台風が近畿直撃かと思わせましたが、結局東にそれました。台風が来襲する前の、この連休に伊勢神宮を参拝してきました。二日とも晴天でした。近鉄特急で大和西大寺駅から出発し、近鉄伊勢市駅を下車しました。
お茶屋さんに荷物を200円で預けて、高価な箱詰なんか要らないので、むき出しの「せきや」のアワビをおみやげに買いました。これは絶品です!
徒歩10分で外宮(げくう)に到着。正式名は豊受大神宮(とようけだいじんぐう)。トヨウケは農業・産業の神様と言われているようですが、ホツマツタヱによれば、宮城県の多賀宮におられた神様のようです。
この鳥居から内側での写真撮影は厳禁です。神様には和御魂(にぎみたま)と荒御魂(あらみたま)の二つに分けられるようですが、三位一体ならぬ二位一体、つまり働きの違いに過ぎないということかもしれません。
多賀宮(たかのみや)には参拝の順番待ちの行列ができていてビックリ。豊受の荒御魂が鎮座しています。畏れ多くて、正面からの写真撮影は避けました。帰り際、林の間からみやしろを撮影しました。
土宮(つちのみや)を参拝。お賽銭のための100円玉をたくさん用意しておきましょう。祭神は大土乃御祖神(おおつちのみおやのかみ)です。
風宮(かぜのみや)を参拝。祭神は級長津彦命(しなつひこのみこと)と、級長戸辺命(しな とべのみこと) だそうです。元寇のときに神風を吹かせた神様です。
近鉄伊勢市駅にもどって、月夜見宮(つきよみのみや)を参拝。祭神は月読(つくよみ)の荒御魂です。ツクヨミはアマテラスの弟です。アマテラスが知名度抜群で、ツクヨミは謎多き神様です。
男神・伊弉諾(いざなぎ)と、女神・伊弉冉(いざなみ)のあいだに4人のこどもがいます。上から、蛭子姫(ひるこひめ)、天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読(つくよみ)、素戔嗚(すさのお)です。
片道410円の内宮行き、超満員の三重交通バスに乗って内宮(ないくう)へ行きました。道路も1本しかないので車で大渋滞でした。内宮の正式名は皇大神宮(こうたいじんぐう)です。祭神は天照大神です。
右側通行で、お手水の五十鈴川(いすずがわ)を渡ります。
16時くらいでしたが、参拝の順番待ちで長蛇の列でした。この先は写真撮影禁止でした。樹齢何百年の木があちこち生えていました。
右側通行で、五十鈴川をわたって1日目終了。
おかげ横丁をぶらぶら。450円のチーズ巻てんぶらが印象的でしたが、わたしはかまぼこ・ちくわが大きらいなので買いませんでした。250円のソフトクリームは、業務用のネタを機械に放り込んで作っていましたので、これもやめました。生ビール600円は高いぞ。
ホテルでアワビ、サザエ、伊勢エビを食べました。三重県といえば、これですね。
辛口・地酒の「三重の寒梅」、とろける松阪牛にも感動しました。
2日目はホテル送迎車で内宮へ直行しました。朝9時すぎに到着。300円のコインロッカーに荷物を預けました。
皇大神宮を参拝。昨日と比べて、午前中は人が少なくて助かりました。
荒祭宮(あらまつりのみや)を参拝。祭神は天照大神の荒御魂です。
五十鈴川駅経由の三重交通バス02系統で内宮から中村町を下車。月読宮(つきよみのみや)を参拝しました。
4つの神様が祭られています。まず奥から、伊弉冉を祭る伊佐奈弥宮(いざなみのみや)。
次に伊弉諾を祭る、伊佐奈岐宮(いざなぎのみや)。
次に月読を祭る、月讀宮(つきよみのみや)。
最後に月読の荒御魂を祭る、月讀荒御魂宮(つきよみのあらみたまのみや)。これで、伊勢神宮参拝を終え、近鉄五十鈴川駅から各駅停車で松阪駅下車。
本居宣長記念館に行きました。本居宣長の父は小津屋(木綿の豪商)を経営していましたが、42才で早世。一度に家が没落し、宣長は京都で漢方内科・小児科医の勉強をして松阪で開業しました。しかし、当時の松阪は医師過剰時代でして、お堅い性格の宣長は24時間コンビニ往診をして、あいまに趣味として神社の由来や大鏡や源氏物語などの古典を読みふけりました。自分は字が下手だと思い込み、大きな字を書くのがコンプレックスで恥ずかしかったらしく本名ではなくペンネームを用い、ノートはどれも小さな字で書かれています。
彼の趣味は鈴。彼の書斎は鈴屋(すずのや)と呼ばれています。国学者の道を志し、30才以上年上の賀茂真淵を師としましたが、一度しか会っておらず、あとは手紙でやりとりの通信教育。古事記伝、うい山ぶみ、玉勝間など国学者として名声を馳せました。明治天皇陛下や三井財閥から多くの献金があり、いまなお生家が文化財として保存されています。
宣長の書斎です。ここで必死に勉強をしたそうです。
宣長のカルテです。名前の下に、トウソウ(痘瘡)といった病名が書かれています。初診は名前の上に○印をつけています。長男・本居春庭(もとおりはるにわ)は没落家の悲しいさだめともいうべき行燈の光で猛勉したため、30才で失明。養子の本居大平(もとおりたいへい)が跡を継ぎました。大女優・原節子主演の松竹映画を数多くとった映画監督の小津安二郎は、本居宣長の子孫です。
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