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2011年2月28日 (月)

亀岡市文化資料館を訪ねて

昨日は、今回で3度め、亀岡(江戸時代は亀山といいました)に行ってきました。ここは、石門心学で全国的に有名な石田梅岩と、漢方医・山脇東洋の生誕地です。前の2回は、むかし保津川下りをしにきたとき、嵐山からトロッコ電車に乗って亀岡に来ましたね。西宮から亀岡までは、名神高速を使うとかえって遠回りになります。京都市内の道路は日曜は渋滞してますし、川西能勢口から箕面の裏を通る、知る人ぞ知る国道423号線を走ることにしました。信号止めはほとんどなく、川西~亀岡間をざっと1時間で行けました。

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目指す石田梅岩のコーナーはどこだ?ほんのちょっぴりしか展示されていませんが、肖像画、実物の「都鄙問答(とひもんどう)」、「倹約斉家論」をこの目で見ました。「正直」「勤勉」「倹約」という3大徳目を説きました。商人だけでなく、武士や農民にも倹約を説き、倹約すれば困った人たちに余剰物資が回り、みんなが幸せになれると説きました。心学の教えは、たくさんの弟子たちによって全国に広まりました。現在のエコ、リサイクルに近い発想なので、石門心学は注目を浴びています。

儒学用語を一字一句講義する当時の常識とは異なり、自分の心の目(心眼)で字句の裏に秘められた意味を解するべきだとする心学の新説法は、多くの儒学者を怒らせました。

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山脇東洋コーナーはありませんでした。石田梅岩と山脇東洋の1冊500円の小冊子をおみやげに買って帰るくらい。まあ、人生、スカもありますわね。

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2011年2月25日 (金)

きらめく銀河スター;長崎蘭通詞たち

江戸時代半ばに、天動説を否定し地動説を信じるもの、また、なかなか地動説を信じられず、天動説を墨守したものは数多くあれど、万有引力を理解し、地動説の原理を完全に理解していた男がひとりいたことは驚きに値します。その名は、志筑忠雄(しづきただお)(1760~1806)。懐徳堂に天文学を教えた麻田剛立(あさだごうりゅう)(1734~1799)ですら地動説を原理から理解しておらず、心の底では、儒学の影響で地動説に疑いを挟んでいたようです。剛立はオランダ語を読めず、中国で漢訳された書で知識を得たそうです。

長崎蘭学の巨人

長崎蘭学の巨人
著者:松尾竜之介
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イタリア人神父フランシスコ・デ・ラーナが「空飛ぶ船」を考案。真空の気球を備え付ければ、空気の浮力を受けて船が空に浮くと予想しました。1783年、フランス人モンゴルフィエール兄弟が、気球船を飛ばすことに成功。ルイ16世、マリーアントワネットも注視するなか、ベルサイユ宮殿での実験飛行にも成功しました。1年後の1784年、日本に人類初飛行のビッグニュースが伝わりました。1789年フランス革命勃発。1793年国王夫妻が処刑死。フランスのまわりの国々は王制でしたので、共和制のフランス政府をつぶすべく戦争を仕掛けました。1794年、フランス義勇軍は国歌ラ・マルセイエイーズを歌いながら、気球を飛ばしてオランダ・オーストリア連合軍に圧倒勝利。フリーメイソン好みの「知の勝利、理性の勝利」といったところでしょう。オランダ国王がイギリスに亡命し、1795年、オランダは滅亡し、フランス支配下のバタビア共和国に変わりました。

日本貿易の拠点だった、オランダ植民地インドネシア(=バタビア)はイギリスに味方すべきか、フランスに味方すべきか議論が分かれてしまいます。そこで、第3国アメリカの船を借りて、日本貿易をだましだまし続けることになりました。オランダ本国からの珍品がバタビアに入ってこなくなり、江戸幕府はご機嫌斜め。

