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2010年5月19日 (水)

「素浪人月影兵庫」 「素浪人花山大吉」

懐かしい映像を見つけました。まさに東映活劇といっていい作品でした。小さい頃から、近衛十四郎が扮する月影兵庫、品川隆二が扮する焼津の半次のファンでした。剣はめっぽう強い月影にも、猫が大嫌いという弱点があり、粋な半次兄さんにも、蜘蛛が大嫌いという弱点がありました。曲がったことが大嫌いで、少々おばかでおだてにすぐのぼせ上がる焼津の半次は好きだったなぁ。近衛十四郎のように気ままな余生を送りたいな。昭和40年代前半のこどもは2つのチームに分かれてチャンバラごっこをして日が暮れるまで、外で遊んだものです。晩ご飯に呼ばれてひとりふたりと帰宅し人数が少なくなったら終了。飽きたらたまにウルトラマン、マグマ大使、仮面の忍者赤影のような変身ものバージョンもまじえながら。本郷猛の仮面ライダーはまだいませんでした。ましてアニメの宇宙戦艦ヤマトや機動戦士ガンダムはもっとあと。とにかく年齢差のあるこどもたちとよく遊びました。私たちも足を伸ばして、藪だらけの平城宮趾へ時々行きました。蛇の棲むわらや深い藪や沼地を避けながら。たまにテクテク歩いていた野良犬と出くわすとにらみ合いになりました。チャンバラごっこの木刀を持っていましたので、野良犬にも十分対抗できたのです。40才代後半から50才代前半は当時こどもだったからわかってくれるのでは。白黒テレビからカラーテレビに変わった昭和45年の大阪万博くらいに、素浪人花山大吉に引き継がれました。

品川隆二「風来坊笠」♪ http://www.youtube.com/watch?v=xaDMrDVb42U

大吉「半の次よ。」「このバカタレが。」「ほんとにおまえはどうしょうもないやつだな。」

半次「だんなぁ」「このおから野郎。」「こんちくしょう、よくもコキやがったな。」

これらのセリフは耳にこびりついています。最近のこどもは親から叱られませんが、昔のこどもは大吉のようなセリフでよく叱られていましたね。半次はおとななので、叱られている途中から反抗しましたが、こどもにはとてもそんな口答えする権限はありませんでした。古きよきニッポンのこども一風景です。

月影兵庫オープニング

http://www.youtube.com/watch?v=U1Hby570i9k

花山大吉オープニング

http://www.youtube.com/watch?v=IVYA2F6mH38&feature=PlayList&p=680C7958EAFAF06A&playnext_from=PL&playnext=1&index=1

大吉さん vs おから

http://www.youtube.com/watch?v=l9MDqZGKat8&feature=related

焼津の半次兄さん vs 蚤

http://www.youtube.com/watch?v=9ZaLQ01GTJM&feature=related

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2010年5月18日 (火)

手足口病と口蹄疫

宮崎牛に口蹄疫が蔓延しているニュースを多く見聞きします。これって、ヒトの手足口病と同じではないのかな?原因ウィルスはともにピコルナウィルスですね。

新型インフルエンザ大流行が昨年末に去って、そういえば、この冬に夏の手足口病をちらほらみかけました。今年はピコルナウィルス流行の当たり年のようです。異常気象のせいなのか、最近流行病も変です。ヒトの場合、髄膜炎を起こすことがたまにありますが、細菌性髄膜炎と比べてはるかに後遺症が少ない。細菌性髄膜炎予防のために、ヒブ(インフルエンザ菌ワクチン)やプレベナー(肺炎球菌ワクチン)をぜひ接種しておきましょう。

では牛の場合はどうなるのかな?足や口腔内に水疱ができて、飼育員を介して隣の牛へ伝染していくようです。ヒトの手足口病はものすごくのどが痛いですが、牛もきっとそうなのでしょう。痛みで食欲が落ちるのもヒトといっしょ。では牛も、1週間もすれば口蹄疫が治るんじゃないかな?鳥インフルエンザはヒトに感染するから、感染したにわとりを大量処分するのはわかる。口蹄疫はヒトには感染しないから大丈夫だと言う反面、これ以上の伝染を食い止めるには仕方がない、やせ衰えた病気の牛肉を販売するわけにもいかないし、売り物にならない牛は高価な餌だけ喰って大赤字だという理由で何万頭も何十万頭も一度に屠殺されなければいけないのか。立場によっていろんな意見があると思いますが、少しかわいそうな気がします。種牛の末路もあっけなく哀れでした。国産牛の値段がこのまま跳ね上がれば、オージービーフやアメリカ牛の肉を食べるしかないのかな。

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2010年5月16日 (日)

平城遷都1300年祭:大遣唐使展をみて

木曜午前診を終え、奈良公園内にある奈良国立博物館に行ってきました。午後3時に到着。客足はまあまあで、ちょっと待てばじっくり展示物を見ることができました。今回は会場が2つに分かれており、移動ロスタイムを15分はみておかないとゆっくりと全部見られないと思います。一言で感想を申せば、今回は日本国中、アメリカ、中国などから出品されており、祭りを盛り上げていこうという気合が感じられました。

平城宮趾(へいじょうきゅうし)は幼少時から遊んでいた庭でした。外国船が瀬戸内海を通り難波潟に着き、小船に乗り換えて河内湖から淀川を上れば、巨椋池(おぐらいけ)に到達します。平城京は飛鳥から巨椋池まで貫く下ツ道の途中に建てられ、平面構造ではなく高低の起伏のある凸凹した土地であり、佐保川と秋篠川を無理やり南北に整備したために、降雨になると河川が氾濫し、平城京内ならどこでも屋敷を構えられるというわけにはいきませんでした。そんななか、広大な屋敷に住み、いまは亡き百済や広大な渤海からの使者をもてなしていた長屋王の権勢ぶりのすごさを改めて感じました。新羅討伐・百済復興の密談をしていたんじゃないかと私は思います。実際、後百済という国が故地に興りますが、これは百済人の国ではなく新羅人による軍人国家でした。聖武天皇の度重なる遷都により、平城京は奈良時代半ばにして一度荒廃しており、東大寺大仏は風雨に晒されていました

