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2010年12月27日 (月)

M-1グランプリ、そしておニャン子クラブ

昨夜は恒例のM-1グランプリをみました。スリムクラブの間の長いこと。あのキャラは好きですねぇ。あの戦場カメラマンの間ですね。相方はカツゼツがイマイチ悪いけど、エンタの神様に出ていたフランケンの「いいよ!」の人なのかなぁ?

間の長さと言えば、昭和40年ころ、喜劇役者、藤田まこと?いや、たしか西川きよしだったかなぁ?自分の芸風で悩んでいたとき、先輩役者の助言で、スローモーションチャンバラを始めたのではなかったのかな?チャンバラトリオ、コント55号、ドリフターズもスローモーション芸を取り入れていましたねぇ。カトちゃんの「あんたも好きねぇ、チョットダケヨ」もいいけど、歌舞伎役者ネタは最高に好きです。

パンクブーブーのボケはいいのですが、ローソンのつっこみが毒気強くてきらいです。オードリーにそりゃお株を奪われますわなぁ。

笑い飯の西田氏は古きよき時代のバンカラ学生の雰囲気を醸し出していて、好きですね。笑い飯の優勝は臨終の手向けの花にならなければいいのですが。「チンポジ」ネタは学生寮生活だけにとどめて、テレビでは永久に封印して、消えないようがんばってください。

いずれもクラシックな漫才としてはどうなのかな?コントじゃないのかな。横山やすし師匠が生きていたら、怒り心頭で怒鳴りまくっていたかもしれません。関係ない話ですが、横山つながりで、ふと横山プリンのことを思い出しました。横山ノックの弟子だったかな。昭和50年ころ、むっちゃおもろいラジオDJでした。

今日昼休み、テレビをつけたら、最近婚約した小倉優子さん(ニックネーム:ゆうこりん)が出演中でした。婚約者から、「ゆうゆ」と呼ばれているそうです。「ゆうゆ」と言えば、おニャン子クラブ会員番号19番、岩井由紀子さんのことですね。司会の中山秀征氏が、「ゆうゆ」と言わないでくれと懇願しているのを見て、漫才師として駆け出しの中山秀征氏と岩井由紀子さんとが、その昔長年、深い恋愛関係にあったことを思い出しました。(以下敬称略)

「うしろゆびさされ組」として、高井麻巳子と岩井由紀子がペアでデビューしてほどなく、高井麻巳子が「夕焼けニャンニャン」のテレビ番組ディレクターだった秋元康と電撃結婚しましたね。岩井が中山とそんな深い関係だったりして、芸能界アイドルを追っかけることがばかばかしくなった思い出があります。ちなみに当時大学生だった私は国生さゆりのファンでしたが、彼女も長渕剛と略奪愛に走ったりで、ファン熱はすぐ冷めました。

いまや国民的アイドルと言われるAKB48も、秋元康氏がプロデュースしています。ひょっとしてキャバクラ嬢?昔の苦い経験からほどほどに距離を置いて見つめています。

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2010年12月23日 (木)

廣田神社参拝

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蛭子姫(ヒルコヒメ)の由緒ある古き大神社ゆえに、以前から行ってみたいと思っていた西宮広田神社を参拝しました。阪神タイガース選手監督団の優勝祈願で有名で、必勝祈願の効力はイマイチかな。祭神は天照大神です。神功皇后が新羅遠征から帰還した折、西宮沖で海難に遭ったのが縁で建てられたそうです。

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その昔、西宮は市役所周囲が島になっており、入江の海でした。広田神社、西宮戎神社は少ない陸地に建てられていました。

すみれの花咲く頃

http://www.youtube.com/watch?v=n0-Hbzy190c&feature=related

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2010年12月17日 (金)

おん祭・渡り式

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診療の昼休み中に、近鉄奈良まで、おん祭を見てきました。正式には「春日若宮おん祭の渡り式」といいます。春日大社の若宮とは、その昔、興福寺が春日大社を支配するためにつくった、神仏習合の神様です。