蘭通詞、吉雄幸左衛門(吉雄耕牛)(1724~1800)は自宅・成秀館でオランダ正月というサロンを開催していました。中野家から吉雄家に養子として居候していたのが、志筑忠雄でした。1787年田沼意次失脚後、松平定信による徹底的な倹約令が出て、1790年交易汚職事件が勃発し、幸左衛門らは蟄居を命ぜられます。謹慎処分が解けたあとには、豪華絢爛珍品満載の成秀館の面影はなにひとつなくなっていました。仕分けでサイエンスが滅ぶとはこのことです。

平賀源内(1728~1780)はまじめにオランダ語に取り組まず、いいとこ取りして江戸へ珍品を持って帰るだけの人物だったみたいで、通詞たちからは嫌われていました。大槻玄沢(1757~1827)も遊学しており、幸左衛門のオランダ正月を真似して、江戸で芝蘭堂を開きました。

「引力」「重力」「求心力」「遠心力」「真空」「楕円」「形容詞」「副詞」など、数多くの専門用語を作った偉人こそ、志筑忠雄でした。志筑忠雄は天才、馬場左十郎(1787~1822)に、品詞論と文章論に基づく本格的なセーウェル文法を教授しました。志筑は47歳の若さで死にましたが、佐十郎がロシアとの難解な交渉に乗り出すことになります。

1804年、ロシア人レザノフが長崎出島に来航。出島はオランダ人で満員でしたので、梅香崎のロシア人専用出島に待機させられました。その間、気球をあげて気晴らししていましたが、江戸から遠山金さんが来て、上陸拒否を告げることになります。

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2011年2月24日 (木)

古代祭祀

最近、岡山県がマイブームです。この春、岡山県立博物館へ特殊壺&特殊器台をこの目で見る予定です。特殊壺の底の穴は、土器を焼く前から粘土の段階で穴があけられています。ということは、この特殊壺はものを入れるための容器ではなく、お祭り専用のつぼだったのです。

岡山の郷土研究家・薬師寺慎一氏の古代祭祀説に興味を持ちました。古代日本では、聖なる山→「イワクラ」と呼ばれた巨岩→玄関にあたる「立石」が置かれ、のちに巨岩と立石のあいだに、神社本殿と鳥居が作られたそうです。聖なる山→イククラ→立石→泉の配置が、聖なる山or古墳→イワクラ→本殿→鳥居→立石→泉に変化しました。たとえば、奈良の春日大社の山は三笠山(若草山)、泉は猿沢池に相当します。日本人は古代から巨岩を拝んでいました。参道の軸方向は、冬至の太陽の進行方向になっているそうです。これもまた古代中国の風習が日本に取り入れられたものとか。

前方後円墳の円墳のいただきに貴人が埋葬されていますが、その円墳の東にイワクラの巨岩が位置しており、古代日本人は直接円墳を拝んでいたそうです。現在、宮内庁管轄の古墳は方墳から拝ませていますが、間違いのようです。

考えながら歩く吉備路(上)

考えながら歩く吉備路(上)
著者:薬師寺慎一
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この本は写真が豊富で、岡山観光している気分になれる本だと思います。写真に写っている美女が誰なのか気になりました。葬送の儀は何段階かに分類できます。進行順に書きますと以下の通りです。

死 :死亡すること

殮(れん):死体を棺に納めること

殯(ひん・もがり):死体を安置し、賓客として仕えること

葬 :死体を納めた棺を土中に埋めること

古代中国では、死体を損傷することは天下の大罪でした。それが仏教思想の影響か、火葬が行われるようになりました。百済高僧・行基の師匠さんが日本に火葬の風習を持ち込み、持統天皇が火葬されたことは有名ですね。となりに眠る天武天皇は土葬です。

