拠裏付けをしています。
平重衡が、源氏方についた東大寺を焼き討ちしましたが、源頼朝は平家討伐後直ちに東大寺再建に着手しました。運慶ら、新進気鋭の仏師が、頼朝や北条氏によって、武士の時代の訪れを民衆に宣伝広告する一翼を担っていたことを、はじめて学びました。大仏再建は、真言宗→浄土宗の重源が担当しました。
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