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午後1時20分くらいに三条通に着き、過ぎ去っていた大名行列のあとを追っかけて一の鳥居まで歩きました。

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大名行列の最終目的地は、「松の下式」が行われる地点でした。宝蔵院流槍術の面々による槍投げ奉納を見ました。

お旅所で行われる、猿楽の舞は残念ながら、午後診察のため見られず、クリニックへ帰還いたしました。

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2010年12月13日 (月)

大阪府立弥生文化博物館を訪ねて

201012121109000昨日は、大阪府立弥生文化博物館の展示を見に行ってきました。湾岸線でひとっ走りして、ざっと1時間で現地到着。毎度のことながら、考古学関連の展示を見に来る来客の9割以上がおじいちゃんです。人気の奈良大学名誉教授、水野正好先生の講演とあって、12時半整理券配布のところ、11時半には行列ができはじめました。整理券をとってすぐ、近くの喜多方ラーメンを食べましたが、薄味関西風でおいしかったです。

「邪馬台国への道」 奈良大学名誉教授 水野正好先生

水野先生はコテコテの大和説論者です。まず後漢書倭伝と三国志・魏志倭人伝から読んでいきました。倭の国王、帥升(すいしょう)は107年、後漢の安帝に生口160人を献上しました。生口(せいこう)は奴隷のことですが、水野説では生口は奴隷というより、ピチピチボーイとピチピチガールじゃないのか?そうでなければ皇帝が喜ぶはずがないと。むむぅ。この頃の倭は十分国家機能を果たしていたと考えておられるようです。船は湾岸船で、ちょっと沖へ出てはすぐ港へ帰ってくるといったことを繰り返し、帯方郡まで行ったんじゃないかと言っておられました。「正好=生口の字のごとく、私も生口でした。」と駄洒落を言って、失笑を買っておられました。

海難事故を起こすので女の子はそうおいそれと船に乗れませんよ!ヤマトタケルのときも、たしか静岡、江戸、千葉あたりで海難にあい、嫁さんが自分のせいだと思い込んで海に飛び込んだくらいですから。

帯方郡の位置は異論なくピョンヤンあたり。

狗邪韓国=釜山 

対馬国=対馬  官が卑狗(ひこ)、副官が卑奴母離(ひなもり)

一支国=壱岐  官が卑狗(ひこ)、副官が卑奴母離(ひなもり)

末慮国=松浦

伊都国=怡土郡 官が爾支(にき)、副官が泄謨觚(せつまこ)、柄渠觚(へここ)

奴国=博多 官が兕馬觚(しまこ)、副官が卑奴母離(ひなもり)

不弥国=宇美町 官が多模(たも)、副官が卑奴母離(ひなもり)

この辺までは異論が無いでしょう。ここからが違ってきます。まずは水野説。

投馬国=吉備 官が弥弥(みみ)、副官が弥弥那利(みみなり)

邪馬台国=大和 官が伊支馬(いきま)、副官が弥馬升(みまし)、弥馬獲支(みまわけ)、奴佳鞮(ぬかて)

狗奴国=尾張 官が狗古智卑狗(くこちひこ)

狗奴国は、男王・卑弥弓呼(ひみここ)のときに、邪馬台国女王・卑弥呼に逆らっていました。狗奴国が尾張だと考える根拠ですが、奈良の葛城にはもともと小張(おはり)氏=尾張氏がいて、葛城氏が小張氏を名古屋に追いやり、鴨氏が葛城氏を追いやったんじゃないかと水野先生はお考えのようです。

九州王朝説ではこうなります。筑紫(つくし)とは境界線のこと。

奴国=筑前

投馬国=薩摩

邪馬台国=筑後~佐賀

狗奴国=熊本

もし九州説が正しければ、隋の裴世清(はいせいせい)が来日したとき、倭国王に会いに東へ向かっている段階で、方向が違うと騒ぐはずだと水野先生はおっしゃいます。でもなぁ、文献には裴世清が見たのは俀国(たいこく)だと書いてあって、倭国(わこく)とは決して書いていませんね。裴世清の目標は筑紫の倭国ではなく、日出づる処の天子が住まう俀国だったのです。この辺はいかがお考えかな?