邪馬台国吉備説もありかなと思うこのごろです。卑弥呼は「ピミフ」という名の漢人?燕の公孫氏?で、五斗米道の乱を起こした道教の異端派とも言われています。

ニニギの子孫にして初代・神武天皇は、外戚・葛城氏の支配を受けた葛城王朝、10代崇神天皇は吉備王朝、台与(とよ)=神功皇后を母に持ち、吉備に眠る15代応神天皇は河内王朝、26代継体天皇は越王朝、36代孝徳天皇は九州王朝ですね。

あざむかれた王朝交替日本建国の謎

あざむかれた王朝交替日本建国の謎
著者:斎藤忠
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2011年2月20日 (日)

津山洋学資料館を訪ねて

中国自動車道の西宮北インターから津山インターを下りて、岡山県津山の洋学資料館に行ってきました。片道2時間半の旅でした。平成22年新規オープンしたきれいな記念館で、客もまばらでした。しかし政治に失望した人たちが振り返るのは日本の原点ですから、蘭学・洋学ブームは必ず近日やってくるはずです。

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まずは杉田玄白(1733~1817)、前野良沢(1723~1803)の「解体新書」から展示してあります。オランダ語を読めなかった杉田玄白。内科は漢方!外科は蘭方でなくちゃいけん!と叫んだ杉田玄白でしたが、実際にオランダ語医学書「ターヘルアナトミア」を訳したのは、前野良沢と、徳川幕府御用蘭方医・桂川甫周(1751~1809)でした。また実際の腑分けは、ヒトの解剖に詳しかった虎松が行いました。ちなみに最初に日本で人体解剖したのは、京都の漢方医・山脇東洋(1705~1762)でした。東洋のふたりの弟子、伊藤友信、小杉玄適とともに解剖し、東洋は解剖記録「蔵志」を著しました。小浜藩藩士・小杉玄適が同じく小浜藩藩士・杉田玄白に京都での解剖の様子を語り、玄白の解剖意欲を沸き立たせました。

漢方・古方派のバイブルは、「傷寒論」と「金匱要略」のふたつです。前者は急性疾患、後者は慢性疾患の治療について書かれています。古方派の当時の権威は、山脇東洋と吉益東洞(1702~1773)でした。吉益東洞のふたりの弟子、鶴田元逸は「医断」を著し、佐野安貞は「非蔵志」を著し、ともに解剖不要論を唱え山脇東洋を辛辣に非難しました。

8代将軍徳川吉宗は青木昆陽(1698~1769)、杉田玄白らを重用し、儒学の解釈を離れ科学的なものの見方をする習慣を支持しました。古代中国のことばで儒教を解釈しなければならないとする荻生徂徠を筆頭とする当時江戸流行の一派を退けました。青木昆陽は九州のシラス台地にサツマイモ栽培を推奨して飢餓を防いだことで有名ですよね。

江戸幕府が自ら建て直しを図っていた、徳川吉宗の時代、以下の三大潮流がありました。

江戸の蘐園(けいえん) →荻生徂徠(1666~1728)

*木村蒹葭堂(1736~1802)が大坂にサロン「混沌社」を開く。

大坂の懐徳堂(かいとくどう) →中井竹山(1730~1804) 

*弟・履軒(1732~1817)が「水哉館(すいさいかん)」を設立。

*富永仲基(1715~1746)が儒学を相対視して破門される。

京都の石門心学 → 石田梅岩(1685~1744)

杉田玄白は中華思想に染まっており、儒学に疎い分だけ蘭学者を下に見ていました。前野良沢は朱子学など中国思想全般にわたって浸食していた陰陽五行説を誤りとみて、蘭学を学び、「和蘭訳文略」を著しました。この当時、オランダ語を読めたのは、青木昆陽と前野良沢くらいでした。