遣唐使留学生、井真成の墓が発見され、墓碑に刻まれた碑文の詳しい解説が展示されていました。吉備真備が新しい暦を持って帰ってきたこと、同じく真備が唐の学者に才能を妬まれて、碁の勝負の際、碁石を飲み込んで勝ったこと、玄昉が大日経を持って帰っていたことをはじめて知りました。若き空海が東大寺大仏のお告げで橿原市久米寺にあった大日経をみつけ、その中に書かれてあった密教の教えを学び、長安へ留学したいという夢を抱かせるきっかけとなった経典です。

唐の太宗、高宗、則天武后、玄宗といった有名な皇帝の碑文が展示されていました。両親とも天皇家の血筋でないのに、純粋の平民(百済渡来系)として初めて立后を果たした光明皇后は則天武后に憧れ、父・藤原不比等と組んで政権を掌握しました。太宗や則天武后の豪快な筆跡、高宗の線の細い筆跡、玄宗の活字的な筆跡といった対比は、新しい発見でした。書聖、王羲之(おうぎし)の筆跡には見入ってしまいました。

日唐交易と呼ばれ、対等な貿易関係があったかのような幻想がもたれていましたが、どうも間違いで、他の50余りの国々と同様、唐に朝貢しており、753年正月恒例の朝貢の儀にて、朝鮮を統一したばかりの新羅と日本の遣唐使が席次争いをして、小野田守を新羅に派遣したのに新羅・景徳王が謁見せず、新羅との関係が悪化し、藤原仲麻呂が新羅征討計画を立てていたことを知りました。高句麗が滅んだ後にできたばかりの渤海が、黒水靺鞨(こくすい・まっかつ)の領有をめぐって732年唐と争い、733年唐が新羅に命じて渤海を攻めさせ、渤海が日本に同盟を求めてきたこと、日本は渤海に朝貢の礼をとらせたこと、第13次遣唐使を渤海経由で行かせたことがあって、90人くらいのうち入唐したのが10人余りで、残りは渤海でUターンして帰国したこと、第18次遣唐使の民間僧として長安入りした空海が、人質として長安に捕われていた渤海第8代王・大言義と親交があったことなど、勉強になりました。

遣唐使は命がけで唐で流行していた文物をいっぱい持って帰ってました。危険な旅立ちの前に祈願して身代わりとして捨てたか奉納した人形や陶器も展示されていました。博多玄界灘にもそんなものを奉納していた神社がありましたね。

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2010年5月 4日 (火)

阿波踊り

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「えらいやっちゃ、えらいやっちゃ、よいよいよいよい。踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損。」「やっとさぁ。(=やっとるか?)」「やっと、やっと。(=やっとる、やっとる)」徳島市にある眉山ロープウェイの駅ビル、阿波おどり会館に生まれて初めて行ってきました。阿波踊りは、一向宗の念仏踊りが起源だとも、盆踊りが起源だとも言われています。幕末に流行した「ええじゃないか」踊りも徳島が日本一激しかったようです。盆踊りの型は単純に右手右足、左手左足を同時に前に出す「風」が基本で、のちにパッパッと手さばきよい「花」、体をくねらせて手足を繰り出す「鳥」、腰をかがめて盆休みに帰ってくる先祖の魂を慰めるべくゆっくり踊る「月」が生まれました。

盗賊の蜂須賀小六が豊臣秀吉に仕えて出世し、その子、家政が阿波藩の大名を務めました。江戸時代早々、歌舞伎ブームも手伝って、異形(いぎょう)の衆が町を踊りながら練り歩きました。あまりの加熱ぶりに、殿様も捨て置けず、7/14~7/16の3日間だけに許可限定したり、踊りを城外ですることを禁じられていた武士が頬かむりして町人と一緒に踊らないよう、頬かむり禁止令を出したりしましたが、阿波踊りブームは加熱の一途をたどりました。

阿波踊りのグループは「連(れん)」と呼ばれ、組長は「連長」と呼ばれます。のんき連、阿呆連、殿様連、天水連、阿波連、水玉連、ゑびす連、娯茶連、蜂須賀連、酔狂連、平和連、うきよ連などなど、極めつけは、ふりこまれん(=振り込まれん、振込詐欺防止)といったユニークな名前がついています。私が連を新たに作るとしたら、「山川世界史連」を結成して全国からファンを募りましょうかね。

フリードリヒ大王の身なりで、笛とプロイセンの小旗を振って踊ってみたい。しかし私は戦争賛美者ではない。18~19世紀は大砲と銃剣歩兵主力の戦争であった。歩兵はいつもアルコールを常飲して酔っ払っていたという。まともな神経では敵の弾丸の標的にはなりえまい。

歴史書懇話会の唄 「神保町は本の町♪」 

神保町にはよく行きましたね。大手ビルでは三省堂、書泉グランデ。小さな古本屋が表通りや裏通りにびっしりあって、東邦書籍、冨山房、○○書店もファンでよく通いました。御茶ノ水駅前には丸善があり、駿台予備校生であふれていました。まさか自分が今、歴史書ファンになるとは、爺さんになったもんだ。

http://www.hozokan.co.jp/cgi-bin/rekikon_blog/sfs6_diary.cgi?action=article&year=2008&month=11&day=08&mynum=182

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