映画「のだめカンタービレ前編」をみて
デフレスパイラルの大波が襲っている六甲アイランドの映画館に久しぶりに行ってきました。日曜でもゆったり座れていましたので、数年間お忍びスポットとして通っていましたが、来年1月末についに閉館されるとか。インド料理のインド人シェフも自らウェイターとして働いていました。ウェイトレスは解雇しちゃったんでしょうね。
映画は、玉木宏氏が演じる千秋が指揮者として、フランスパリの元一流ダメオーケストラを、シュトレーゼマンが指揮者だったころの栄光の演奏を復活させて、何年ぶりかの好評を得るという出世物語。上野樹里さん演じる”のだめ”はどんどん置いてきぼりを食わされて前編終わりでした。後編は、のだめが千秋に追いつき、念願のコンチェルトにこぎつけるはず。来春の公開が楽しみです。阿部さだをと双璧だった、兵庫県加古川出身、上野樹里のハイテンションと、「のダーメちゃん」という竹中直人氏のセリフが頭にこびりつきました。
ドイツの楽器ファゴットFagottと、フランスの楽器バソンBassonは、ほとんど同じ木管楽器なのですが、お互いよさを主張しあっていて、フランスパリのオーケストラが、合奏不向きなバソンから合奏向きなファゴットに変更しているなか、頑として千秋のオーケストラがバソンの伝統を守っているというストーリーは、フランス魂を感じました。
中世ヨーロッパの大学では、奴隷から自由人になるために、自由七科(リベラルアーツliberal arts)を学ばなくてはならないとされました。文法、修辞学、弁証法、算術、幾何学、天文学、音楽の七つ。文法から天文学までは、天の理を悟るために必要な基本知識であることは理解できていたのですが、音楽がなぜ自由七科に含まれるのか、知りませんでした。しかし、この映画はそれを教えてくれました。ただ音を歌ったり、演奏したりする人をカントルcantorといい、音楽理論を熟知して、理性の力によって作品全体に対し、入念に音楽が判断できる人をムジクスmusicusといいます。シュトレーゼマンは、のだめに、カントルではなく、ムジクスになってほしいと切に願っていたのですね。
見知らぬ土地に住む金持ちの道楽で食糧の値段が決まる金融制度、1分刻みに管理される雇用制度、どこにいようが常にオンコールがかかる携帯電話、世論操作と情報管理のテレビ報道番組など、現代人は奴隷だと思います。奴隷を脱して自由に生きるためにはどうすればいいのか?深く考えさせられました。
| 固定リンク
最近のコメント