日本の郡をかき集めてもたかだか770くらいにしかならないそうで、各郡が女王国=邪馬台国にとびきり美人の娘を献上し、たかだか30くらいの有力豪族も美人の娘を女王国に献上していました。実際の政治は男の弟が行っていました。ちなみに701年大宝律令以前は郡制ではなく評制でした。天武天皇の八色姓や天皇専制などは、九州王朝の倭京の制度を奈良・藤原京に移したにすぎません。では誰が評制をはじめたか?それは阿毎・多利思北狐=日出づる処の天子じゃないでしょうか。

評制:地方豪族の自治にゆだねる地方分権

郡制:中央が任命した郡司にゆだねる中央集権

出雲由来の三輪神社と同じくらい古い大和(おおやまと)神社に卑弥呼の王宮があり、その真東の山辺の道に面して男弟の王宮があったと推定しておられるようです。崇神天皇のとき疫病が流行り、そのわけを三輪神社宮司のオオタタネコにたずねられ、出雲の神と大和の神をひとつの部屋に祭ってあることが悪いと言われ、出雲の神を伊勢神宮に、大和の神を卑弥呼王宮があった場所(=大和神社)に分けて祭ったんじゃないかというのが、水野流推論の根拠みたいです。  

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2010年12月 7日 (火)

高市天皇

九州王朝の歴代天皇を整理しますとこうなりますか。大和朝廷のトップは中国・唐の皇帝に対し、畏れ多くも独立宣言した天皇ではなく、大王(おおきみ)でした。ですから正しくは、九州王朝系が皇子、大和朝廷系は王子となります。「」と「」には雲泥の差があります。

初代 阿毎・多利思北狐(あまのたりしほこ)

    =倭京を築いた日出づる処の天子。苗字は阿毎。

第2代 難波京を築いた孝徳天皇

第3代 白村江で戦死した中皇命(なかつすめらみこと)=中大兄

第4代 大海人皇子=天武天皇

白村江の敗戦後も中皇命の皇太子は大宰府で生きていたようです。天武天皇が即位を果たすと、存命の皇太子に対し、式典に使う布や金物など一切合財、奈良に持って来いと命じています。その皇太子が第4代天皇で、皇位を奪った大海人皇子は第5代天皇、高市皇子が第6代天皇と考えられるかもしれません。

天武天皇と、対馬の宗形氏出身の尼子媛(あまこひめ)のあいだに高市皇子(たけちのみこ)が生まれました。天武天皇と、天智の娘の鸕野讚良(うののさらら)のあいだに草壁皇子(くさかべのみこ)が生まれました。672年壬申の乱の最中に、御輿にかつがれた身重の鸕野讚良が遠征先で草壁皇子を生み、高市皇子よりずっと年下でした。

法隆寺釈迦三尊像には、当時の奈良では使われていない暦が記されてあったり、「大后」=正妻、「太后」=母親といった当時の奈良で使われていない専門用語が書かれてあるそうです。さまざまな推論を重ね、釈迦像は奈良以外の土地で作られ、法隆寺が全焼後によそから持ってきたんじゃないか?「上宮法皇」とは聖徳太子ではなく阿毎・多利思北狐のことではないか?釈迦像の姿は阿毎・多利思北狐の姿を似せているのじゃないか?という説があるようです。

整理しますと、こうなります。

天智天皇(葛城王中大兄)→  大和朝廷  

天武天皇(大海人皇子)→  九州王朝

教科書で兄弟とされるこの二人には、実は血のつながりがなく、易姓革命があった、つまり血統が断絶したという見方に立っています。正しくは、天智大王(てんじのおおきみ)、天武天皇(てんむてんのう)と呼ぶべき。九州王朝の中大兄は中大兄皇子、大和朝廷の中大兄は中大兄王子と呼ぶべきでしょう。

