昨日、奈良公園興福寺南円堂横にある、興福寺会館で、講演を聞いてきました。由緒正しき寺社文化を有する奈良市では、医師と僧侶は親交があります。ほかの医師会に誇れる点でしょう。今回も医師会幹事と興福寺とのお付き合いの縁で、特別講演を聞くことができ、大変感謝しております。
「奈良から生まれた伝統文化」 興福寺執事長 森谷英俊先生
玄奘三蔵がインドから持って帰った唯識論を慈恩大師が大成。奈良時代、玄昉が唐から法相宗を持って帰り、興福寺に伝えました。
いま興福寺は、中金堂を再建工事中です。興福寺は藤原氏の氏寺であり、春日大社は藤原氏の氏神です。日本で最も権勢を誇る氏だけに、この二つは大いに栄えました。対する東大寺は天皇の寺です。
奈良時代、日本国民の大半が竪穴式住居に住んでいましたが、奈良平城京は50mを超える大建築物がニョキニョキ建っている夢の都市でした。しかも天平の瓦つきで。猿沢池は当時沼地で、その良質な粘土を焼いて天平の瓦を大量生産したのです。掘った跡に水がたまっていまの猿沢池になりました。
たとえば、五重塔。森谷先生が五重塔をいまの建築会社が作るとしたら、何年かかってお金はなんぼかかると計算してもらったことがあるそうです。そうしますと、一層あたり10億円、五層で50億円かかり、5年はみといておくれやすとの返事があったそうです。ところが古代の文献を調べますと、光明皇后が730年春に五重塔建設の詔を発し、同年秋に完成したとあります。それだけ寺建設にたずさわる高技術者集団が存在していたことがあらためてわかりました。寺を建てるぞと言われて、あいよと答えて半年で作り上げるだけの大工が奈良にはいました。
平安、鎌倉、室町時代、興福寺は大和一国を完全に治めました。さらに、伊賀上野、河内長野までその支配は広がっておりました。大和の長は春日大社の神事をもあずからねければならないという重職ゆえに、当時のぽっと出の国司に勤まるわけがないと、政府が派遣した国司を追い出しました。
これだけの寺に住む大勢の超エリート集団であった僧侶たちを養うために、まず清水が必要です。坊さんが住む場所を院と呼び、大乗院、一条院、相応院などたくさんの院がつくられました。いまの県庁あたりにあった相応院の長を務めていたのが、東大寺仁王像をつくった運慶、快慶でした。そしてそのそれぞれに仏さんが安置されていたのです。また院には井戸がたくさん掘られました。全国から税として集められた良質の米がありました。
水と米とくれば、酒が生まれます。ところが飲酒戒(おんじゅかい)といって、坊さんは修行の妨げになるという理由で禁酒。酒を飲めば僧職を失い俗世間に追放処分となりかねません。ビールがだめなら、日本酒はいいだろう。日本酒がだめならウィスキーはいいだろう。こんな風に戒律を掻い潜ろうとする呑兵衛坊主が続出したために、こういう製法でつくった飲み物は一切禁止するという書物が残されました。そこには実に詳細な酒の製法が書かれてありました。それを興福寺は河内長野の杜氏たちにつくらせました。「白酒」はいまのどぶろくみたいなもの。「黒酒」は竹を焼いた墨を混ぜた苦い酒でした。これらの酒は2,3日もすれば腐って酸っぱくなって飲めなくなるのが大きな欠点でした。遠くまで運べなかったからです。そこで興福寺の僧侶はいろいろ工夫を重ね、火を入れる工程を加えたところ、保存期間が著しく伸びたのです。フランスのパスツールが滅菌を発見する数百年前のできごとでした。
興福寺の僧兵と平家の確執は有名です。平重盛はいくたびか夜襲をかけましたが失敗。いまの般若坂あたりの民家に火を放ち、風に火の粉が乗って、東大寺と興福寺は焼打ちに会いました。漆は金と同じくらい貴重なもの。漆を大量に使った乾漆造りの軽い仏像であったからこそ、焼失をまぬがれたのです。
織田信長は大の貴重品好き。誰も見たことがない黒人と語らい、誰も口にしたことがないワインを愛飲していました。国産でなんとかつくれんのかという御布令が出たとき、手を挙げたのが興福寺と河内長野の杜氏でした。豊富な醸造技術を有していただけに、ワイン製造などお茶の子さいさいでした。
奈良が誇る産物には、墨があります。油芯の煙から出る墨を集めて作られました。室町時代に有名だった工場が、いまは春日大社一の鳥居近くのトイレになってしまっているそうです。応仁の乱の日野富子もここの墨を愛用していました。
この1時間の講演が終わって、特別公開されている五重塔初塔に安置されている12体の仏像を見学しました。水晶を割って黒目をつくっていました。中心柱の下に安置されている仏舎利も見ました。次は東金堂見学。本尊薬師如来像を筆頭に、その背後を守護する仏さんも何十年ぶりかに帰ってきたそうでして、普段は見られない薬師如来の裏も見ました。
最後は国宝館見学。釈迦の十弟子像のなかには情けない顔をした像がいて笑ってしまいました。童顔の仏像もよくできていて、その中の一つが阿修羅ですね。5時半に行ったのですが、10分程度待ってやっと正面から顔を拝めました。白鳳時代の貴重な仏頭もいいお顔でした。
外に出ると満月が三笠山にかかっていました。五重塔と満月というナイスなコラボもよかったです。とことこ飛鳥荘の宴会に出席。おいしい料理の数々と春日大社の銘酒「春鹿」をいただきました。
天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも
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