大槻玄沢(1757~1827)は前野良沢に弟子入りし、中国も辺境の一国に過ぎないと主張し、中華思想を否定し、オランダを西夷視することを非難しました。蘭学とはなにかを説いた「蘭学階梯」を著しました。師匠・前野良沢はオランダ語の解釈は、漢文訓読法を応用すればよいと説きましたが、大槻玄沢は、代名詞・冠詞・前置詞を理解できれば、返り点を付けなくても上から下、左から右へ読めると説きました。宇田川玄随と桂川甫周ともに、「蘭学階梯」のあとがきを寄稿していますが、漢学者に馬鹿にされたくない意図で、漢文の知識を必要以上にひけらかしています。岩手県一関市出身の大槻玄沢は江戸の私塾「芝蘭堂」を開き、オランダ正月と呼ばれる蘭学者たちのサロンの場を提供しました。のちに仙台藩に転籍され、芝蘭堂は東北大医学部の前身となります。

これなくして洋学研究はできなかった蘭和辞書が二つあります。

波留麻和解(はるまわげ) 1796年 

稲村三伯(1758~1811)が、蘭通詞・石井庄助の援助で、フランソア・ハルマの「蘭仏・仏蘭辞書」を訳して著した。三伯は、宇田川玄随・玄真にオランダ語を学び、大槻玄沢の芝蘭堂でオランダ医学を学んだ。

ヅーフハルマ 1833年

長崎出島商館長(カピタン)ヘンドリック・ヅーフと、蘭通詞・吉雄権之助(1785~1831)が著した、膨大な辞書。権之助は長崎で、シーボルトの鳴滝塾に出入りしていた。

長崎通詞に語学の大天才がいました。その名は、馬場佐十郎(1787~1822)。志筑忠雄にオランダ語、ヘンドリック・ヅーフにフランス語、ジャン・コック・ブロンホフに英語を学び習得し、さらに高田屋嘉兵衛と交換・返還されたゴロウニンにロシア語を学びました。1810年、日本初の日蘭辞書「蘭語訳撰」を著しました。35歳で死去は若すぎました。

宇田川玄随、玄真、榕庵と3代にわたり、蘭学が津山で発展しました。津山は日本蘭学研究のアレキサンドリアでした。玄随は漢方医から蘭学医に転向し、桂川甫周にオランダ語を学び、「西説内科撰要」を著しました。内科にも蘭方を適用すべきだとする先進的な考え方を持った偉人でしたが、わずか42歳でこの世を去りました。その養子、玄真は「医範提綱」を著しました。これは学習に便利な医学用語辞典で、「膵」「腺」「小腸」「大腸」などといった訳語を新しく作りました。玄真の養子、榕庵はマルチな才能の持ち主で、「植学啓原」で植物学を、「舎密開宗」で化学を確立しました。榕庵の養子、興斎は、同じく津山の箕作阮甫とともに、ペリーとの通商外交の通詞として活躍しました。イギリス英語の「英吉利文典」を著しました。その子、準一は物理学が得意で、「物理全志」を著しました。

津山の箕作阮甫は、宇田川玄真に学び、「和蘭文典」を著し、江戸の蕃書調所(東大の前身)の初代教授に就任しました。大槻玄沢の弟子、稲村三伯の「ハルマ和解」はオランダ語辞書として有名ですが、ボリュームがすごくて初心者向きではありません。緒方洪庵が開いた適塾では、まず阮甫の「和蘭文典」をオランダ語入門書として学ばせてから、ハルマ和解を用いさせたそうです。

英学塾  慶応義塾 vs 三叉学舎

慶応義塾に対抗すべく、阮甫の子、箕作秋坪は三叉学舎を開き、東郷平八郎元帥、原敬首相など卒業生を送り出し、津山出身の津田真道、福沢諭吉、中村正直、西周、加藤弘之、西村茂樹らとともに「明六社」を設立しました。

日帰りでしたので、津山城の備中櫓を見学しました。天守閣はないのですが、その跡地から見下ろした備中櫓もいいものです。

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2011年2月13日 (日)

憲法改正について一考

青山繁晴氏のご教説をYoutubeで拝見しました。与党・民主党を起死回生で回復させるには、自民党と同じように既得権益の政策を繰り返すのではなく、戦後日本を窒息させている憲法改正の建議しかないとおっしゃっています。外国は平和であることが前提の宗教教義のようなGHQ占領憲法ですので、改正しなければにっちもさっちもいかないのはわかりますが、どこをどのように改正するでしょうか?つまりどのような理念に基づいて改正するのでしょうか?

