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2011年7月19日 (火)

竹内街道歴史資料館、飛鳥資料館を訪ねて

昨日は、台風の風雨にめげず、湾岸線、阪和道路、南阪奈道路を通って、竹内街道歴史資料館に行ってきました。二上山のふもとに位置します。二上山は死火山で、縄文時代から石器の原料サヌカイトをたくさん産出しました。二上山の礫岩は古墳時代の石棺の原料として珍重されました。継体天皇の石棺も二上山の礫岩で作られていました。このあたりは、推古天皇陵、孝徳天皇陵、安閑天皇陵など、たくさんの御陵があります。竹内街道は「たけのうち・かいどう」と呼んで、推古天皇と聖徳太子の時代に作られた日本最初の官道です。推古天皇の御世に、6年かけて作られ、路面には石がきれいに敷き詰められていたそうです。初瀬街道(のちの横大路)とつながっており、難波の河内湖・湖畔と飛鳥の宮を結ぶ幹線道路でした。

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ここの見どころは、めすらしく完全な形をとどめている鶏の形象埴輪、あと日本に数個しか見つかっていない墓誌です。

聖徳太子の墓は、街道沿いの叡福寺に安置されています。母親の穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとひめみこ)、嫁の膳大娘(かしわでのおおいらつめ)と、3人いっしょに葬られています。聖徳太子はいないとか、二人だとかいう説が最近みられますが、この地に来ると、聖徳太子の存在を実感することができました。

孝徳天皇陵は円墳とされていますが、実は八角形の八角墳ではないかと言われています。天武天皇陵も八角墳ですし、ともに道教を信奉していたのでしょう。古墳壁画に描かれる天文学的知識は道教においてもっとも発達しました。最古の仏教寺である飛鳥寺は、(百済式ではなく)高句麗式の伽藍配置。高句麗は仏教より道教が盛んでした。

久しぶり飛鳥に寄って行こうと思い、飛鳥資料館に行きました。ここは蘇我氏の本拠地だったところ。向かいのレストランがつぶれ、道路は幅広く拡張され、一昔前の面影はなくなっていました。サイクリングで回っていたころの田舎びた明日香がなつかしく感じられます。

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キトラ古墳と、蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらやまだのいしかわまろ)ゆかりの山田寺の復元が展示されていました。ちょっと物足りなさを感じました。飛鳥古墳群展示の大部分は、畝傍御陵前駅下車すぐの橿原考古学研究所付属博物館にありますので、展示の充実さを重視される方はそちらに行かれるほうがいいと思います。

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わたしの好きな都の変遷図です。なんでこれを日本史の教科書に載せないのかわかりません。推古天皇の竹内街道、斉明天皇の亀形石造物。女帝は石を使った土木事業がお好きみたいです。

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