教科書では鸕野讚良(うののさらら)は天武天皇の死後、686年持統天皇となります。この説によれば、持統天皇は実は即位しておらず、高市皇子が即位して高市天皇になったとしています。実子、草壁皇子を即位させたかったのですが、まだまだ幼く、高市皇子によって阻まれました。草壁皇子と天智の娘、元明天皇のあいだのこどもが文武天皇。高市天皇と天智の娘、御名部皇女(みなべのひめみこ)のあいだのこどもが長屋王。

母親の出自が身分ランキングにとって重要なので、父親より前に書きます。

草壁皇子→  大和朝廷(母)と、九州王朝(父)の混血  

高市皇子→  九州王朝(母)と、九州王朝(父)の純血

文武天皇→  大和朝廷(母)と、混血(父)の混血

長屋王→  大和朝廷(母)と、九州王朝(父)の混血

九州王朝の血統が長屋王までは濃く保たれていましたし、称徳天皇までは薄いながらも保たれていました。平城京での政争の背景には九州王朝血統廃絶の策略があります。大乗仏教に深く帰依した聖武天皇は平和的に二大王朝の和解を模索しましたが、娘・称徳天皇のパニックに乗じて、天智純系の白壁王(光仁天皇)が九州王朝を廃絶し、滅んだ百済から流浪した多数の渡来人の支持を得て、返り咲きを果たしました。

桓武天皇→  百済王(母)と、大和朝廷(父)の混血

倭京・難波京・藤原京・平城京・恭仁京

 → 主に九州人の技術による九州王朝の都

飛鳥・近江京・長岡京・平安京

 → 主に百済人の技術による大和朝廷の都

  

 

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2010年12月 6日 (月)

京都嵐山・紅葉狩り

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昨日、阪急電車で京都嵐山へ紅葉狩りに行ってきました。毎年恒例とはいえ、いつ行っても秋の京都はまったりとしてよろしおすなぁ。おみやげは、子どもの頃から大好きな生八つ橋。

それ京洛(けいらく)の岸に散る、三歳(みとせ)の秋の初紅葉(はつもみじ)。

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宝厳院(ほうごんいん)のもみじどすえ。

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地面に落ちたちっちゃなもみじの葉っぱと、コケのコントラストがまたすばらしい。

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わび、さびどす。中1以来40年近くお付き合いの友人M君は最近、ここ宝厳院に墓を買ったとか。その気持ちはわかる気がする。

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2010年12月 3日 (金)

本末転倒の論

最近、「アメリカの大学に学ぶ」式の教育論に関する本をよく見かけます。「アメリカはすばらしい、アメリカにならえ。」と言いたいのでしょう。NHK番組日曜夕方6時から1時間番組で、ハーバード大学、ザンデル教授の「Justice」の人気授業を放映していましたし。たしかにザンデル教授が学生の意見を瞬く間に要約し、論点を絞った討論に導くという秀才ぶりには目を見張るものがありました。でも、問題だと思うのは、アメリカ青少年による凶悪犯罪の多いこと。そんなアメリカにならってどうするの?

戦前の日本には、アメリカ以上の教育が存在していました。正しい人格を養う倫理教育、世界に通用する語学教育、二度と同じ過ちをおこさないための偏りのない歴史教育、ノーベル級の高度な理数教育。敗戦直後、アメリカは脅威的な日本の教育を木っ端微塵に破壊し、本国に持ち帰って真似ているだけだと、私は思います。

全学教育優秀授業賞

http://www.kyushu-u.ac.jp/magazine/kyudai-koho/No.55/No55_03_08.pdf#search='

そろそろ本家本元の意地をみせるべき時でしょう。

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