日本国憲法で謳われた自由、平等、平和の3つの理念は矛盾しておりぜったい両立し得ない。だいたい平等な社会などというものは世界史上存在しない。有限の地球資源をマネーや戦争という手段で強奪を繰り返している悪の組織を根絶しない限り平和はない。小沢氏がおっしゃるように、条文に書かれた国民の総意とは、いま日本国領土に生きている国民全員のことを単に意味するだけなのか?多数決で、しかも勉強不足な学校教育で憲法をすべて決めてしまったら、どんな憲法になるのか?死んだ先祖の気持ちを汲み取り、具体的に言えば日本の伝統と、有史以来の国民の総意によって語り継がれてきた神話に敬意を表しつつ、議論し決定しなくてはならないという青山氏の考えには、わたしもまったく同感です。真の戦犯が英雄として表彰され、のうのうと生きていた戦後処理ではだめでしょう。歴史・倫理・国語教育に神話や偉人伝を復活させ、情緒教育に古典音楽や文部省唱歌を復活させるという政策こそ、憲法改正論議に先行すべきだと思います。

総図解よくわかる第二次世界大戦

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2011年2月11日 (金)

橿原考古学研究所附属博物館を訪ねて

今日は建国記念日です。国の成り立ちを考えるには最適の日です。昨日は、午前診を終えて、近鉄電車で畝傍御陵前下車。奈良橿原にある考古学研究所附属博物館に行ってきました。建物のすぐ裏に、神武天皇が眠る畝傍山があります。

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「埴輪のはじまり」という興味深い特別陳列が目的です。岡山の博物館から奈良まで持ってきてくれました。尼ヶ辻に眠る11代垂仁(すいにん)天皇までは、高貴な人が死ぬと、生贄用に選抜されていた人々が生き埋めにされていました。泣き声が地中から聞こえてやまなかったそうで、そんな悲惨な光景を見てきた野見宿禰(のみのすくね)が、生きている人間ではなく、代わりに埴輪(はにわ)を埋めてはどうかと、垂仁天皇に進言し受け入れられました。”はに”とは古代日本語で土を意味します。空(うつほ)、風(かせ)、火(ほ)、水(みす)、埴(はに)の5大元素から人体が形成されると考えられていました。精神的な魂魄は、死後に2つに分裂し、魂(たま)は神のまします宇宙の中心に帰り、魄(しゐ)はこの世に漂うと考えられていました。

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岡山県吉備の国(おそらく吉備王国が存在したであろう) から、特殊器台と呼ばれる埴輪の原型と、前方後円墳の埋葬様式が大和にもたらされました。これは2mはゆうに超えており、でっかいです。一度ご覧あれ。

初期の特殊器台、立板型と向木見型の二つは吉備にしか出土していません。特殊壺と1セットで葬儀に用いられていました。

立坂(たてざか)型→向木見(むこうぎみ)型→宮山(みややま)型→都月(とつき)型(特殊器台形埴輪)→円筒埴輪→朝顔形埴輪

宮山型以降は、大和で大量生産されました。円筒埴輪以降は、台と壺が一体化したものです。台の上に壺を置くのが面倒くさくなったのかな?

