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2009年11月 5日 (木)

人生半ばを過ぎて想うこと

人生半ばを過ぎて、やり残したことが一つあります。それは旧制高等学校へ行けなかったこと。昨今、公立の中高一貫教育が叫ばれていますが、これって、旧制中学の復活にほかならないのではないでしょうか。戦後日本はなにを教育改革してきたのでしょうか?結局、振り出しに戻っただけではないでしょうか。

パンキョー(一般教養)の前身は旧制高等学校です。旧制中学でみっちりと基礎力を十分身につけた学生相手の少数精鋭教育を大衆化したら、大学生が多すぎて、教授の目が学生ひとりひとりに届かなくなって、教えても理解できない学力不足の学生が急増し、自然と教える側も教育熱が冷め、こんなくだらない勉強は要らないって大学生に逆ギレされてしまったわけで、教養部は大学でも肩身の狭い思いを強いられています。

しかし、医師は人間の死に直面するわけですから、他の職種よりパンキョー(人文教養)を勉強する必要がはるかにあります。

*旧制高等学校の青春 

http://www.youtube.com/watch?v=93h7ikLRKlc

小学校で、読み・書き・そろばんを系統立ててきちんと習えば、日本語が聞けて読めて話せて書ける「日本人」になる最も基本的な知識を身につけることができるはず。中学1年から5~6年もかければ、職業生活を営む上で必要十分な知識は身につくはずです。最近では漢字が書けない、読めない若者が増え、小・中・高で未修の教育課程を大学にまで持ち越しています。本来、大学とは職業訓練の場ではなく、研究機関であったはず。6年間職業訓練に終始する医学部はそういう意味では大学の亜流・傍流に過ぎないと思います。落第者は社会へ放出される厳しい場であったはずです。だからこそ、昔の大学生は今よりはるかによく勉強し、昔の大学は今よりはるかに権威があり、多くの人々の信頼を集めていました。大学に広がる麻薬・覚醒剤汚染はいかなる故にや。

大学で研究する上で最も大切なのは、外国の論文を読み、自分の研究成果を雑誌(ジャーナル)に掲載し、いち早く世界に伝えることです。オリジナリティ(originality)のある研究は高い評価を得ます。特許も取得しておくべきでしょう。学会でのスピーチがフロア(聴衆)の共感を呼べば、次の高いステップの研究環境が用意されることもあるでしょう。そのときの世界共通言語が外国語。外国語を自由に操ることができなければ、タッチの差で外国の競争相手に敗北するでしょう。日本人は、外国人の雑誌編集長(エディター)相手に外国語で自分を売り込まなくてはならないというハンディキャップを背負っています。旧制高等学校では、ある一定の学力を有した満16~20歳の若者相手に外国語を徹底的に叩き込み、イギリスの知識人なら誰でも知っているシェークスピアの文章、ドイツの知識人なら誰でも知っているゲーテの文章、中国の知識人なら誰でも知っている「論語」「孟子」といった古典を徹底的に教えました。これらをひっくるめて「教養」と呼びました。もうこれ以上教えることがないというくらい、教授によって徹底的に教養を叩き込まれた学生が、ゆったりと時間をかけて真に自分のやりたいことをみつけ、大学に進学し研究生活に入っていたのです。英会話ができるだけでは、外国人からジェントルマン(gentleman)とみなされません。

時代 

http://www.youtube.com/watch?v=N7k6ZhCWq3U&feature=related

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