橿原考古学研究所附属博物館の特別陳列「埴輪のはじまり~大和の特殊器台とその背景」に、3月3日木曜日に再び勉強に行ってきました。基礎知識を改めてメモってきましたので公表したいと思います。
埴輪の前身は特殊壺と特殊器台というセットでした。もともと吉備で、銅鐸を叩きながら祭祀に用いられていたものが、五斗米道(道教異端派)を奉じた卑弥呼の生きた3世紀に大和に持ち込まれ、銅鐸は加熱後叩き割られ、もっぱら葬儀に特殊壺と特殊器台とが用いられるようになりました。大和で特殊壺と特殊器台が大量生産されるようになり、都月型と呼ばれる特殊器台形埴輪という移行期を経て、埴輪に進化しました。
3世紀では、円筒埴輪、朝顔形埴輪が主体で、ほかに珍しい形の埴輪として、壺形埴輪、楕円筒(だえんとう)埴輪、柵形(さくがた)埴輪がつくれました。朝顔形埴輪の朝顔は、特殊壺の二重口縁の名残です。楕円形を弥生人が認識していたのにはすごく興味が惹かれます。
4世紀になると、家形埴輪、靫形(ゆぎがた)埴輪、蓋形(きぬがさがた)埴輪、鰭付円筒(ひれつきえんとう)埴輪がつくられました。靫とは矢を納める袋です。今年2月24日、桜井市の茅原大墓(ちはらおおはか)古墳で、4世紀末日本最古の盾持ち人埴輪が公開されました。
5世紀になると、水鳥、鶏、馬、鹿、猪、武人、巫女、船といった形をまねた形象埴輪がつくられました。今年4月1日に大阪府高槻市の今城塚古墳(継体天皇陵)に「いましろ大王の杜」がニューオープンしますが、形象埴輪がたくさん出土しています。
特殊器台は次のように進化しました。
立坂(たてざか)型→向木見(むこうぎみ)型→宮山(みややま)型→都月(とつき)型
大阪府八尾市の 東郷遺跡は例外ですが、初期の立坂型と向木見型の二つは吉備にしか出土せず、大和には存在しません。ということは、吉備から大和に特殊壺・特殊器台文化が流入したことの傍証とされます。
見るポイントは大きく3つあります。
(1) 底部の脚部 だんだん退化してくる
(2) 透孔の形
(3) 弧帯文(こたいもん)の形態
(1)立坂型特殊器台
倉敷市 楯築(たてつき)墳丘墓
総社市 立坂墳丘墓
出雲市にもみられる。
特殊壺は焼成後に底部に孔をあけられるケースが多い。
立坂型特殊器台は次の二つに分類される。
連続型 弧帯文、レンズ型透孔
分割型 綾杉文(あやすぎもん)、斜線文、斜格子文、長方形透孔
(2)向木見型特殊器台
新見市 西江墳丘墓
三次市 矢谷(やだに)墳丘墓
特殊壺は焼成前に底部に孔をあけられる。
弧帯文の中に斜線文がある。曲線文様が左下から右上に向かう。
巴形と三角形の透孔
(3)宮山型特殊器台
総社市 宮山墳丘墓
桜井市 箸墓古墳
天理市 中山大塚古墳
数条の線刻によって弧帯文が表現されている。曲線文様が左下から右上に向かう。
(4)都月型特殊器台(特殊器台形埴輪)
岡山市 都月坂1号墳
桜井市 箸墓古墳
天理市 中山大塚古墳
数条の線刻によって弧帯文が表現されており、複数の斜線文によって区切られる。曲線文様が左上から右下に向かう。
巴形と三角形の透孔
都月型の特殊壺は、特殊壺形埴輪と呼ばれ、朝顔形で二重口縁壺である。
ここで代表的な初期の古墳を列挙します。
(1)八尾市 東郷遺跡
向木見型特殊器台が関西で唯一出土している。河内と吉備との交流があったことを示す。
(2)天理市 東殿塚(ひがしどのづか)古墳
鰭付楕円筒埴輪(長方形透孔)、円筒埴輪(正形透孔)、朝顔形埴輪(辺形透孔)が出土している。
(3)天理市 西殿塚(にしどのづか)古墳
円筒埴輪(半円形透孔)、宮山型特殊器台、都月型特殊器台が出土している。
(4)京都府向日市 元稲荷古墳
宮山型特殊器台、都月型特殊器台が出土している。
(5)天理市 行燈山(あんどんやま)古墳(崇神天皇陵か?)
楕円筒埴輪、形象埴輪、土師器、須恵器が出土している。
(6)天理市 渋谷向山(しぶだにむこうやま)古墳(景行天皇陵か?)
円筒埴輪、鰭付円筒埴輪、形象埴輪が出土している。
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