売れっ子巫女・卑弥呼は倭国乱を平定すべく、大宰府の邪馬台国吉備の楯築(たてつき)遺跡大和の纒向(まきむく)遺跡と移住してきて、最後は日食のとき殺され箸墓(はしはか)古墳に葬られたのか?卑弥呼が、中国の長寿薬・桃の実、道教・鬼道特殊壺特殊器台のお祭りセット、吉備王国の前方後円墳、出雲王・スサノオを平定した吉備王・ニギハヤヒの血をひく物部氏を大和(奈良県天理市~桜井市)にもたらしたのか?同じくニギハヤヒの血をひく奈良市富雄~学園前在住のナガスネヒコは、物部氏の裏切りにあい、九州・高天原に降臨した(侵略した?)ニニギの子孫の東遷により滅ぼされた。白桃の名産地と言えば吉備、鬼道の鬼ヶ島と言えば吉備です。大和朝廷はアマテラスの国を基盤に、出雲王国と吉備王国と越王国のエッセンスを吸収合併することで成立し、日本は大和朝廷を基盤に倭(九州王朝)のエッセンスを吸収合併して成立したのであろう。

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私は兜を付けた軍人埴輪が気に入りました。となりの靫形埴輪(ゆぎがたはにわ)は初めて見る形でした。靫(ゆぎ)とは、矢を入れる用具のことだそうです。埴輪のはじまりですから、目、鼻、口を持つ”はに丸君”ではありません。円筒埴輪、家形埴輪、水鳥形埴輪、鶏形埴輪、船形埴輪、巫女形埴輪が初期の埴輪でした。

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埴輪以外の展示も充実しており、纏向遺跡、箸墓古墳、メスリ山古墳、藤ノ木古墳の発掘研究成果が各コーナーごとにまとめられていました。円墳、方墳としてやがて簡略化されていきますが、埋葬物はさらに豪華になっていったようです。みかけより中身といったところでしょうか。

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鏡には興味がありますが、いろんな形の鏡が作られていたようです。平安時代以降も、奈良は南都として栄えており、なにげに最古の将棋の駒が展示されてありました。わたしも将棋は好きで、NHK杯戦はテレビでよくみます。渡辺竜王、羽生名人、久保棋王・王将なんかは有名な現タイトル保持者ですが、新手を打つ佐藤康光氏、永世名人・森内俊之氏、NHK講座での解説がわかりやすかった深浦康市氏などは次のタイトルを虎視眈々と狙っていますね。

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2011年2月 9日 (水)

こどものころ、好きだったテレビ番組

ウルトラマン:よく外で遊びました。宇宙時代到来を実感させてくれました。

http://www.youtube.com/watch?v=TMCfhbgJqss

http://www.youtube.com/watch?v=rNAG8Drdatk&feature=related

ウルトラセブン:シリーズの中でもこの2つは別格。プラモデルを作りました。

http://www.youtube.com/watch?v=tcbxNaqNXT4&feature=fvw

サンダーバード:操縦室へ乗り込むまでがかっこいい。プラモデルを作りました。

http://www.youtube.com/watch?v=jAA3-80dwnk

タイガーマスク:悪役として養成されたタイガーが寝返って、ミスターXが次々に繰り出す反則レスラーにフェアプレイで立ち向かう。

http://www.youtube.com/watch?v=itAgWxW8Ti4&feature=related

仮面の忍者・赤影:伊賀流・甲賀流忍法の本を読んだものです。

http://www.youtube.com/watch?v=pwd5Sk_Musw&feature=related

マグマ大使:ガシン・ガシン・ガシンという変身を物まねしました。

http://www.youtube.com/watch?v=uY4kq0k6TJ4

巨人の星:理想的な父子関係でした。

http://www.youtube.com/watch?v=daVxuoDS5Xw&feature=related

パーマン

http://www.youtube.com/watch?v=vJmvXdrgAaI&feature=related

スーパースリー:夢ですね。

http://www.youtube.com/watch?v=72hdLiM37Kc&feature=related

魔法使いサリー:スミレちゃんが好きでした。

http://www.youtube.com/watch?v=6Bis8sD7AYc

マッハGOGOGO:渋滞は空を飛んで追い越したい。

http://www.youtube.com/watch?v=cPR45cBkRq4

サイボーグ009:003と004が好きでした。

http://www.youtube.com/watch?v=OnXfTEjCqG4

キャプテンウルトラ:バンデル星人がこわかった。

http://www.youtube.com/watch?v=ruLTkfmEiGw

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2011年2月 6日 (日)

英語教育法

今月火曜日は、鳥飼玖美子氏のNHK特集番組があります。鳥飼氏といえば、字幕洋画の字幕訳を一手に引き受けている有名人ですね。最近は字幕の日本語すら読めないオトナが増えてきているとか。江戸、明治、大正、昭和、平成と、日本人がどのように英語を学んできたかを講義してくださいます。洋学の研究はあっても、英語の研究に関する本は読んだことがなかったので、安価にNHKテレビで勉強できることは幸いです。今日、さっそく通読しました。フェートン号事件にたずさわった、オランダ語通詞、森山栄之助が、ペリー来航やハリス来日の際、公的文書作成を担当したこと。ジョン万次郎は会話はできても、文法が不正確で、日米の緊張関係のあいだで通詞を務めるには不向きと判定されていたこと。オランダ語読みしかできなかった森山栄之助が、アメリカインディアン密入国者ラナルド・マクドナルドから半年間で正しい英語発音を学んだこと。福沢諭吉が森山栄之助に教えを乞うたこと。これらはまったく目からウロコ状態でした。

和歌山大の江利川春雄教授は、ブログの中で、英語受験参考書を紹介しておられます。超マニアのコレクターです。かの伊藤和夫先生の伝説の名著「新英文解釈体系」を所持しておられ、今月のブログで、その内容を紹介しておられます。江利川先生は4回シリーズのうち第3回を担当しておられますので、いまから楽しみです。

文法・解釈軽視、会話中心の英語教育に警鐘を発しておられます。日本語でしか表現できない、日本特有の概念を学ばず、英語の世界で物事を考えることは、日本人のアイデンティティを損なうと言っておられ、まったく私も同感です。speaking, hearingべらべらの鳥飼氏が、reading, writingを優先して学べと言っておられるのですから、その言葉の重みを感じるべきでしょう。

江戸から昭和にかけて、文部省は英語教育法に関して、考えうるすべての実験を行ってきており、その結果はすでに出ています。なのに再び同じ過ちを繰り返そうとするのか?

旧制中学で戦前使われていた英語教科書「クラウン」に掲載された文章の格調のなんと高いこと!私も大学教養学部で学んだ研究社・小英文叢書を読み直してみたいという気になりました。

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Jazz on top ジャズ・オン・トップ

昨夜は、中学高校以来付き合っている同窓生2人N君、M君と、梅田・桜橋の小料理屋で飲み会でした。4月に計画中の旅行の話題で盛り上がっていました。2次会は、すぐ近くのジャズ・バーJazz on topに行きました。今回で2度めでしょうか。N君はここ数年、ジャズに凝っているみたいで、神戸・西宮北口のジャズ店の常連客だそうです。

201102052301000_2ボーカルは石橋みほさんで、甘ったるーいボイスで楽しませていただきました。頭にしていたバンダナ・ルックをみた客に「サッカー日本代表・遠藤にそっくりやね。」と言われたのが、けっこうショックだったみたいです。いやいや、睡眠不足の”こなき爺”遠藤とは似ても似つかぬ、若くてポッチャリ系かわいいシンガーだと思います。ドラえもんの大山のぶ代でしょう!今日、ブログを拝見したら、カナダ・イングランド仕込みの本格派だったんですねぇ。

ピアノの西本貴至さんは、ほんとうにジャズが好きなんだなあというパフォーマンス付きのピアノ演奏でした。ベースの神田芳郎さんは、渋く淡々と演奏をこなしている感じでした。とても思い出に残った夜でした。

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